昭和二十年 第1部 8(5月26日~5月30日)
- サブタイトル
- 横浜の壊滅
- 編著者名
- 鳥居 民 著者
- 出版者
- 草思社
- 出版年月
- 2001年(平成13年)10月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 328p
- ISBN
- NDC(分類)
- 210.75
- 請求記号
- 210.75/To67/1-8
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
23 火のなかで、焼け跡で、人びとはなにを考えるのか 5月26日
焼夷弾は宮殿に落とされなかった
燃え殻ひとつで宮殿は燃え上がる
夜が明けた、逃げた人びとは
エルヴィン、焼け野原を大使館へ
家の焼け跡に戻る人びと
「兎に角徹底的にやって来る」
清沢洌の急死を惜しんだ人はいるのか
「国内思想戦」を恐れなかった
戦争責任の問題をとりあげた
清沢の批判に政府と軍は気づかぬふりをした
日本外交史研究所をつくったのだが
読売も毎日も焼けてしまう
空襲のあとの閣議で
陸海軍合同、海軍の反対論が優勢となる
24 横浜大空襲 5月29日
東神奈川に炎があがる
関内に焼夷弾の雨
山下公園の黒潮部隊はまはや動けず
横浜拘置所の治安維持法の被疑者たち
第二のゾルゲ事件か、第二の五色温泉事件か、第二の松田町集団放火事件か
「火の玉知事」がやったこと
中央公論社と改造社がつぶされた
横浜の焼き討ち、敵の戦術
山手の楢橋渡の邸も焼かれる
西戸部町、火を逃れて
蒔田国民学校、火に囲まれる
内大臣を代えなければ
吉田茂逮捕の噂を聞いて
松平恒雄の内大臣更迭計画
内大臣に石渡荘太郎を
もっとも重大、もっとも危険な問題だったにもかかわらず
天皇の不文律、「内大臣に軍事問題の助言は求めない」
内大臣が言上しなければならなかったこと
なぜ木戸は戦いを回避しようとしなかったのか
蒔田国民学校の教師たち、火と闘いつづける
靴下をほどいている未決囚
すべてが焼けてしまって
横浜の煙を遠くから見る人びと
25 迫水、毛里、美濃部がやってきたこと、よろうとしたこと 5月30日
「あくまでも戦うのだ」と鈴木貫太郎
毛里、美濃部、迫水が昭和十六年にしたこと
昭和十七年九月、アメリカを見くびっていたと気づいた
昭和十八年七月、航空第一主義の計画を立てた
昭和十九年七月、「平和へ移転」案をつくったが
参考文献及び引用出典
昭和二十年五月二十六日~三十日の日録
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