尋常小学 国史学習附図 第五学年用(昭和15年)
學習編
一 天照大神
附圖編
天照大神が天の岩戸にお隠れになつた-巣戔鳴尊が八岐の大蛇をお退治になつた-天孫降臨-三種の神器
皇大神宮-出雲大社
二 神武天皇
神武天皇-神武天皇御東征の御道筋
神武天皇が長髓彦をお討ちになつた-金鵄勲章-御卽位の圖-橿原神宮-神武天皇御陵
三 日本武尊
日本武尊-熊襲-蝦夷-御東征御西征の順路-日本武尊が川上梟帥をお殺しになつた-日本武尊が草を薙いで難をお免れになつた-熱田神宮
四 神功皇后
神功皇后-武内宿禰-三韓御親征の順路-皇后が舟師をひきいて三韓にお向かひになつた-新羅王の降服-王仁が論語及び千字文を奉つた
五 仁德天皇
仁德天皇が民のかまどの烟をおのぞみになつた-仁德天皇が農業をお勸めになつた
六 聖德太子
聖德太子-法隆寺
法隆寺の平面圖-遣唐使の航路圖-渡航船
七・八 天智天皇と藤原鎌足
中臣鎌足は靴をささげた-入鹿が誅せられた-藤原鎌足-
談山神社
九 聖武天皇
聖武天皇-平城京-東大寺の大佛殿-奈良の大佛
十 和氣清麻呂
和氣清麻呂-清麻呂が神の教をお受した-清麻呂が神教を申上げた-清麻呂が大隅に流された-廣虫が子供を愛した-護王神社
十一 桓武天皇
平安京-平安京大内裏の圖-平安京内裏圖-坂上田村麻呂-蝦夷征伐要地圖
十二 最澄と空海
最澄-空海-金剛峰寺-延暦寺
十三 菅原道眞
醍醐天皇が寒夜に御衣をぬがれて貧しい人々の辛苦を思ひ下さつた
菅原道眞-道眞が恩賜の御衣を拜した-太宰府神社
十四 藤原氏の專橫
朝臣の遊樂
十五 後三條天皇
後三條天皇が學問におはげみになつた-南圓堂-賴通が天皇の崩御をお惜しみ申した
十六 源義家
源義家-勿來の關
奥羽地方要圖-義家が飛雁を見た-義家が貞任を追ふた
義家が剛臆の座を分けた-鎌倉權吾郎景正の武勇
十七 平氏の勃興
保元の亂の地圖-源爲朝の勇戰-保元の亂
平治の亂
十八 平重盛
鹿ヶ谷の會見-兄重盛と弟宗盛
平重盛が父清盛を諫めた
十九 武家政治の起
宇治橋の戰-源賴政の自殺-源賴朝-富士川の戰
義仲が平家の軍を破つた-平氏の都落-宇治川の先陣争ひ-一谷の戰圖
一谷の戰-源義經-那須餘一が扇の的を射た-屋島戰地圖-壇浦の戰-安德天皇が海にお入りになつた
流鏑馬-犬追物
二十 後鳥羽上皇
後鳥羽上皇-源實朝-源實朝が殺された
三上皇は遠島におうつされになつた
二十一 北條時宗
北條時宗-クビライ-強大な元の版圖-元寇要地圖
弘安の役-龜山上皇が敵國降伏をお祈りになつた
二十二 後醍醐天皇
後醍醐天皇が笠間山で出で給うた
楠木正成が千早城に據つて戰つた-後醍醐天皇が隠岐の島を出でさせられた-後醍醐天皇がひそかに伯耆にお渡りになつた-名和長年が天皇を船上山にお迎へ申した-新田義貞が鎌倉に討入つた
後醍醐天皇が京都へ御還幸なさつた
二十三 楠木正成
土牢-護良親王が害せられなさつた-鎌倉宮-近畿及び北陸地方要地圖
櫻井驛の別れ-楠木正成の戰死-湊川神社-楠木正成の銅像
二十四 新田義貞
新田義貞が戰死した-藤島神社
二十五 北畠親房と楠木正行
北畠親房-親房が神皇正統記を著した-正行が戰死した
四条畷神社-阿部野神社
二十六 菊池武光
筑後川の戰-菊池神社
二十七 足利氏の僣上
足利義満-義満室町の邸
金閣寺
二十八 足利氏の衰微
足利義政-銀閣寺
應仁の乱
二十九 北條氏康
北條早雲が小田原城を攻略した-河越の夜襲
三十 上杉謙信と武田信玄
上杉謙信-武田信玄-英雄割據圖-川中島戰地圖
謙信が信玄の陣地に斬込んだ
三十一 毛利元就
毛利元就-嚴島の合戦-元就が三子を誡めた
三十二 後奈良天皇
後奈良天皇が經文をお寫しになつた-天皇の御宸筆-大内義隆-公卿の苦しみ
附錄
一、時代を通して見た 國體の精華と國のまつりごと
二、時代を通して見た 外國との關係と國内平定
三、時代を通して見た 天皇及皇族方の御事績と臣下のはたらき