ヘンケとアハチ
- サブタイトル
- 聞き書き樺太での暮らし、そして引き揚げ 札幌テレビ放送株式会社創立35周年記念出版
- 編著者名
- 藤村 久和 編者/若月 享 編集
- 出版者
- 札幌テレビ放送
- 出版年月
- 1994年(平成6年)3月
- 大きさ(縦×横)cm
- 27×
- ページ
- 370p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/F63
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
序(伊藤重孝)
発刊によせて(野村義一)
発刊によせて(梅原猛)
一 新問地方のくらし(高屋ヨネ媼)
一 私の家族
二 サッコタンの番屋
三 ニシン漁
四 マス漁
五 小学生のころ
六 新問の村
七 新問の共同漁場
八 育てのアキおば
九 弟との再会
一〇 終戦時のころ
一一 新問から西海岸へ
一二 樺太からの引き揚げ
二 白浜地方のくらし(西平喜太郎翁・多美媼)
一 幼いころの思い出
二 家計を助けるために
三 父の死と改姓
四 タラバガニ漁
五 白浜、そして新富浜
六 戦後のようす
七 教科書の誤り
八 北方領土への想い
追記
三 白浜地方のくらし(津山アイ子媼)
一 私の家族
二 白浜の学校と食べ物
三 戦後の暮らし
四 引き揚げのようす
五 稚咲内での暮らし
六 津山家に嫁いで
七 しゅうとさんらの死
八 夫の死
四 白浜地方のくらし(白川新作翁・八重子媼)
一 手記 サハリンの思い出〔一〕白浜の村
二 自分の生い立ち
三 手記 サハリンの思い出〔二〕カラフトのこと
四 白浜の住宅
五 手記 サハリンの思い出〔三〕白浜の人々
六 新富浜への移住
七 手記 サハリンの思い出〔四〕ボタケ婆さん
八 手記 サハリンの思い出〔五〕巫術
九 手記 サハリンの思い出〔六〕白浜神社
一〇 入隊、そして帰宅
一一 父の死
一二 安藤久太郎さんのこと
五 来知志地方のくらし(白川八重子媼・新作翁)
一 終戦のころの様子と石村トカンテ翁
二 終戦直後、孵化場に隠れる
三 終戦直前、逃げる途中で産婦を助ける
四 宝沢の旅館に助けられる
五 真縫で終戦を迎える
六 来知志へ戻って
七 艦砲射撃、傷を負った少年達
八 来知志の被害
九 来知志のロシア人
一〇 鵜城で引き揚げを待つ
一一 鵜城から真岡へ
一二 真岡では野宿
一三 荷物検査
一四 引き揚げ船に乗って一息つく
一五 函館での不公平な検査
一六 引き揚げ船で起きた事件
一七 函館で母・姉と再会
一八 鹿部町出来澗
一九 母・藤山ハル媼の苦労
二〇 函館へ
六 来知志地方のくらし(小泉妙子媼)
一 引き揚げ前の概要
二 久春内の宿
三 終戦時の逃亡
四 引き揚げまで 冬、ロシアの樽作り
五 引き揚げまで 夏、網工場
六 カントラ
七 配給食糧
八 樺太の食用植物
九 刺し網と魚の保存
一〇 引き揚げ 真岡まで
一一 真岡の収容所で 配給
一二 真岡の収容所で 水汲みとトイレ
一三 検査とDDT
一四 引き揚げ船
一五 函館の収容所で
一六 振内へ入植
一七 不慣れな農作業
一八 荷負へ移って
一九 父母の仕事
二〇 イラクサの糸
二一 子供のころのいたずら
二二 母の行商
二三 富川の旭町
二四 母の思い出
七 多蘭泊地方のくらし(田沢千代媼)
一 自分の生い立ち
二 祖父のこと
三 祖母のこと
四 父のこと
五 ハクチョウの肉鍋
六 小学校へ入学
七 横山ハナエ先生のこと
八 学校に行けない子
九 初めての就労
一〇 私の子供達
一一 引き揚げの様子
一二 物売り商売
一三 苫小牧の駅弁のこと
一四 孫のウルシかぶれ
一五 池田町でのできごと
一六 池田町高島での物交
一七 手作り醬油のこと
一八 復員兵との出会い
一九 夫の死
二〇 息子の死
二一 鍼医者の経験
二二 島のコンブ売り
八 多蘭泊地方のくらし
一 土方をしながらの勉強
二 終戦前の漁業
三 ロシア占領下での漁業
四 家族の引き揚げと密航断念
五 引き揚げ
六 余市へ、そして江良へ
七 コンブや魚介のおいしさ
八 斜里での建て網
九 造材山で
一〇 土方節と木屋の音頭
一一 ヒラ出しの技術
一二 土木技術の今昔
索引
地名
人名
アイヌ語
あとがき
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