そのとき小平では Ⅷ
はじめに
第一部 五日市街道にそって 小平村の兵士たち(5)
回田新田と上鈴木新田の歴史
戦時中の回田新田について 神山金作
小平のたくさんあった学校農園 大塚正利
内務班の生活 清水忠五郎
戦車第三師団捜索隊の修理班として 柳生幸市
第二部 市民の戦争の記憶
米海軍の反射波、数時間前に捕捉したが 田中正一
フィリピン島の衛生兵 水落修
秋津のB29撃墜のこと 二平信太
漢口第一陸軍病院の二年間 堀田貞子
東京空襲を描く 小島義一
第三部 もう一度伝えたい
戦場
生死の境をさまよったシベリア 平井清
中支一五六兵站病院 土方アイ
九死に一生は得たが傷病手当も十分にもらえないまま… 中島幸一
開拓団
中国湖州より仏印まで歩き続けて五年 稲葉勇三
加害者責任から逃れられない 持地邦太郎
焼跡から満州へ 水上愛子
動乱の中国にたったひとりで 斎藤農夫子
すべてを失った満州 岡村はづゑ
空襲
小平にも空襲があった 大沢健・井上一・金子光子
三月十日の空襲を佃島で 小関つや
焦土の地獄を二度さまよう 篠原栄子
広島原爆と伝単(ビラ) 脇本義人
疎開
小平町へ集団疎開 巽裕子
戦時下の教師として 平井綾子
その他
内務班の制裁と猛訓練 内堀金太郎
海軍の半殺し制裁 岩崎保雄
特攻兵器「回天」の思い出 荒川亨
三人の兄弟を失い、松代大本営造営に動員 鳩山高庸
宰相近衛文麿さんのキャディを務める 鳥塚治平
沖縄での戦争 糸数昌徳
第四部
「戦争を知らない子供たち」 笠井美津子
聞き書きを通して考えたこと 真篠久子
冊子づくりから 平松寛子
母の手紙 蓮田宣夫
豊島区仰高西国民学校の学童疎開 当時の日記より 水谷拓夫
「弟」 今井美代子
軍隊勤務(十六歳)空白の一瞬 窪田?
泣かない赤児 下沢勝井
編集後記