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図説佐賀・小城・多久の歴史

サブタイトル1~10
佐賀県の歴史シリーズ
編著者名
福岡 博 監修
出版者
郷土出版社
出版年月
2009年(平成21年)2月
大きさ(縦×横)cm
31×
ページ
231p
ISBN
9784863750036
NDC(分類)
219.2
請求記号
219.2/F82
保管場所
閉架一般
内容注記
参考資料:p229 佐賀・小城・多久の歴史年表:p221-226
和書
目次

原始
佐賀平野の成り立ち -阿蘇四の噴火が有明海を作った
多久茶園原の旧石器人 -大量の石器製作跡
海に没した縄文集落 -最古の湿地性貝塚・東名遺跡
拓かれた佐賀平野 -稲作農耕の始まり
遺跡に見る渡来文化 -渡来の人々
ムラからクニへ -惣座環濠集落との戦い
王の出現 -中国王朝との交渉
鍋島本村籠の多紐細文鏡をもつ巫女 -邪馬台国と佐賀
弥生人の工芸技術 -出土品に見る多様な文化
「伝説」から「史実」へ国際交流広まる -佐賀・徐福シンポジウム

古代
古墳の築造① -寄居古墳・銚子塚古墳・茶筅塚古墳
古墳の構造② -船塚古墳・熊本山古墳の石棺・久保泉丸山遺跡
ヤマト政権の進出 -磐井の乱と佐賀の君
『肥前風土記』の世界 -淀姫神社と大石群
肥前国府の設置 -肥前国府跡と古代官道の発掘
肥前国分寺の造営 -日本最大級の七重の塔
氏寺の造営 -大願寺廃寺・寺浦廃寺と椅寺の鐘
条里制の施行と荘園 -小城郡の条里
謎の古代山城 -帯隈山神籠石
鑑真和上嘉瀬津に上陸 -近年鑑真船競争で賑わう

中世
佐賀周辺の荘園 -権門勢家に寄進して利権を確保
台頭する武士たち -鎌倉幕府の権力を背景に伸長する御家人
中世武士による土地開発 -淀姫を勧請して耕地化
少弐氏と肥前 -「花ぞ散る」少弐氏の衰滅
千葉氏の隆盛とその動向 -肥前千葉氏と本拠地千葉城
南北朝時代の佐賀 -南朝方の孤塁を守った懐良親王
九州探題今川了俊と肥前 -九州を室町幕府方に統一した貞世
前多久氏と多久の存立 -宗直の下向から宗利の敗走まで
南北朝時代の悲劇の武将 -阿蘇神社大宮司阿蘇惟直の墓
肥前一の宮・河上神社 -佐賀平野の水と農業の神・与止日女命
肥前の社寺文化 -社寺の建立と仏像の寄進
龍造寺長信と芳岩 -後多久氏のはじまりと小田氏の末裔
龍造寺氏中興の祖・家兼(剛忠) -少弐氏譜代股肱の輩の龍造寺氏
佐々木氏か、少弐氏か、鍋島氏の出自 -田手畷合戦が鍋島氏台頭の礎
謀りては智、戦いては勇の神代勝利 -近世に大身のまま苗字を伝えた戦国武将の家
九州を席捲した五州二島の太守 -勇猛果敢な龍造寺隆信
今山の戦い夜討ちの勝利 -直茂の沈着なる判断、機略、佐賀を救う
龍造寺氏から鍋島氏へ -龍造寺氏を支えて勢力拡大
政治的器量を備えた武将 -秀吉も評価した鍋島直茂
園田二郎兵衛はし網免許由来 -園田二郎兵衛家に伝わる

近世
関ヶ原の戦後処理 -佐賀藩存亡の危機
鍋島佐賀藩体制の確立 -佐賀城総普請と町づくり
李宋歓と唐人町の由来 -佐賀藩発展に寄与した大商人
水の恵みをもたらした偉人 -成富兵庫茂安と水利事業
七万三〇〇〇石の支藩 -小城藩の成立
小城町の成立と町並みの変化 -千葉氏と鍋島時代
恨みを買った蓮池藩 -蓮池藩の成立
龍造寺家から村田家へ -村田家の成立
藩政を支えた安順・茂辰父子 -近世多久家の成立
島原の乱と佐賀藩 -原城一番乗り
福岡藩と隔年で警備を担う -長崎警備の大任
肥前忠吉と名刀一族 -今に残る旧宅の跡
領民に教育の門戸を開く -多久聖廟と東原庠舎
先進的な教育改革を断行 -弘道館と郷学
現代に通じる武士道の書 -『葉隠』の成立
フェートン号事件の波紋 -海外の脅威自覚
鍋島直正の国づくり -先進性と実行力
有明海の干拓づくり -干拓で出来た穀倉地帯
勤王運動の拠点・楠公義祭同盟 -楠神社で毎年五月祭礼実施
国防の危機にいち早く対応 -反射炉の建設と精煉方
柳生新陰流と小城藩主 -歴代藩主により継承
宿場町と舸子町 -陸路と海路で賑わう牛津宿
石造彫刻の革新を目指した石工 -砥川石工の活躍
蘭方医と種痘 -佐賀に始まった種痘
近代海軍ここに興る -三重津海軍所
致遠館の成立と活動 -英学校の端緒
戊辰戦争と鍋島藩 -近代火器の導入に成功
日峯社(松原神社)の成立と祭礼 -藩祖直茂公二五〇年祭
幻の大庭園『観頤荘』と鬼丸聖堂 -元禄期の教育・文化施設
桜岡と自楽園 -茶道に始まる小城の文化
現代箏曲の源流 -諸田賢順と筑紫箏

近代
明治維新と佐賀 -俊才の登場
佐賀戦争の経過 -大久保利通の謀略
博愛の名のもとに -西南戦争と佐野常民
独立運動、実を結ぶ -佐賀県誕生の推移
佐賀が生んだ偉人たちの顕彰 -郷土教育で普及をはかる
好生之徳 洽干民心 -好生館病院の成立
佐賀の近代教育 -二十世紀初頭に県内就学率は一〇〇㌫に近づく
佐賀に汽車走る -鳥栖-佐賀間で開通
開物成務を生涯の使命とした石炭王 -高取伊好と炭坑
市制派と町制派が対立 -佐賀市制施行
銀行の設立と推移 国立銀行の歩みより
佐賀の近代工業 -機械の真崎・谷口の鉄工場 ガラスの精煉会社
佐賀五十五連隊の設置と解体 -跡地は戦後引揚者の住宅となる
米価の相場をきめ、地域経済の発展に寄与 -米穀取引所と商工会議所
時代の機運から生まれた新聞 -佐賀新聞に見る新聞の歩み
肉弾三勇士と空閑少佐 -上海事変に従軍
故郷に吹いた美術文化の風 -「佐賀美術協会」の誕生
閑叟公銅像と佐賀図書館 -鍋島家と佐賀
無念の涙 みな泣いた -佐賀空襲と終戦
佐賀の風土に息づく味 -小城羊羹

現代
進駐軍と佐賀の動向 -矢つぎ早の指令に混乱続く
佐賀県庁の火災と復興 -米兵も消火に協力
産炭地多久の復興と閉山 -国のエネルギー政策の狭間で
乱闘県議会と佐教組事件 -殿さん知事時代
大学教育で豊かな人材を送り出す -佐賀大学・短大・医大の開校
「減反」農政に翻弄されながらも -日本の食料基地佐賀平野
佐賀国民体育大会盛会に終わる -佐賀県男子天皇杯、女子皇后杯二位獲得
二十一世紀の佐賀を拡ぐ -有明佐賀空港
秋の佐賀平野を彩る「熱気球大会」 -佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
佐賀の偉業再発見 -佐賀城本丸歴史館の建設
県政一〇〇周年記念事業 -「文化立県」「技術立県」目指す
「野球の神様が味方した」 -佐賀商・佐賀北の夏の甲子園全国制覇
佐賀ん町のえびすさん -佐賀のえびす再生