館林の近代・現代
口絵
はじめに
『館林の近代・現代』の刊行に寄せて
目次
凡例
館林市域の現町名と主要道路図・旧館林町の町名図・館林の位置図
総説 館林にとっての近現代
第一章 近代国家の成立と館林(明治四年~明治三十八年)
第一節 近代の開始
一 廃藩置県と大区小区制
廃藩置県 大区小区制の実施と地方民会設置 警察と徴兵制軍隊の誕生 群馬県への編入
二 文明開化と地租改正
文明開化の諸相 国民教化政策の展開 地租改正
三 近代教育のはじまり
学制の公布 小学校の設置 小学校への修学奨励 士族と平民
四 明治維新と旧藩士の動向
廃藩置県と士族の困窮 館林巡査 士族の反乱と西南戦争
第二節 自治町村の成立と日清・日露戦争
一 自治制度の発展
三新法の施行 連合戸長制の実施 町村合併案の提示 新宿村・松原村の異議申立 日向村・岡野村の帰属問題 町村合併の断行 町村制の施行 区・大字の残存
二 自由民権運動と帝国憲法体制
自由民権運動とは 館林の民権結社交親会と国会開設請願 自由党への参加と福島事件 民権結社猶興社の活動 大同団結運動への参加 大日本帝国憲法発布と帝国議会開設
三 日清戦争
初めての対外戦争 地方行政と召集事務 地域における戦争支援 日清講和 日清・日露戦間期の館林
四 日露戦争
開戦直前の緊張と開戦 銃後支援と地域状況 戦死者の葬送 戦勝祝賀とその後の紀念のありかた
五 士族の就産事業
士族の就産事業 秋元家による士族の救済事業 秋元家による城沼水産事業 旧館林藩士による士族就産事業 旧館林藩士の子弟の救済と奨学金 邑楽青年会の創立 さまざまな士族の団体
六 館林城地の変遷
旧城跡・建物の払い下げ 旧城地の買い戻し 記念碑の建立
第三節 足尾鉱毒問題と地域社会
一 足尾鉱毒問題の出現
足尾鉱毒問題の歴史的な意味 水郷地帯としての鉱毒被害治 足尾銅山の開発 足尾銅山の鉱毒とは 鉱毒被害の顕在化 鉱毒被害への対応 田中正造の登場 示談交渉の推進
二 鉱毒反対運動と川俣事件
足尾銅山鉱業停止請願事務所の設置 足尾銅山創業継続を求める声 第一回・第二回東京押し出し 第一次鉱毒調査委員会の設置 鉱毒反対運動への弾圧 地方自治の侵害 第三回東京押し出し 第四回東京押し出し計画 川俣事件 川俣事件裁判闘争の開始と「亡国」演説
三 転換期の鉱毒反対運動
田中正造の「直訴」 第二次鉱毒調査委員会の設置と鉱毒反対運動 鉱毒反対運動の行き詰まり 鉱毒対策としての河川改修事業の提起
第四節 明治前期の諸産業と経済の近代化
一 町場の経済と諸産業
邑楽郡の特徴 町場における商業活動 製糸会社 館林の醸造業 酒造家の経営 醤油醸造家の経営 館林と中野の織物業
二 第四十国立銀行の設立と経営
金融制度の近代化 設立の経緯 経営の展開と株主層の変化 その後の経営動向
〈コラム〉つつじが岡公園の復興
第二章 日露戦後・大正デモクラシー期の館林(明治三十八年~大正十五年)
第一節 日露戦後の社会
一 疲弊する地域社会と地方改良運動
増税負担と国民生活の圧迫 町村財政の再建と地方行政の効率化 衛生観念の普及と生活習慣の改良 各村における青年団体の設立
二 明治期の水害
頻発する水害 明治四十三年の大水害
三 小学校教育の充実と青年期教育の開始
尋常小学校無償かと義務教育年限年長 小学校への就学・出席の督励強化 太田中学校邑楽分校の設置 館林尋常小学校内の夜学会開設
四 明治天皇の崩御
大喪と館林 大正天皇の即位と館林での祝賀 明治神宮造営への参加
第二節 政党政治の浸透と鉱毒問題
一 鉱毒問題から治水問題へ
武藤金吉の登場 鉱毒に反対する武藤金吉の議会活動 谷中村廃村と武藤金吉の立憲政友会入党 鉱毒被害民の方向転換
二 田中正造の孤独な闘い
田中正造の被害民への批判 田中正造と鉱毒被害民との直接対決 田中正造と鉱毒被害民の心情 田中正造の死
三 鉱毒をのりこえる思想を目指して―田中正造が求めたもの―
自由民権から国会開設への道 憲法・法律を武器とした鉱毒反対の主張 「非命死者」のイメージ 自然環境への着目 「天」=自然への期待 治水における自然回帰 「人為」総体の相対化 田中正造から学ぶべきこと
第三節 日露戦後の産業と経済
一 交通網の変化
鉄道開通以前の交通と渡船 東武鉄道の開通と町経済
二 産業の発達
館林製粉の誕生 上毛モスリンの設立 館林織物市場の開設
三 通信・生活インフラの整備
電信の普及 電話の普及 郵便 電燈
第四節 第一次世界大戦と関東大震災
一 選挙権拡大と地方自治
民衆運動の活発化と選挙権拡大への準備 民力涵養運動と地方行政の合理化 青年団体・処女会等の各種団体の発展 第一回国税調査の実施
二 変動する社会と人びとの生活
人びとの困窮と社会運動 社会調査の実施 窮民救助と職業紹介事業 米騒動の影響
三 関東大震災と館林
関東大震災の発生 被災地の救援 避難者の流入 館林町の混乱 避難者への対応
四 社会教育の拡充
小学校教育の充実 中等学校の発展 実業補習学校と青年訓練所 秋元文庫と館林図書館 社会教育の広がり
第五節 大正期の産業・経済
一 第一次大戦期の館林経済
大戦景気の波及 日清製粉の拠点の移転 上毛モスリンの拡大 邑楽織物業の発展 正田醤油株式会社の経営拡大
二 鉄道の拡充
佐野鉄道の合併 中原鉄道の開通
三 農村の変化
小作調査と慣行 農業用水路の整備 耕地整理事業と農地の開発 大谷原の開拓 水産業と漁業組合
〈コラム〉田山花袋が見た館林の近代化
第三章 アジア太平洋戦争の時代(昭和元年~昭和二十年)
第一節 昭和初期の政治と社会
一 普通選挙の実施と町村の政治
男子普通選挙の実施 選挙粛正運動 戸数割異議申し立て
二 恐慌下の社会状況
館林の不況 社会政策の進展 救済の状況 軍事援護事業の整備
三 戦時体制のはじまり
満州事変とその前後 軍事援護団体の活動 献金・献納運動の展開 戦勝祈願と祝賀
第二節 昭和戦前期の産業・経済
一 一九二〇年代の不況と町経済
恐慌下の町経済と行財政の展開 産業組合の展開 館林信用組合の設立と展開 人口の停滞 館林ガスの成立
二 織物業の変転
上毛モスリンから共立モスリンへ 工業試験場館林分場の設置 織物同業組合事務所の館林移転
三 観光と娯楽産業
日帰り旅行の普及 名勝「躑躅ヶ岡」の指定 茂林寺と分福茶釜 花街と見番 館林競馬場の盛衰 その他の娯楽
四 昭和恐慌下の農業
農村地域への影響 高知整理組合脱退運動と地主小作関係 農村土木事業の実施
第三節 総力戦下の館林
一 戦場の兵士たち
館林地域出身兵の主な部隊 日中戦争の全面化と高崎連隊 アジア太平洋戦争へ ダンピール海峡の悲劇 ニューギニアでの苦闘 インパール作戦 満州・パラオ・ペリリュー 広島で被爆 終戦と復員
二 戦時下の暮らし
戦争の拡大と戦意高揚 隣組 配給と供出 金属回収と代用品 戦局の悪化と銃後 館林の空襲
三 陸軍館林飛行場
飛行場用地の買収と建設 熊谷陸軍飛行学校 陸軍特別操縦見習士官 陸軍航空士官学校 五十九期生の満州移動 第三十銭湯飛行集団館林集成教育隊 特攻の訓練 開拓農場と関東学園
四 戦時下の学校
銃後体制の強化 青年学校の誕生 小学校の国民学校への改組 勤労動員・奉仕と非常時の教育
第四節 戦時下の産業・経済
一 館林の産業状況
組合事業による統制 食糧の統制と供出
二 織物の統制
工業組合への改組 企業合同と企業整備
〈コラム〉巨人軍、茂林寺の猛練習
第四章 戦後の発展と館林市の誕生(昭和二十年~昭和五十四年)
第一節 戦後復興から館林市の誕生へ
一 敗戦と戦後改革
戦死者・未復員者・空襲被災者 占領軍 新憲法の制定 公職追放と教員適格審査 町内会・隣組・警防団の廃止と再編 女性参政権と地方自治 自治体警察の成立と廃止 カスリン台風の被害
二 さまざまな組織の出発と活動
労働組合の結成 戦後婦人会の成立 青年団・4Hクラブの活動 子ども会・文化運動・草花クラブ 生活改善の運動
三 戦後教育のはじまり
終戦の混乱 占領軍による教育改革 六・三・三制の成立 関東短期大学の設立 館林東小学校と第二中学校の新設
四 館林市の誕生
合併前史 町村合併促進法 県合併試案 県の宣伝 各町村内の意向 八町村合併の強力な推進 八町村合併の実現 新市機構の整備、市長・市議会選挙
五 皇太子妃祝賀行事
皇太子妃の決定 ご成婚の祝賀
第二節 戦後復興期の産業・経済
一 農地改革と供出
農地改革 農地取り上げ問題 食糧供出
二 諸産業の復興
館林産業株式会社 邑楽郡地域の商工業 「織都館林」の再興に向けて 神戸生絲の進出 館林織物連合協同組合の結成 館林紬の隆盛
第三節 高度成長時代の館林
一 高度成長と暮らしの変化
高度成長時代の到来 人口・産業構成の変化 館林での家電製品の普及 三の丸広場の文化的活用 東京オリンピックと館林のレスリング 分福ヘルスセンター 福祉施策の発展 住民運動 青年団・婦人会の転機 大西飛行場 東武線踏切事故
二 市政の動向と諸施設の建設
市長選挙 市議会議員選挙と市議会 市営火葬場の移転問題 市役所・公会堂の建設 上下水道の建設 し尿・ゴミ処理問題 病院 東北道インターチェンジの開設 都市計画・区画整理 住居表示
三 自然・生活環境復活への取り組み
館林女子高生物部の城沼汚染調査 多々良沼・鶴生田川・茂林寺沼の環境問題 「自然を守る会」運動と浄化の進展 工場公害の防止 戦後の鉱毒問題
第四節 高度成長期の産業・経済
一 製造業の展開と工場誘致
工業部門の発展 工場誘致 重化学工業化の進展
二 高度成長期の商業
商業の拡大 商店街の実相と消費者の購買行動 大型店の進出 郊外店の誕生 商店街の近代化の模索
三 農業と土地改良事業
蔬菜栽培と農業近代化 さまざまな土地改良事業 多々良沼干拓事業 近藤沼土地改良事業
〈コラム〉戦後の映画館と映像文化
第五章 水緑都市・公園文化都市を目指して(昭和五十五年以降)
一 市政の動きと基本構想・計画
市長・市議会 総合計画・基本構想 人口・産業構成と各計画・構想 計画の発展 新市庁舎・諸施設の建設 館林駅前整備と区画整理の進行 財政・行革 路線バスの廃止と復活 学校の変遷
二 新しい課題への取り組み
国際交流の施策 国内友好都市との交流 男女共同参画へ 館林での原水爆禁止運動 非核平和都市宣言 暑さ対策 東日本大震災 近年のその他の災害 行政区・隣組
三 いつまでも星が輝き、メダカの泳ぐ まちづくり
水緑モデル地区の指定 城沼サミット 環境基本計画の策定
四 躍動する館林
あかぎ国体 関東学園大学附属高校の甲子園出場 向井千秋、日本初の女性宇宙飛行 キャラクターの登場
〈コラム〉歴史の小径~歴史を生かしたまちづくりへの取り組み~
別編 合併以前の町村史(明治二十二年~昭和二十九年)
別編 合併以前の町村史
1 館林町
2 郷谷村
3 大島村
4 赤羽村
5 六郷村
6 三野谷村
7 多々良村
8 渡瀬村
掲載写真一覧
参考文献一覧
所蔵者・協力者一覧
関係者名簿
あとがき