十五年戦争下の登山
自序
第一章 戦時下の登山の実相と敗戦後の登山
「空白」の戦時下の登山史が意味するもの
敗戦前後の登山者の感懐“日本的登山精神”の変容をみる
一五年戦争下の登山と登山運動
スポーツ登山の黎明期
日本的登山道の鼓吹
両刃の剣の登山・ハイキング推進キャンペーン
野外活動の荒廃
「国家総動員法」下の登山
日本山岳聯盟結成の“仕掛け人”井上司朗
アルピニズム受難時代のはじまり
日本山岳聯盟の発足と日本山岳会の役割
日本山岳聯盟への体制側の期待
「抹殺」されたハイキング
アルピニストの悲しみと怒り
半軍事組織化した日本岳聯
行軍登山・国防スキーの展開
戦争に動員される体育・スポーツ 日本陸上競技聯盟は陸上戦技部会に
敵性語の追放、ゴルフは「打球」と呼ぶべし
軍部に「接収」された日本岳聯 半軍事組織の行軍山岳部会に改編
行軍山岳部会の指導方針
地域、職場での行軍山岳部会
大日本学徒体育振興会山岳部はどのようにつくられたか?
大向こうをうならせた文部省運動課長の学校山岳部指導方針
学生登山をめぐる紙上論争
山を奪われた“岳徒”たち
慶応大学山岳部の場合
しのびよる学徒動員・出陣の影 禁足令の真の意味
揺れ動き、あるいはお山に精進した“岳徒”たち
兵徒散る 部室から戦地へ
東京帝大スキー山岳部の場合
新しき門出を一挙に破壊した文部次官通牒
面従腹背 通牒を無視して入山
軍事輸送優先策徹底のための交通制限の影響
大学を覆う軍部支配の影 軍事教練と現役将校の配属
山岳戦技研究会
初冬の穂高で山岳戦訓練
アルピニズムの神様の回顧
権力迎合と無反省
トラの威をかる退廃を見た小山義治さん
山岳戦技研究会をめぐって
大砲を担い岸壁を攀ぢ……
所詮ドロ縄のあがき
行軍錬成登山でも遭難も例によって美談仕立てに
行軍歌にとられた慶応部歌
再出発に当たって何が求められたのか
まかり通る居直り、ごまかし
時代に誠実な岳人も
おわりに
第二章 かくてアルピニズムは蹂躙された
十五年戦争下の登山運動からなにを学ぶか
一 日本勤労者山岳連盟が提示した「指針」とその意義
二 黎明期の登山
三 日中戦争直前までの登山界の動向
四 日中戦争と登山界
五 日本山岳聯盟結成 背後に意外な仕掛け人
六 アルピニズムを投げ捨てた綱領と規約
七 「行軍登山」から「戦技登山」へ 陸軍に乗っ取られた岳聯
あやまちはくりかえしてはならない
第三章 戦火に散った岳人たち
ピッケルを銃に持ちかえて 「岳徒」出陣
蹂躙されたアルピニズム そのとき岳界は
はるかなる山の呼び声 還らなかった岳人たち
戦没岳人たちが身を賭して残したもの
戦没岳人・人名録
第四章 十五年戦争と女性登山家の戦争責任
十五年戦争と女性登山家の戦争責任
第五章 “山の発禁本”覚書
発禁第一号は雑誌「山と旅」
「風紀を壊乱する」と
言論・出版統制の仕組み
発禁とは完成本の発売・頒布の禁止
読者の反応
『ハイキング』に載った発禁の事実
被害第二号は二つの『山小屋』
表紙に「削除済」の青スタンプ
ズタズタに切り刻まれた織内信彦の「事変下の山」
山本明『山と人』 次版改訂処分
山本明の勇気と先見性
むすびにかえて
数奇な過去を背負わされた名著『たった一人の山』
第六章 山岳書と国家機密法
山岳書と国家機密法
軍部の介入ぶりを生々しく
“広い宇宙は敵地に通じて……”
軍機保護法の亡霊を許すな
消えた天気予報 そのナゾを追って
山岳雑誌『ケルン』が書き残した事実
二〇日間の空白
“怪飛行機”が九州上空で反戦ビラ
海外登山と「日の丸」
第七章 登山愛好家も核廃絶を要求します
日本勤労者山岳連盟紹介 挨拶にかえて
二〇世紀最大の負の遺産
私たちは、何故、イラク攻撃に反対したか
戦時下の登山
核廃絶を求める私たちの活動
おわりに 『ガリヴァー旅行記』を核兵器愛好家に送りつけてやりたい!
資料編
資料①-1 京浜山岳団体聯合会総則
資料①-2 西日本登山聯盟綱領および規約
資料②-1 日本山岳聯盟綱領および規約
資料②-2 日本山岳聯盟昭和一六年度事業計画
資料②-3 日本山岳聯盟発起人名簿
資料②-4 日本山岳聯盟役員
資料③ 大日本体育会行軍山岳部会綱領および規約
資料④ 誓明書
資料⑤-1 新潟鉄工所産報協力会登山とスキー部々則(昭和十七年五月十五日制定)
資料⑤-2 登山とスキー部行事実施要綱(昭和十八年六月六日制定)
初出一覧
あとがき