私の軍隊生活
- サブタイトル
- ジャワ島奮戦記 人の運命 戦争の惨酷さ 敗戦民族の哀さ 戦争のない世界の平和
- 編著者名
- 八木 勝幸 [著]
- 出版者
- [八木勝幸]
- 出版年月
- 大きさ(縦×横)cm
- 26×
- ページ
- 1冊
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Y16
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 板目
- 昭和館デジタルアーカイブ
大塚製薬工場入社 衛生兵として入隊(昭和17年3月1日)
故郷を後に小倉西部66部隊に向かう
西日本本部小倉西部66部隊に入隊した初年兵412名
悲しい哀れな初年兵
西部66部隊から小倉陸軍病院で衛生教育
-序列412名中16番
22名の初年兵を引率し松山市西部第62部隊へ
西部62部隊内務検査
-戦友谷本衛生兵官給品等不法所持で営倉
重営倉(監獄)を命ぜられた谷本衛生兵 慰める術もなし
人間の運 第1回目の危機
一選抜上等兵に進級
衛生兵7名共にジャワ島の警備に松山を後に宇品港へ
敵潜水艦出没におびえながらシンガポール港へ入港
シンガポール西兵衛で宮北正二上等兵、太田憲幸二等兵と会う
太田憲幸君戦乱のビルマへ向かう
常夏の国ジャワ島に上陸 ジャカルタ、パンデグランの警備につく
サケテーの街で腸チフスにかかり ジャカルタ陸軍病院へ
8月15日日本ポツダム宣言受託 無条件降伏
連合軍ジャワ島進駐 ジャワ島各地で暴動
インドネシア暴徒に襲撃され将校以下7人死傷 私は無事だった
セラン市の警備 インドネシア軍による日本軍の武装解除
パンテグラン市の南30キロの所で日本軍13名惨殺される
インドネシア軍独立達成のためかにひ音軍の兵器が狙われる
セラン市でインドネシア軍と戦闘開始
-日本軍200名、インドネシア軍3000名
セラン市インドネシア軍との戦闘ますます激しく
-日本軍戦死3名、負傷者5名
セラン脱出成功 マラリアの日本軍2名トラックに残し出発
-翌日彼らは市内で惨殺される
ジャカルタ郊外で日本軍警察官2名惨殺 サケテ鉄橋警備につく
タンジョンブリオーク港で荷役作業に
空腹のため連合軍の食糧頂戴する
辛かった船底の石炭作業
連合軍の威力今更のように驚かされるフェリー架橋技術
海兵隊日本兵にいたずら 埠頭の指揮所勤務へ
敗戦国日本兵 苦しかった埠頭作業
ジャワ島最後の復員船摂津丸入港す
乗船前佐藤注意捕虜虐待で連行される
摂津丸祖国へ向かう
いよいよ懐かしい生まれ故郷 母弟妹たちの待つ里浦へ
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