図書目録ヨンジュウネン マエ ノ センダイ資料番号:060006482

40年前の仙台

サブタイトル
写真帖 路面電車が走っていたころ
編著者名
小野 幹 写真/高橋 こうけん 写真/日下 信 文
出版者
無明舎出版
出版年月
2010年(平成22年)6月
大きさ(縦×横)cm
15×21
ページ
111p
ISBN
NDC(分類)
212.3
請求記号
212.3/O67
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

昭和四十二年、歴史と人情のまち荒町に押し寄せた「交通戦争」
一日田んぼで遊びつくす、子どもたちの姿があった七郷
仙台初の鉄筋コンクリート中層住宅、同心丁県営アパート
昭和三十二年一月、冬の陽が射す広瀬通、東一番丁の角
二度の大火をくぐり抜け、今も残る「仙台銀座」
戦前の面影を残し、静かな家並みが続いていた木町通
吊り橋を渡ってお花見へ。八木山は市民の憩いの場所だった
戦災復興が進む仙台のまちを「輪タク」が走っていた
小さな店がちまちま並ぶ五橋。交差点には人も車もあふれていた
「ゼロ番丁」から仙台を代表する飲食街へ
貞山堀わきを墓地に向かう。昭和四十五年、荒浜の送り盆
近郊の農家や運送会社の馬車が行き交った原町本通り
地域の人がこぞって出かけた、七郷神社のお祭り
青果市場や工場に通う人でにぎわった行人塚踏切
昭和三十一年十二月、南材木町。生活は、みんな町内の店で事足りた
市電に乗って大勢の人が詰めかけた、大崎八幡宮どんと祭
「遠藤商店」を探し中田からさらに南、名取市増田へ
鉄道で分断された仙台の東西を結んできたX橋
か細いケヤキとぬかるみで始まった、青葉通
それぞれの思い出を彩る青葉神社のお祭り
広瀬川の対岸、川内地区は米軍キャンプと静かな住宅街だった
復興途中のまちで繰り広げられた三瀧不動さんの夏祭り
「駅裏」から「駅東口」へ。呼称とともに変わったもの
六十年を経ても変わらない、東一番丁の「連鎖街」
数多くの歴史ある町名が消えた小田原界隈
職住一体で活気があった東一番丁のとなりまち
アーケードはなくとも、にぎやかだった東一番丁
青葉通と東一番丁の角にはいつも森天祐堂があった
馬車やオート三輪が走っていた長町のミリオン劇場前
戦災復興事業で、二筋の通りが一本にまとめられた北材木町
昭和三十八年三月、まだ空き地が目立つ旭ケ丘
のんびりと馬車や市電が走る昭和三十年ごろの土樋
敗戦後の数多くの記憶が色濃く刻み込まれたX橋
数寄屋造りの割烹が軒を連ね、落ち着きあるまちだった本櫓丁
わが国初のオリンピックの年、盆踊りは「東京五輪音頭」で
仙台市電と白い協会が彩る北四番丁の思い出
戦災後の復興事業で墓地を移転し整備された愛宕上杉通
リヤカーと農家の人でごった返した長町青果市場前
交通戦争が激化するなか、三居沢の動物園跡地は交通公園に
仙台市電と東北本線が交差した国道四十五号の花京院橋
行楽地からニュータウンへ大きく変貌した「中山」
昭和三十年代の河原町、にぎわいの思い出
土地区画整理で消えてしまった「十文字」の交差点
陸軍の練兵所から運動公園へ、戦後大きく変わった宮城野原
明治時代依頼の商店街としてにぎわっていた二十人町
大都市・仙台の隣で消えた分校ある里山
昭和三十六年七月、西公園に待望の市民プールが完成
道幅五~六メートル、まだ大八車が似合った上杉山通
昭和四十一年初秋、南小泉に迫る住宅化の波
昭和四十八年の写真から、東一番丁界隈の歴史をたどる

参考文献
あとがき

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