戦後七十年の証言「生の声」
はじめに
一 前橋陸軍予備士官学校での体験など
特甲幹の足跡―出陣学徒壮行会、徹底抗戦のビラ(神崎信雄)
前橋陸軍予備士第十期生の私と回天の都所静世君のこと(牧正重)
習志野学校、前橋陸軍予備士官学校のことなど(小林二三雄)
特甲幹第二期生・相馬ケ原での思い出―在学中に終戦(関宰)
特甲幹第二期生「安井会だより」より(安井正/宮澤一成/山本忠雄/金杉光二/小笠原尚介/川添恵美/野倉孝之/土田雅之/深瀬幸夫/片倉義/川端武男/河合秀裕/関宰/前沢東洋治)
前橋陸軍予備士官学校での修養録―歩兵第二機関銃隊(吉澤博)
東部第三十八部隊・納部隊・前橋陸軍病院入院(猿木智浄)
二 満州開拓団、中国、シベリア抑留などの体験
高齢男性の青春の思い出―老健施設での聴取より(松崎茂)
南京事件・満蒙開拓団・ソ連捕虜収容所など(吉田徳治)
旧新里村満蒙開拓団聞きとり調査より(加部二生/小菅アサ/広沢久子/小菅太一郎/松井二三枝/富沢キヨ/鈴木辰造)
分村移民で満州へ、そして榛名山西麓に入植(髙橋清重)
草創期の満蒙開拓青少年義勇軍の記(中山五四一)
内原訓練所、大石頭訓練所のことなど―父が残した写真より(福田洋子)
従軍看護婦―中国最前線(村澤絹子)
満州で過ごした終戦直後のあれこれをふりかえり(林克明)
私の昭和二十年―北支那方面軍司令部甲第一八〇〇部隊副官部経理室(藤嶋愛子)
満鉄職員の街、蘇家屯―蘇家屯への移住・抑留生活・引揚げ(星野雅俊)
シベリアでの強制労働―五百人中三百人余が死亡・思想教育係(江口一一)
慟哭(室岡敏雄)
父のシベリア抑留と帰還を待つ家族(川野健一)
三 ガダルカナル島、ルソン島、ラバウル、パラオ諸島、ビルマなどの戦記、遺書
「い号作戦」と山本五十六の巡視―「基地日記」より(栗原三郎)
志那、ニューギニア、ルソン島を転戦(宮前進)
比島戦線を偲ぶ―満州・ダバオ・投降・復員のことなど(和田政男)
菊池元治がラバウルから妻喜美に書いた最後の手紙(菊池義治)
戦死した父のあとを訪ねて―パラオ諸島(菊池森蔵)
「俺が死んだら土の中に埋めるな」-父のビルマでの戦闘と手簿(代田幸次郎)
四 特別攻撃隊の体験など
広島原爆の救援に参加して(砂長義男)
伊号第二四潜水艦 機関兵の日誌-シドニー港の血戦場(加藤兵蔵)
真珠湾攻撃で「捕虜第一号」となる(加藤大助)
最後の特攻(佐藤陽二)
ゼロ戦作り、予科練に入隊、海の特攻を送る(高木晋)
愛機「月光」がグラマンにより炎上(細野甲孔)
陸軍特殊船「神州丸」と共に逝く(片貝一英)
五 東京、前橋などでの空襲体験
東京大空襲―向島吾嬬橋から京橋八丁堀まで(須藤秀雄)
父母、きょうだい七人の命を奪った東京大空襲(伊藤雅基)
千葉駅のホームに死体の山(神保平三)
前橋空襲―祖母と私の怪我(佐藤昭子)
前橋大空襲―忘れられないこと、忘れてはいけないこと(阿佐美君代)
群馬郡箕輪町の防空監視哨(岡田保夫)
B29の編隊で伊豆大島上空が暗くなった(武井保男)
六 中学生・女学生の学徒動員、軍需工場での体験など
前橋中学校の学徒動員、前橋大空襲など(稲垣昌俊)
査閲―配属将校と教練(間庭活哉)
我が中学時代と堤ヶ岡飛行場に関わること(福島郁夫)
命あるうちに(髙橋美恵)
学徒動員と前橋空襲(清水家寿子)
学徒動員―理研工業前橋工場(宝条克子)
父の遺言通りに生きる(宮山恵子)
死ぬも生きるも親子一緒(田中妙子)
中島飛行機製作所の徴用、洲ノ崎海軍航空隊へ(髙橋恵祐)
昭和十七年四月中島飛行機前橋工場に入社(塚田忠男)
軍需工場、東京の空襲、忘れられない八月十五日(大森タツ)
七 国民学校の子どもの体験など
北野寺の学童集団疎開、梵鐘の供出、父のことなど(井口美由紀)
私は小学校に行っていないのです―東京大空襲と集団疎開(若林克己)
沼田育ちの一少年の思い出から(熊澤峻)
菅谷の飛行場、前橋空襲―幼少期の思い出(青木健二)
私の戦中戦後(住谷幸子)
軍国少年・百姓少年として育った戦時下(串田哲夫)
勤労奉仕、叔父の出征、前橋・元総社の空襲など(小林成太郎)
上陽村国民学校での体験(岡田喜美雄)
ビラ(伝単)の思い出-赤子の体験記(金古正士)
遊び場となった堤ヶ岡飛行場のことなど(福田辰男)
無意識に吸っていた戦争という空気(新井正治)
一つの電燈の灯りと白米弁当(住谷巻男)
戦争と私(佐鳥英雄)
八 台湾での小・中学生の体験
下着姿の兵隊―台湾の学徒兵部隊、台北の空襲(青木幸三)
台湾での小学生時代―愛国教育・空襲・父との別れ(宮原和泉)
あとがき