慟哭の廣島
- サブタイトル
- 編著者名
- 今田 耕二 編集兼発行人
- 出版者
- 今田耕司
- 出版年月
- 2014年(平成26年)7月
- 大きさ(縦×横)cm
- 26×
- ページ
- 93p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/I41
- 保管場所
- 地下書庫和図書
- 内容注記
- 参考・引用文献あり。付図1枚。
- 昭和館デジタルアーカイブ
[慟哭の廣島]目次
1.プロローグ(昭和12年8月)
原爆投下8年前の廣島爆心地
2.廣島、その禍つ日まで
(1)被爆4ヶ月前(昭和20年4月)
その頃の学校生活
学徒動員・勤労奉仕・・・主に建物疎開の解体作業
米軍B29爆撃機、廣島市を初空襲(4月30日)
(2)被爆1ヶ月前(昭和20年7月)
通年動員の決定その頃の学校生活
廣島航空に動員され板金工になる(7月27日)
訓練期間中記憶に残る出来事(その1)
宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」を教えられる
訓練期間中記憶に残る出来事(その2)
敵機襲来で近くの丘に避難(8月3日)
五日市沖にB24爆撃機撃墜を観望し万歳を連呼す
(3)被爆前日(昭和20年8月5日)
死の道から反転・・・引率教官の抗名
(建物疎開作業出動命令を戸田先生が拒否)
3.昭和20年8月6日
(廣島市仁保町堀越の自宅【爆心地より6km】にて被爆)
(1)被爆1時間前
(2)原爆搭載機エノラ・ゲイほか米軍爆撃機の行動
(3)午前8時15分・・・原子爆彈投下
(4)長く不安な1日
4.昭和20年8月7日(廣島市中の被爆地帯に入る)
(1)慟哭の廣島・・・この世の地獄
(2)無惨!『市役所』大叔父一家
(3)『本家』の長女嫁ぎ先『細工家』の悲劇
(4)母校廣島一中へ
(5)雑魚場町にて・・・廣島一中の惨状
全壊全焼した校舎跡の白骨とプールの死体
(6)8月6日被爆後の母校及び周辺の状況について
鬼哭!被爆直後の一年生無惨!(片岡脩君手記より)
痛哭!被爆第1夜、恐怖と不安の小町・雑魚場町界隈(新田篤実君講演録より)
(7)一中プールなど校内外での女学生たちの死
(8)雑魚場町内の女子校慰霊碑(関千枝子さん著作より)
(9)動員先廣島航空へ 相生橋付近の惨景諸感
西練兵場に孤影毅然と威をはらう護国神社の大鳥居
相生橋の惨景
白人(米軍空将兵?)死体のこと 多山壽夫氏の証言(その1)
戦後、米軍の厳重捜索追求
元安側の干満状態と、漂う被爆死体の群れ
(附)太田川各支流での暁部隊舟艇の救護活動 多山壽夫氏の証言(その2)
(10)廣島航空(古田町高須)に着く
三年生の大惨事を知る、軍の救護隊に徴用される
5.昭和20年8月8日以後(救護と死体焼却)
(1)救護隊活動その1・・・死傷者捜索と収容搬送
(2)救護隊活動その2・・・死体焼却
6.廣島航空に動員中の三年生の運命
(1)悲惨!師弟とも全員被爆死
濱田平太郎氏と『泉』第1集・第2集のことも含めて
(2)建物疎開作業現場からの脱出行
(3)廣島航空に辿り着いた前田先生と生徒たち
(4)瀕死の生徒を父母が発見、慟哭の死別
(5)前田先生と濱田平太郎生徒の最後の別れ
(6)防空要員の土井田宏之さんのこと
7.感謝と悔恨、そして懺悔
(1)感謝・・・二次被爆症状(急性放射線障害)に陥る
(2)悔恨・・・米飯に飢えた余り、母の心を傷つける
(3)懺悔・・・我が生涯のトラウマ、水と死について
8.通年動員中の同期生たちの8月6日
(その1)廣島一中同期生・旭兵器動員組の行動
(1)福間駿吉君の場合
(2)小林宏行君の場合
(その2)第一県女2年生・廣島印刷動員組の行動
(3)水戸(旧姓・多山)榮子さんの場合
9.建物疎開作業に準ずる集合作業としての第二総軍・東練兵場の農作業に従事、被爆した中学生と女学生たち(国泰寺高校同窓生の行動)
(1)片桐安子さんの回顧
(2)上田文彦君の回顧
10.第2総軍の中学生・女学生動員に関する謎の動き
11.エピローグ
(1)米国非人道兵器原子爆弾により鏖殺された母校廣島一中の教職員・生徒の御霊に深悼
廣島一中慰霊祭(昭和20年9月5日)東校庭(体操場)にて
「追憶之碑」・「在職在学中の原爆死没者名録碑」のこと
殉難生徒について補足
(2)爆心地のこと・・・島病院の壊滅
12.私の訴え
(1)日本教育史上最大の悲劇
建物疎開作業で惨死した6千人の少年少女たちのこと
(2)何故、学徒隊(中等学校低学年・国民学校高等科の少年少女たち)にこのような命令が出たのか
(3)怒りと悲しみ、そして訴え
あとがき
参考・引用文献
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