図書キノウ ノ センチ カラ060003108

昨日の戦地から

サブタイトル1~10
米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア
編著者名
キーン ドナルド 編者/松宮 史朗 訳者
出版者
中央公論新社
出版年月
2006年(平成18年)7月
大きさ(縦×横)cm
20×
ページ
474p
ISBN
4120037444
NDC(分類)
210.76
請求記号
210.76/Ke18
保管場所
開架一般
内容注記
和書
目次

はじめに(ドナルド・キーン)
執筆者紹介

◆Aug.-Sep.1945

グアムのドナルド・キーンから
ホノルルのテッド・ドバリーへ
・アメリカに帰らない理由
・波乱万丈の旅の始まり

ソウルのウォーレン・ツネイシから
グアムのドナルド・キーンへ
・インチョン上陸
・キム氏と日本語で会話する
・日本人は朝鮮にどれほどの影響を与えたのか

グアムのドナルド・キーンから
沖縄のテッド・ドバリーへ
・マッカーサーの評判
・グアムの人肉食採番
・「戦争犯罪人」の烙印
・朝鮮人捕虜の「我が闘争」

東京のテッド・ドバリーから
グアムのドナルド・キーンへ
・読谷飛行場
・沖縄の捕虜たち
・東京の荒廃
・日本人はぼくら一人一人をマッカーサー直属の使者だと思っている

タワジェインのデイヴ・オズボーンから
東京のテッド・ドバリーへ
・ウェーク島の戦争裁判

東京のシェリー・モランから
グアムのドナルド・キーンへ
・誰もが言葉を失ったまま、この惨状を見続けている

東京のテッド・ドバリーから
青島に向かうドナルド・キーンへ
・財閥当主会見
・カワサキ邸
・マルキストの日本人捕虜の話
・軍閥/資本家/地主

東京のシェリー・モランから
青島に向かうドナルド・キーンへ
軍需産業の調査
パラシュート工場の土産

◆Oct.1945

東京のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンへ
・続/財閥当主会見記
・カワサキの人物評
・カワサキの従兄ジミー
・軍国主義者を一掃するには

青島に向かうドナルド・キーンから
東京のテッド・ドバリーへ
・それが戦争じゃなかったのか?
・中国が日本より低い地位にある理由
・蒋介石のスパイになる気はない

佐世保のヒサシ・クボタから
青島のドナルド・キーンへ
・日本人のプライド
・女性に対する男性の態度

東京のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンへ
・ジミーはコスモポリタンだ
・「クリスマスプレゼントに日本を貰っていただけませんか?」
・日本の行政機関
・タナカ将軍
・国会議事堂の公式ガイド

東京のフランク・ターナーから
青島のドナルド・キーンへ
・日本の金融資本家
・最新の戦犯リスト
・日本人の労働力

青島のドナルド・キーンから
東京のオーティス・ケーリへ
・中国だ
・我が人生最良の日
・「ようこそ、アメリカ海軍」
・双十節
・ユアンのカフェ
・日本軍司令部

佐世保のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンへ
・町に漂う空虚さ
・進駐軍と日本人
・佐世保市長選挙
・九州帝国大学の教授たち
・福岡の禅僧

東京のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンへ
・新政党の結成大会
・社会主義者で民主主義者
・ファシストの資金はどこから出ていたか
・小作人を封建思想から解放するには
・もし暴動が起きたら、進駐軍はどうでるか

東京のフランク・ターナーから
青島のドナルド・キーンへ
・戦時下の在日インド人へ
・チャンドラ・ボース
・米軍戦闘機の機銃掃射

東京のシェリー・モランから
オハイオのフランシス・モランへ
・日本人のマッカーサー宛の手紙
・「アメリカ軍こそ我々のお手本」
・アイコという娘

東京のフランク・ターナーから
青島のドナルド・キーンへ
・日本人と酒を飲む
・捕虜という存在
・オキュペーション・ベイビー
・日本人は統制が好き
・日本人と友好関係を築くには

青島のドナルド・キーンから
東京のテッド・ドバリーへ
・青島の変化
・怪しげな雰囲気
・二人の民間日本人
・青島の日本人社会
・日本の海軍と陸軍

◆Nov.1945

東京のオーティスから
青島のドナルド・キーンへ
・ウェーク島裁判その後

東京のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンへ
・日本で列車に乗るとうこと
・三島市長の娘

東京のシェリー・モランから
青島のドナルド・キーンへ
・日本のウォルター・リップマン、共産主義の
脅威を大いに語る

青島のドナルド・キーンから
東京のテッド・ドバリーへ
・済南の町
・ホー主席との会見
・中国における共栄圏構想
・八路軍の存在
・なぜ日本軍は残虐行為を行ったか
・日本の美術と中国の美術
・済南のドイツ人社会

東京のオーティス・ケーリから
青島のドナルド・キーンへ
・ヤマモトイソロク
・日本海軍はどのようして真珠湾を攻撃するに至ったか

大阪のヒサシ・クボタから
青島のドナルド・キーンへ
・佐世保から大阪へ
・キャバレーの女の子
・捕虜の家族たち-スエモリ家の人々
・紀伊半島の「天然の美」

青島のドナルド・キーンから
東京のテッド・ドバリーへ
・日本人の手先として働いた朝鮮人
・青島のロシア人社会
・日本人将校は中国人の肝臓を食べたのか

東京のオーティス・ケーリから
青島のドナルド・キーンへ
・捕虜の家族たち-オヤナギ家の人々、シキバ家の人々
・アメリカ陸軍大尉への手紙
・ゴンちゃん一家

青島のドナルド・キーンから
東京のデット・ドバリーへ
5.15事件の「青年将校」に会う
日本人は正義の道を歩んでいると信じてたいた

京都のテッド・ドバリーから
青島のドナルド・キーンh
知恩院のカミカゼ僧侶たち
トウジョウに三文の理はあるのか
日本人にとっての天皇とは

広島のヒサシ・クボタから
京都のオーティス・ケーリへ
廃墟の町で
日本人の子供っぽさ

北京のディック・ビアズレーから
上海のドナルド・キーンへ
活気溢れる都会
紫禁城
北京と青島

ホノルルのドナルド・キーンから
東京のテッド・ドバリーへ
上海の魔力
サクライ少尉
日光見物
日本人の笑い方

東京のオーティス・ケーリから
ホノルルのドナルド・キーンへ
プリンス・タカマツと二度会見する
天皇は何をすべきか
「御名御壐」

東京のシェリー・モランから
ホノルルのドナルド・キーン
メリークリスマス

◆Jan.Feb.1946

上海のフランクターナーから
東京のシェリー・モランへ
ヘレン・リンの戦争
踊り子クレオの戦争
上海のユダヤ人

東京のシェリー・モランから
ホノルルのテッド・ドバリーへ
クリスマスの事件
GIと日本人の「ハレルヤ」

東京のオーティス・ケーリから
ホノルルのドナルド・キーン、テッド・ドバリーへ
元旦の詔書
「国民」か「臣民」か、「敗戦」か「終戦」か
三度目の会見

北京のディック・ビアズレ-から
ホノルルのドナルド・キーンへ
中国のナチス党員
故国を離れるということ

東京のオーティス・ケーリから
ホノルルのテッド・ドバリーへ
シデハラ首相の英語力
シキバ博士
プリンス・タカマツを招待する
皇居訪問

◎六十年度のあとがき(ドナルド・キーン)
◎本書関連地図
◎解説・廃墟から再出発する日本人の記録(五百旗頭真)
◎人名索引・事項索引