稲造精神とララ物資
はしがき
新渡戸稲造の残した”伝教師”的足跡
一 ”小日向会”
Ⅰ 「新渡戸稲造博士」
Ⅱ 「太平洋会議における新渡戸博士」
二 ”伝教師”とは
三 基督友会日本年会の組織化
四 日本人クエーカー第1号信徒としての証
Ⅰ 『人生雑感』
Ⅱ 「神の御声を聞け」
Ⅲ 「信仰なき国民は滅ぶ」
信仰なき国民は滅ぶ
”愛国心と国際心”
五 最後の大演説
九月八日夜が最後の大演説
新渡戸稲造と普連土学園
一 「父と普連土学園」(新渡戸ことの講演)
二 「卒業式に臨みて」(新渡戸稲造の講演)
三 普連土学園後援会
四 思い出草
五 残された記録「降誕節」
降誕節
六 秩父宮妃殿下のご来校
フレンドの将来
七 「思えども益なし、学ぶに如かず」
モリス邸の今昔
一 内村鑑三と新渡戸稲造の絆
二 普連土学園に”新渡戸稲造ホール”
Ⅰ モリス邸の前史
Ⅱ イズリエル・ウイスター・モリス夫妻
Ⅲ ウイスター・モリス夫妻
Ⅳ モリス邸
Ⅴ モリス邸からフレンズ・セントラル・スクールへ
三 日米両国の友好と理解に一役
キリスト教フレンド派日本伝道の側面から見た 新渡戸稲造と津田梅子を結ぶ縁
一 明治初期
Ⅰ 一八七一年の出来事から
Ⅱ 新渡戸稲造と津田塾大学との関係
二 津田仙、勝海舟とハーツホン、ブレスウェイト、ホイットニーとの関係
Ⅰ 津田仙
Ⅱ ヘンリー・ハーツホン
Ⅲ ジョージ・ブレスウェイト
Ⅳ ブレスウェイト家
Ⅴ 海外を感動させたウイリス・ホイットニーの孝行
Ⅵ 結婚後のホイットニーの業績
三 内村鑑三、新渡戸稲造、津田仙とジョセフ・コサンドの関係
Ⅰ 学農社農学校と内村鑑三
Ⅱ フレンド派の日本伝道
『インターチェンジ』寄稿文「手紙」
Ⅲ コサンド、津田仙と普連土女学校
四 津田梅子とメアリー・モリスの関係
五 アナ・ハーツホンと新渡戸稲造夫妻、津田梅子の関係
Ⅰ アナ・ハーツホンの来日
Ⅱ 新渡戸稲造夫妻の帰国
Ⅲ ハーツホン父娘の帰国とコサンドの辞任
Ⅳ ハーツホン父娘の再来日
Ⅴ ヘンリー・ハーツホンの死と新渡戸稲造の静養
Ⅵ 『武士道』の執筆前夜
Ⅶ 津田塾大学への船出
六 女子英学塾(現津田塾大学)での講演
稲造精神とララ物資
一 東日本大震災
ニ キリスト友会日本年会の発足日
Ⅰ 大正六年五月一二日午後
Ⅱ 「親睦会」での談話
Ⅲ 「知らぬ恵」
Ⅳ 「友会の使命」
三 敗戦・太平洋戦争の終結
四 象徴天皇制と二人のクエーカー
Ⅰ 天皇制の護持
Ⅱ ヒュー・ボートン
Ⅲ ボナー・フェラーズ
五 ”ララ”の創成
Ⅰ 日系人強制収容所に対する支援活動
Ⅱ 戦後の米国在留邦人の動き
六 ”ララ”の構成
七 ”ララ”物資
八 ”ララ”の三代表
Ⅰ ジョージ・アーネスト・バット
Ⅱ ヘンリー・ジョセフ・フェルセッカー
Ⅲ エスター・B・ローズ
九 救済活動
Ⅰ 活動の準備
Ⅱ 救済活動の実施
Ⅲ ワークキャンプ
Ⅳ ”山羊のおじさん”
Ⅴ ”CAC”
十 とつくにの あつき心
随想
一 見えないものに目を注ぐ
二 光は闇より
Ⅰ 闇に輝く日
Ⅱ 岩橋武夫
Ⅲ ヘレン・ケラー
三 その時私は… 二〇一一年三月一一日
四 神からのオポチュニティ
Ⅰ ペンドルヒル
Ⅱ ファーバンク・フェル
Ⅲ 感話
Ⅳ コルトハウス
Ⅴ ブレスウェイトの祖先
Ⅵ スワスモア・ホールの由来
Ⅶ ジョーダン
Ⅷ ジョージ・フォックスの墓
Ⅸ ウッドブルック・クエーカー研修センター
二〇〇六年普連土学園『研究紀要』第13号からの抜粋
新渡戸稲造の宗教講演
Ⅰ 一日本人の見たるクエーカー主義
Ⅱ 新渡戸稲造のクリスマス講演
(一)降誕節
(二)クリスマスについて
「クリスマスに就いて」
キリストは歴史的人物
キリストの生まれしユダヤの国
キリストはいつ生まれたか
心のクリスマス
クリスマスをする理由
クリスマスの起源
サンタクロースは善い爺さん
フレンドのクリスマス
心の中のキリストの種
(三)馬小屋のイエス
馬小屋のイエス
あとがき