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あの日あの頃 第2弾

サブタイトル1~10
語り継ぐ赤坂・青山 焼け野原からオリンピックの頃まで 1945-1967
編著者名
港区赤坂・青山地区タウンミーティング 赤坂青山歴史伝承塾 編集
出版者
港区赤坂地区総合支所協働推進課
出版年月
2015年(平成27年)3月
大きさ(縦×横)cm
30×
ページ
38p
ISBN
NDC(分類)
213.6
請求記号
213.6/Mi39/2
保管場所
閉架一般
内容注記
年表、区民情報、参考文献あり。
和書
目次

はじめに
昭和35年の赤坂・青山[地図]
赤坂・青山 1945年~1967年の出来事

学校の思い出
私立が担った幼児の教育
5校もあった公立小学校
新制中学校の出発
私学へ通う小中学生
60年安保闘争と赤坂・青山の小学生

戦後の暮らし
子どもの遊び場
どこでも野球
男の子も女の子も
お屋敷跡も遊び場
町医者として生きた父
家族の食事にお母さん奮闘
米穀通帳は身分証明書の役割
預金は封鎖、電話は「呼び出し電話」、電気は照明だけ
大人も子どももお風呂が大好き
テーラーから洋裁学校経由ファッションの街へ
VANタウン青山

お祭り・縁日
赤坂・青山の縁日
赤坂・青山のお祭り
成長と共に子どもの山車から神輿へ
祭装束
お祭当日の様子
コンビーフの缶からつくられた神輿

建物・街並み
赤坂の人びとと街の暮らし
ポツポツと赤坂復興の兆しが・・・
赤坂全体の本格的な復興は昭和27年~28年ころから
東京オリンピックで大きく姿を変えた表町1丁目(現元赤坂)
夜を彩った赤坂の花柳街と外堀通り
青山の街の原風景
焼け跡からの復興
東京オリンピックに向けての街づくり
赤坂・青山の庶民の足

花柳界・グランドキャバレーなど夜の賑わい
戦後の赤坂と「花柳界」の復興
花柳界を支えてきた商売
「おもてなしの街・赤坂」の全盛時代

軍用地の転用
長州藩毛利家下屋敷~歩兵第1連隊~接収(ハーディ・バラックス)~赤坂中学校・防衛庁~東京ミッドタウン(赤坂9丁目)
広島藩浅野家下屋敷~近衛歩兵第3連隊~都営住宅~ラジオ東京(現TBS)(赤坂5丁目)
宇和島藩伊達家上屋敷~歩兵第3連隊~接収(ハーディ・バラックス)~東京大学生産技術研究所~国立新美術館・政策研究大学院大学(六本木7丁目)
郡上藩青山家下屋敷~第1師団司令部・陸軍省青山射的場~都営住宅(南青山1丁目)
篠山藩青山家中屋敷~陸軍大学校~接収~港区立青山空学校(北青山1丁目)
山形藩水野家下屋敷~近衛歩兵第4連隊~都立青山高等学校・国学院高等学校・都営住宅など(渋谷区神宮前4丁目・新宿区霞岳町)
代々木村などの畑地・岸和田藩岡部家などの武家地~代々木練兵場~接収(ワシントンハイツ)~東京オリンピック選手村~代々木公園(渋谷区代々木神園町)

外国文化
占領時代がもたらしたもの
赤坂の自動車街はもちろん外車ばかり
ホテルの建設ラッシュと東京オリンピック
ある少女にとって「外国=アメリカ」でした
青山通りに吹いたワシントンハイツの風
青山には「日本で一番初め」がいっぱい
移動遊園地
クリスマス

戦後の庶民の娯楽
ラジオの楽しみ
テレビの楽しみ
映画の楽しみ
その他の娯楽

オリンピック
オリンピックの東京開催決定
道路や競技施設の建設~青山通りがオリンピック道路に
赤坂・青山地区のオリンピック関連道路
青山通り
外苑西通り
六本木通り
赤坂・青山住民にとっての東京オリンピック
開会式の日、聖火リレーが赤坂・青山をかけぬけた

取材こぼれ話
赤坂・青山地区 区民情報 あの日あの頃
あとがき・協力者一覧