図書シャシンチョウ ツイオク ノ センダイ060005439

写真帖 追憶の仙台

サブタイトル1~10
消える街、変わる暮らし
編著者名
小野 幹 写真/日下 信 文
出版者
無名舎出版
出版年月
2014年(平成26年)6月
大きさ(縦×横)cm
15×21
ページ
111p
ISBN
9784895445795
NDC(分類)
212.3
請求記号
212.3/O67
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

三メートルから三十メートルへ
戦後、拡幅された細横丁

多くの酔客でにぎわった年末の東一番町、文化横丁

約四千人が暮らしていた
川内の追廻住宅

昭和三十五年、青葉通のケヤキは二階屋ほどの高さだった

仙台の駅前に立地する商店街で
変わったこと、変わらないもの

昭和四十年代、樹海を切り開き
住宅地に変貌した八木山

人口四十二万人のまちをゆっくりと
市電が走っていた

昼夜それぞれに活気があった
仙台「駅裏」の東七番町

雨のため「オジャン」になった
昭和二十八年の七夕まつり

五分ごとに出る臨時バスで、
七ヶ浜町の菖蒲田海水浴場へ

仙台初のエレベーターがあった
カルトン食堂は戦後、東北電力に

数千人の参拝者でにぎわった
櫻岡大神宮の七五三

昭和三十七年、市電の終点だった
原町の坂下交差点

閑静な住宅街、光禅寺通と
北一番丁の昭和の思い出

広大な操車場や機関区がある
長町は「国鉄の」まちだった

市電の停留所「大学病院前」に
丸金というスーパーがあった

東一番町と背中合わせの
仙台市立病院と派出所

戦後の数十年、多くの思い出を残した
仙台駅前の丸光デパート

静かなまち並みが続いていた
国分町と本櫓丁界隈

幅五十メートルの大通りへ
工事が進む東二番丁

昭和四十七年「動く七夕」を見に
四万五千人が定禅寺通に押し寄せた

仙台市南東部の藤塚と名取市の
関上を結んだ、小さな渡し船

若き島崎藤村が海鳴りを聞いた
仙台駅東側の名掛丁

仙台駅前、東五番町の新しいデパートと
老舗の喫茶店

広瀬通りと東一番町の交差点で
昭和の記憶をたどる

鉄道の開通時から、仙台駅の
東と西をつないだ北目町ガード

夕暮れからは「暗く寂しかった」
昭和三十年代の定禅寺通り

藩政期以来の歴史ある寺のそばで
東北新幹線の工事が進む

お参りの人々でにぎわう北六番町、
万日堂の大回向

昭和三,四十年代、市民の娯楽は
市中心部の繁華街にあった

市役所そばの国分町で聞いた
昭和の小さな物語

仙台市民の夏を彩った
貞山堀と深沼海岸の思い出

日曜、祝日の七時間で始まった
東一番丁の歩行者天国

東一番丁、中央市場入り口に
小さな本屋さんがあった

まだ住宅がまばらだった、
昭和四十年代初めの緑ヶ丘

藩政期から多くの瓦職人が
暮らしていた通り町界隈

国分町の老舗金物店の
足跡と仙台の戦後

昭和の末期、仙台のまちは
戦災復興期以来の変化を遂げた

141ビルが建つ前、三越の
北側にこんな路地があった

昭和の五十年間、市民の
足を支えた仙台市電

昭和五十二年、まだ多くの
木造家屋があった定禅寺通界隈

棚田や山林が目立った、
四十年ほど前に国見地区

歴史あるお店が連なる
サザエさんのまち、荒町

戦後六十余年、駅前の青葉通には
仙台ホテルがあった

昭和五十四年秋、定禅寺通に最初の
彫刻「夏の思い出」が設置された

女優の南田洋子が東一番丁の
「ひらつか」にやって来た

広瀬川がつくった段丘のまちを
弧を描いて進む東北新幹線

昭和四十年正月、県庁前広場で
豪快な「書」のパフォーマンス

戦前に建てられた市立病院が
東二番丁にあったころ

戦災復興のシンボルとして
新時代を予感させた青葉通

参考資料
あとがき