大妻コタカ
口絵(大妻女史の近影及び自筆)
はしがき
序章 最近の大妻コタカ女史
生いたち
生地
生家と子供時代
修学-川尻小学校奉職-上京して再び勉学
神奈川県の教員養成所試験に合格-鎌倉尋常小学校に赴任
ショッキングな結婚-生涯の転機
思いがけない結婚
大妻家及び大妻良馬について
私塾時代
大島大将邸内にて私塾を開く
山階宮邸内に移転、「東京技芸教授所」の看板を出す
私塾の拡張、発展、「大妻技芸伝習所」と改称
我が国最初の試み-「技芸講習会」を開く
躍進時代
「学校」として認可される-「大妻技芸学校」となる
現在地へ移転
宮家に手芸教授にあがる
躍進期の社会的背景
高等女学校の設置
新校舎の建築-夫良馬、専心学校の経営に当る
校舎新築とコタカ女史の喜び
校主大妻良馬の重大〝決意〟-新校舎落成式「式辞」にて
関東大震災の試練
新築校舎もすべて灰燼に帰す
良馬、政府の復興貸付金実現に奔走
名士達によって義捐金の〝檄〟飛ぶ
働く女性に門戸開く
日本で最初の「夜間女学校」開設される
大方針の基礎固まる
大妻学校「設立十周年記念」と校主による将来の〝構想〟
校主大妻良馬の人生観
出版活動の重視
夫良馬の死
大妻良馬突如逝く
コタカ女史の決意
華々しい活躍
東郷さんの来校
大妻コタカの名、全国に知れわたる-当時の新聞記事などから
新聞記事にみた当時の女学生の「結婚観」
その後の大妻学院、鉄筋校舎の完成
コタカ女史の活動ますます多忙をきわめる
世界教育会議にて研究発表
大妻女史考案の「五尺帯」普及運動
五尺帯の特徴
念願の専門学校認可される
失意のどん底
戦後追放される
再起のきっかけ-藍綬褒章受章
女史の戦後の放送から
藍綬褒章を受章し、天皇陛下からお祝の言葉を賜わる
尊敬する人
思い出に残る人-吉岡弥生女史のこと
見事なカムバック
女史の充実と学院の充実
創立五十周年を迎える
大妻女史、学長、校長にも復帰-その年「喜寿の祝」
女史の信念
NHKテレビ・インタビューから
時局の雑感-雑誌「新日本春秋」にて
むくわれた長年の努力
叙勲の光栄に浴す
下手の横好き
女史の趣味
終章 大妻精神
大妻家の「家訓」と大妻学院の「校訓」