昭和天皇「よもの海」の謎
はじめに
昭和天皇の「待った」
必ずしも菊のカーテンではなかったか
第1部 「よもの海」-平和愛好から開戦容認へ
第1章「平和」がもっとも近づいた日 昭和16年9月6日
「聖慮は平和にあらせられるぞ」
昭和天皇の肉声による昭和16年9月5日
御前会議の出席者たち
懐中より取り出した明治天皇の御製「よもの海」
言及されなくなる「よもの海」
第2章 御製は大御心である
1日40首を詠んだ日露戦争時の明治天皇
欧州巡遊の際の竹下勇との君臣関係
セオドア・ルーズヴェルト大統領が感激した「よもの海」
英語に「超訳」された「よもの海」
知られざる宮廷歌人・千葉胤明
「明治天皇の平和を御愛好遊ばす御精神」
佐佐木信綱の謹解「戦争中にしてこの御製を拝す」
それは軍人必携必読の本だった
陸軍記念日にその記事は出た
御前会議の秘密をさりげなく示唆する新聞記事
朝日新聞の「スクープならざるスクープ」
勝てば美談、負ければタブー
第3章 「よもの海」の波乱はいつ鎮まったか
東条英機、東久邇宮邸におもむく
一夜明ければ、東条英機は強硬派に戻っていた
武藤章の「戦争なんて飛んでもない」と「天子様がお諦めになって」
参謀本部の支配的空気は、天皇を啓蒙せよ
入江相政侍従のゆるやかな9月6日
「ことだま」は絶大であった
原四郎編纂官の『大東亜戦争開戦経緯』
態勢を立て直す杉山元参謀総長
陸軍への抵抗を弱める天皇
「よもの海」の来歴と、昭和50年の不思議な御言葉
第4章 「不徹底」に気づいた高松宮と山本五十六
「御前会の不徹底につきてお話した」
昭和天皇の「御前会議改革案」
御前会議の演出家・木戸幸一内大臣
「原案の順序でよろしい」と「変更に及ばず」―9月5日夕方の「不徹底」
「別紙」の再検討もなかった
山本五十六が読み上げた、もうひとつの「よもの海」
『明治天皇御集』を愛誦していた山本五十六
他ならぬ佐佐木信綱と他ならぬ渡辺幾治郎の他ならぬ明治天皇の本
パロディになった「よもの海」
第2部「よもの海」の戦後
第5章「平和愛好」へのリセット
いち早く復活した「よもの海」
東久邇宮首相の施政方針演説での「復活」
「五箇条の御誓文」もいち早く発信されていた
元「ミスター朝日」の緒方竹虎が演説草稿を書いた
「よもの海」は国内よりも海外を意識していたか
日本再建の家長は天皇陛下である
昭和17年3月10日の記事掲載の最高責任者は緒方だった
「よもの海」復活の仕掛け人は誰か
東京裁判で9月6日はいかに語られたか
中国撤兵拒否だったと証言する木戸被告
「よもの海」に言及しない東条被告
第6章 映画『明治天皇と日露戦争』の「よもの海」
「御製で明治天皇の感情を表現する」
アラカンの明治天皇が物思いにふけるシーンで
昭和天皇も鑑賞、歴代総理大臣も感激
徳富蘇峰の「明治天皇の開戦反対は天佑」
第7章 明治100年の『明治天皇紀』公刊
唯一の読者だった昭和天皇へ奉呈された『明治天皇御紀』
「明治天皇の日露開戦反対」をめぐる昭和天皇と金子堅太郎との暗闘
原田熊雄の単刀直入、木戸幸一の「正確」
湯浅倉平の危惧が昭和16年秋に顕在化する
『明治天皇紀』の明治37年2月4日開戦決定
『明治天皇紀』に「よもの海」がなぜないのか
金子堅太郎の「いじめ」に、三上参次は明治天皇の御製で耐え忍ぶ
支那事変を憂慮する金子堅太郎
西園寺公望の「明治天皇は決して御悧巧な御方ではない」
明治天皇の御親裁ぶり
若き昭和天皇と歴代総理大臣との冷たい緊張感
明治憲法下、天皇には拒否権があった
渡辺幾治郎編修官の「建白書」
『昭和天皇実録』への不安と懸念
第8章 アメリカで蘇る「よもの海」の記憶
ホワイトハウスの前で「波風の立ち騒いだ不幸な一時期」
昭和50年訪米の荘厳たる野外劇場
注目は「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」に集まる
通訳官・真崎秀樹の「豈朕が志ならむや」の英訳
質問の焦点は日米戦争の開戦責任だった
記者会見場に初めてテレビカメラが入る
「言葉のアヤ」「文学方面は余り研究していない」
入江侍従長の危惧は皇后さまへの質問だった
茨木のり子の直観の恐ろしさ
最後の靖国参拝記事の小さな扱い
額ずく靖国の遺族の前を御料車はゆるゆると進む
「お年のせいでブレイキがきかなくおなりになった」
第9章 御集『おほうなばら』と御製「身はいかに」
昭和天皇の和歌1万首
昭和天皇の御製の大きさ
『おほうなばら』は波静かな太平洋である
「むねせまりくる」に戦争の影
昭和に入って不安な気配が歌われる
4首のリーク候補
『おほうなばら』に収録されなかった御製「身はいかに」
太平洋を眺めると思いは戦争へ
「神がみ」が10年後には「人々」に
例大祭ではなく8月15日が歌われる
瀕死の床で推敲を続けた御製「身はいかに」
第10章 杉山元の「御託言上書」
「寡黙の人」徳川義寛が口を開く
修史を意識した徳川侍従の日記
杉山元帥夫妻自決に、理由のお尋ね
上聞に達した「御託言上書」
「陛下が開戦は已むないがと、懇々と御訓示」
「其の罪万死するも及ばず」
責任問題に3度触れた自決2日前の夜
第11章 東京大空襲と歌碑「身はいかに」
小津安二郎が生まれた町で
堀田善衛の昭和天皇巡幸との遭遇
「日本ニュース」の「脱帽 天皇陛下戦災地御巡幸」
「鬼哭啾々の声」を聞いた朝日新聞の記事
鈴木貫太郎の息子が揮毫した「身はいかに」の歌碑
宮中の目で見た昭和天皇・マッカーサー会見
「身はいかに」と「国体護持」の矛盾
富岡八幡のもうひとつの碑「天皇陛下御野立所」
「君氏を裸のまま接触させることは輔弼の大臣の勤め」
大達茂雄の「世紀の警鐘」
大達内相の「身はいかに」
第12章 8月15日の「よもの海」
『戦史叢書』という歴史書
強硬派・田中新一の生史料
昭和21年に書かれた「石井秋穂大佐回想録」
事務方から見た9月6日の御前会議
「回想録」に残された墨塗りの自己検閲の跡
石井秋穂の昭和天皇論
「親政でないようで強い御親政だった」
「空気による御親政」を上回った明治天皇の御製の力
石井秋穂の私信まで残した原四郎
一流の史書を一流の読み手が批判する
「一切の感情を捨てて唯真相を遺す」
「白紙還元だけでは不徹底」
ひとつの記憶
主要参考文献
あとがき