ナガサキの原爆を撮った男
- サブタイトル
- 評伝・山端庸介
- 編著者名
- 青山 雅英 著
- 出版者
- 論創社
- 出版年月
- 2014年(平成26年)1月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 248p
- ISBN
- 9784846012960
- NDC(分類)
- 740
- 請求記号
- 740/Y24
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 文献あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
はじめに
第一章 誕生
一 前史
祥玉の故郷平泉寺町大渡
望月写真館への入門
英領シンガポールの日本人
メダンの街で
一時帰国と結婚
二 誕生
新嘉坡北路橋九四番地
第一次世界大戦の終結
新嘉坡写真協和会
新嘉坡キャメラ倶楽部
家族
サン商会の解散と帰国
第二章 幼少時代
一 会社設立準備
赤貧と野心
融資の契約は裸踊りで
ジーチーサンの開業
二 築地
山端一義の記憶
田中英光の経験と祥玉
新年会と田中英光の自殺
赤い紙
第三章 青年期
一 大森での工場経営
町工場への転進
経営危機
二 軍事衝突による転機
陸軍からの依頼
プレス・ユニオン・フォトと名取洋之助
三 家庭での生活
大森新井宿への転居と庸介の中退
大阪営業所勤務
第四章 世界を駆ける
一 ニューヨーク、サンフランシスコ万博
祥玉の第一回渡米
ニューヨークでの仕事と日本人会
二 ヨーロッパ訪問
ナチスドイツの威力
カール・ツァイス社訪問
ロンドンと戦争
三 再びアメリカへ
万博の期間延長
再びの渡米と日本人会の変化
ペルーの日本人
アルゼンチンの崔承喜
帰国
第五章 中国大陸
一 海軍支那方面艦隊報道部への赴任
二 従軍の記録
奥地爆撃を撮影
凉州攻撃
機内の隊員
第六章 報道班員
一 開戦前の軍事演習を撮影
二 開戰ト報道班員への志願
十二月八日の日記
報道班員への志願と徴用
再び南洋の街へ
ペナン駐在
インド領アンダマン島上陸
失われた故郷シンガポール
三 銃後の東京
石毛の死去
「撃ちてし止まむ」の展示
第七章 長崎
一 結婚
出会いと結婚式
東京への空襲とふくの死
二 西部軍報道部への徴用
九州の報道部
徴用の知らせと出発
八月八日の小倉空襲
三 長崎に投下
米軍の記録
テニアン島からの出撃
松山町上空
四 長崎へ三人が出発
地獄への列車
道ノ尾駅午前三時
深夜に燃える大橋
下の川にいた人
夜明けの長崎駅
五 炎天下の道ノ尾駅への道
憲兵隊本部を出発
長崎駅付近と生存者
井樋ノ口のおにぎり
山田栄二の残した色
余燼くすぶる岩川町と浜口町
爆心地松山町の太陽
道ノ尾駅広場と冷厳なレンズの眼
山田の到着と長崎出発
六 日本の敗戦
報道部の驚き
報道部の解散
第八章 サン・ニュース/サン写真
一 サン・ニュース・フォトス
通信社を設立
一流カメラマンを集める
宮内省への接近
二 サン写真新聞
祥玉のアイディアと新聞民主化運動
「サン写真新聞」創刊
新興紙の用紙割当
整理部の仕事
三 サン・ニュース・フォトスの経営
『週刊サンニュース』創刊と名取洋之助
ジーチーサンの復活
写真集『天皇』を出版
サン・ニュース・フォトスの庸介
サン・ニュース・フォトスの整理部と営業
四 庸介の家族
第九章 晩年
一 一九五二(昭和二七)年
『原爆の長崎』出版
ライフ社からの誘い
二 ザ・ファミリー・オブ・マン
ジーチーサンによる制作
出展者としての庸介
三 消え去る戦争の爪痕
家庭での父親像
礼節
山田栄二の戦後
四 時代の変わり目
祥玉の死去
大卒社員の入社
突然のできごと
庸介とのお別れ
その後
あとがき
引用・参考文献
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