図書エイガ ト コクミン コッカ060004565

映画と国民国家

サブタイトル1~10
1930年代 松竹メロドラマ映画
編著者名
御園生 涼子 著
出版者
東京大学出版会
出版年月
2012年(平成24年)5月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
263・28p
ISBN
9784130802161
NDC(分類)
778
請求記号
778/Mi53
保管場所
開架一般
内容注記
和書
目次

序章 メロドラマの近代
第一節 国境横断的な文化形式としてのメロドラマ映画
第二節 女性映画としてのメロドラマ映画
-消費文化における女性の主体化/客体化
第三節 「国民国家」の臨界点としてのメロドラマ映画

第一章 サスペンスと国境
   -小津安二郎の「犯罪メロドラマ映画」
第一節 近代都市の境界
   -『その夜の妻』
ビルの影の浮浪者
帝国の首都-近代都市空間の断層
国民国家の内なる他者
断片化された部屋
「世界市民」になること
第二節 アメリカン・ギャングスター
   -『非常線の女』
引き裂かれた普遍言語-トーキーの登場と「アメリカ映画」
「ギャング」という自己同一性
レコード店での会話-サイレントとトーキーの狭間で
終りに

第二章 港の女たち
    -清水宏の「堕落した女のメロドラマ」
第一節 国境を漂う女たち
    -国民国家と帝国建設の狭間で
「貿易港」と「堕落した女」-重なり合う「周縁性」のイメージ
揺れ動く「異種混淆性」イメージ
第二節 「混血」という戦略
    -『港の日本娘』
「交雑婚のタブー」
反転させられる「家庭」・「母性」イメージ
ほどけてゆく毛糸玉-断片化された自己同一性
「異種混淆性」をめぐる二つの解釈
第三節 「母性愛メロドラマ」と「無国籍者たち」
    -『恋も忘れて』
逸脱する「母性」-検閲制度と「母性愛メロドラマ」
「労働力/性的商品」としての女性
国民国家における「タブー」の表象
子供たちの争い-国民=民族の境界をめぐるアレゴリー
終りに

第三章 二つの都市の物語
    -島津保次郎『家族会議』と「メロドラマ的想像力」
第一節 一九三六年二月二十六日
    -交錯するマス・メディアの網の目
二つの恐慌とメロドラマ
「金融家」とは誰か
華やかな夢の終りに
二・二六事件と「高橋財政」の終焉
第二節 複数のメディアを越境する
映画化された『家族会議』
拡大するメロドラマ的想像力-『男性対女性』
第三節 「レトリックの論理」
    -三木清のメディア論
東アジアを読み解くメディア実践
大衆へのパトスへと語りかけるメディア
終りに

第四章 「大衆」を「国民化」するイメージ
    -野村浩将『愛染かつら』と「母性愛メロドラマ」
第一節 熱狂したのは誰だったのか?
第二節 「大衆」と「国民」の狭間で
第三節 「大衆」のためのメロドラマ
    -『愛染かつら』の物語構造
第四節 「大衆」の時間、「国民」の時間
    -「すれ違い」というレトリック
第五節 呼びかける「母」の歌声
    -「大衆」のイメージから「国民」のイメージへ
第六節 終りに

終章 メロドラマ的二元論の彼方へ

あとがき
フィルモグラフィー
参考文献一覧
作品名索引
事項索引
人名索引