運命の足音
五十七年目の夏に
一枚の写真
許せない歌
遠景のなかの父
地獄はどこにあるのか
運命の足音がきこえる
深夜に近づいてくる音
幸田露伴の運命論
人びとの心をとらえる超能力
科学と非科学のあいだに
おのれの直感を信じて
人生は選択と決断の連続
自分というちっぽけな存在
傲慢になりすぎている人間
人が「天寿」を感じるとき
自分の生はいつ終わるのか
照明されないものを信ずる心
「自分」はなぜ尊いか
運命のいたずら
「禍福」は一瞬にして逆転する
運命を左右した事故
凡夫である自分を認めること
宗教のふしぎな世界
「善キ者ハ逝ク」の英訳
新しい明日はどこにあるのか
見える世界と見えない世界
一瞬の「恥」や「畏れ」を抱かせる
マイナスとして働く宗教の力
傲慢な人間にブレーキをかける言葉
宗教は夜道を照らす月の光
信仰をともにする共同体の大切さ
「宗教とはなにか」を考え直すとき
すべてのものに命がある
命あるものへの共感から
いま根底から問われている人間中心主義
戦争の世代をのりこえて
「あいまいさ」を「寛容」として見る
「日本人の感覚」の可能性
目に見えないものを実感するとき
すべての背後に存在する欧米の神
神の意志としてのビジネス
「罪深い」自己の自覚から
「宗教」をあいまいにしてきた日本人
「魂」を無視してきた近代化の誤り
運命共同体としての家族
「働く女」として母親像
「物語る」ことへの欲求の芽ばえ
敗戦直後に母を失って
親と子の関係は運命か
生きる力をあたえてくれる「歌」
言葉による演奏家でありたい
生まれつきの才能も運命である
「生まれてみたけれど」という年
テロリズムと経済恐慌の時代に生まれて
江藤淳さんの死をめぐる反響
「心身の不自由」という言葉
医学の目的とは苦痛を軽くすること
同じ引揚者として感じる連帯感
いま「運命の同伴者」たちへ
あとがき