想ひ出の記録
◇写真(近衛兵)
◎生い立ち家の様子
一、晴れて近衛の兵隊さんとして
(イ)軍旗南支より還える
(ロ)内務班教育
(1)軍旗祭や祝日、激励文や面会
(2)同郷出身者の懐かしさ
(ハ)上等兵候補にはいる(聯隊旗手伝令勤務)
(ニ)守衛教育
(1)戌号演習参加
(ホ)秋季演習は軍旗とともに
◇戦時下銃後の世相
◇写真(憲兵)
二、上等兵となり、陸軍憲兵に転科希望
(イ)憲兵学校での訓育練習は
(1)憲兵志願受験
(2)上等兵となり、陸軍憲兵に転科す
(3)憲兵下士官候補の熾烈な訓育が始まる
(4)憲兵に転科し、「勅令憲兵
として国軍擁護の任に就く
(5)戦捷祝賀大観式の警備に参加す
(6)陸軍での最期となった戦勝凱旋部隊の軍装検査に従事す
(7)大本営陸軍部(市ヶ谷台)の防諜班勤務に就く
(8)弟鋹秋との永久の別れ
(9)司法班付となる
(ロ)隊付勤務
(1)軍事警察功労章二回受賞
(2)隊の基幹人員となる(東条邸警備官)
(3)特攻(思想政治)外事防諜勤務
(4)中野正剛の死語を無にした為政者の愚
(5)三月二十五日、渋谷分隊荏原憲兵分駐所開設さる
(6)終戦をむかえ
(7)故郷に帰りて
三、戦犯容疑で進駐総司令部に呼出し出頭
四、身近な戦犯刑死者『東条英機、本川貞憲兵中尉』の想い出
(1)戦争犯罪人を軍事裁にかけた東京裁判は何であったか
(2)大東戦争を開戦した日本国総理大臣として、統括責任者として刑死した東条英機さんについて
(3)旧憲兵隊上官本川中尉、B級戦犯で絞首刑となる
(4)天皇の名代でA級戦犯として入所した在郷軍人会総裁梨本宮守正王殿下(陸軍元帥)と昭和天皇の大叔父の存在(七十二歳)
(5)自虐史観を正そう(平成九年九月九日に想う)
五、数年は警察感があった
◇昭和四十二年四月より四期(十六ヶ年)豊田市政に政治生命をかけた加藤秀夫議員 就任中(発案・予算化等)開発の概要表
◇俳句集(視察地等に於いて)
◇年譜
◇あとがき