図書イマ カマセ シンペイ060006191

いま、釜瀬新平

サブタイトル1~10
九州女子高等学校100周年記念
編著者名
小池 雄介 執筆/九州女子高等学校 企画・監修/西日本新聞社 編集協力
出版者
九州女子高等学校
出版年月
2006年(平成18年)12月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
244p
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/Ka31
保管場所
閉架一般
内容注記
年譜あり
和書
目次

発刊に寄せて(学校法人九州女子高等学校 理事長 福田量)
はじめに

第一章 少年時代
農家の子には似合わぬ虚弱児
輝ける人/病弱な養父を助けた父/職務に忠実であれ/末期の父の思いに涙/本校の理念ににじむ母の面影/祖母に背負われて通学/ロウソクを自作して読書に没頭/いかに両親の庇護に報いるか/恩師との出会いを契機に/小学校高学年で教鞭をとる

第二章 中学校・師範学校時代
教師こそ転職
中学校進学を勧めた父の温情/いかんなく本領を発揮/教師も一目置く秀でた弁才/郷里の悪習打破・士気鼓舞にも尽力/言葉のなまりを克服する/茶目っ気たっぷりの演説/校長になるために師範学校へ/県下の俊才が集う教員養成機関/徴兵検査はめでたく丙種不合格/師範学校三年の運命的な出会い

第三章 津屋崎尋常小学校校長時代
青年校長の奮闘と挫折
師範学校卒業後の異例の抜擢/教育の意義を認めぬ漁師気質/尋常小学校再建に獅子奮迅の尽力/日清戦争に燃えたつ山笠気分/校庭につくった全国地理模型/全国地理模型の教育的意義/生涯の伴侶・トキ子夫人との出会い/臥薪嘗胆が国民感情に/釜瀬武の人心収攬術/母校校長の証言にわが意を得る/高等小学校増設論が転機に/青年校長の思わぬ挫折と決意/自ら学校を創設して経営するほかない

第四章 福岡師範学校訓導時代
地理模型の成功なければ死を
不遇を鞭撃つ非情な負債/筥崎八幡宮で得た着想/福岡師範訓導就任も家計は火の車/娘の衣類も売って東京へ/トキ子夫人の気丈な献身/模型ならずんばこの身を殺せ/日用の鍋まで鋳物用の鉛に替えて/地理模型事業の疲れで教務が手につかない/福岡師範を辞任し自由の天地へ

第五章 私立豫修館創設と大日本帝国交通地理模型製作
自由の天地へ
師範学校進学のための予備校を設立/師範学校入学希望者の期待に応える/白刃を交えるような授業風景/万国博覧会に地理模型出品/私立学校設立資金を得よ/壮大にして細部を神を宿す地理模型/製作スタッフはのべ一万人に/地理模型を携え米国へ

第六章 米国視察がもたらした萌芽
日本人の矜持と女子教育
地理模型は愛国心の発露/女子教育を重視した岩倉使節団/日本人の美質と誇り/大日本帝国交通地理模型への喝采/愛すべきエピソード/日本人の精神を育てた美しい国土/米国の女子教育に感銘/理想の女子教育の実現に向けて

第七章 福岡私立九州女学校創設
米国式女子教育と女大学
私立豫修館女子部として独立/米国式教育と日本古来の伝統の折衷調和/封建制度下の女性の心得示す『女大学』/日本女性の伝統的美質と教育の自由型/寄宿舎での日常生活すなわち教育の場/女学校から高等女学校への昇格はかる

第八章 私立九州高等女学校設立
草創期の苦難
もはや女子教育が必要かどうかではない/一高女学校の増設はなはだ急務なり/思いのほか生徒が集まらない/教え子に寄せる思いと生徒たちの心情/私たちが卒業したら学校は火が消えたよう/傷心の韓国旅行で得たチャンス/大空を眺めてお過ごしください/友人の忠告に卒業生を思って流した涙/学校にピアノがありますと嘘をつきました/厳父・甚兵衛氏の他界で決意固く/開校当時から盛んだったクラブ活動/家庭的な雰囲気で催された誕生会

第九章 九州高等女学校の隆盛と私学振興運動
わが身を省みぬ献身
生徒が喜ぶ顔をみるほど嬉しいことはない/朝鮮出張中の生徒との交情/生徒たちの誇りとなった最新式校舎/日々、社会の試験官から採点されている/善いことと思ったら即刻実行する/私立学校と公立学校の違いとは/親元を離れて悲喜こもごもの寄宿生活/不合格に泣く女子を一人でも助けたい/受験生の半分以上を不合格にする苦悩/子どもたちの成長と肉親との別離/私財をなげうち本校を財団法人に/釜瀬校長自ら一千戸以上を個別訪問/予想以上の寄付を得て学校設備を拡張/洋服の制服と校章・校歌の制定/昼食をごま塩にして国家奉仕/強く、正しく、優しくの三訓に込めた思い/言葉には価値がない、価値は事実にある/「弱きものよ、汝の名は女なり」にひそむ甘え/公立学校と私立学校に不公平があってはいけない/私学振興運動、全国展開へ/類稀な献身にしのびよる病魔

終章 巨星にわかに堕つ
生命を燃焼し尽くして後進に託した聖火
藍綬褒章受章を両親、祖先に感謝/栄えある受章から一年で見舞われた異変/生徒たちに述べた最後の言葉/病床で家族とともに迎えた新年/生命を燃焼し尽くした生涯/氷雨降りしきる講堂で営まれた校葬/理事長・校長は釜瀬家以外の人でもよい/せめて父・甚兵衛氏の寿命までは・・・/最期に臨んで諭した教職の重責/長男・冨士雄氏が綴る父子の相克と和解/藍綬褒章はトキ子夫人がお貰いになったのです/釜瀬新平は永遠に生きている/強く、正しく、しかし優しくあれ

本伝執筆者のあとがき(小池雄介)
釜瀬新平年譜