忘るる勿れ昭和の悲劇
- サブタイトル
- 編著者名
- 伊藤 美代 著
- 出版者
- [伊藤美代]
- 出版年月
- 2015年(平成27年)5月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 249p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/I89
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 文献あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
はじめに
第一章 私たち家族が歩んだ道
(一)大正から昭和へ・・・(大正十一年~昭和八年)
略年表
金子家の紹介、名古屋市西区下町の暮らし
克巳兄、美代(私)の誕生
父の急死と長男の夭折(ようせつ)
母は一家の大黒柱
親子五人の平穏な暮らし
幅下の地と幅下小学校
(二)近づく軍靴の音・・・(昭和九年~昭和十五年)
略年表
一貫した軍国教育
克巳兄、市立第二商業へ
兄、戦時下の名古屋高等商学校へ(現名大経済学部)
束の間の兄の青春時代
(三)戦争の渦の中へ…(昭和十六年~昭和十九年)
略年表
日米開戦、名高商繰上げ卆業
兄の学歴、東京商大(現一橋大)受験か?
兵役、教育入隊
母校、二商の教壇に立つ
銃後の暮らし
風前のともしび
(四)赤紙来たる…(昭和十九年~昭和二十年)
略年表
日進堂ご主人への手紙
門司出港、間に合わなかった面会
(五)私の戦中記…(昭和十九年~昭和二十年)
学徒勤労動員、一期一会
名古屋の空襲、わが家の焼失
(六)敗戦…(昭和二十年~昭和二十一年)
金子克己、戦死の知らせ
克巳の辿った道
(七)私の戦後…(昭和二十年~平成二年)
教員になるまで
名高商ホッケー部の方々からの寄稿文、他
「金子克己と昭和の時代」の読後感よりの抜粋
「敗残の記」藤岡明義著よりの抜粋
ホロ島戦没者慰霊行
返事の来ない手紙「拝啓 金子克己様」
ホロ島戦没者慰霊祭案内人牧野さんのその後
第二章 昭和が私に遺したもの
(一)戦没学生の手記の再読
(はるかなる山河に)
(きけ わだつみのこえ)
(二)特別攻撃隊
(三)太平洋戦争とは?
太平洋戦争の経過と日米の国力の差
太平洋戦争の誘因は?
戦争は避けられなかったのか?
戦争が不可避だったとしても なぜもっと早く停戦の措置がとれなかったのか?
停戦の措置がとれなかった責任は誰にあるのか?
(五)昭和天皇の戦争責任
(六)東京裁判とは?
(七)靖国神社
(八)兄を偲びて
おわりに
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