図書目録ビルマ デノ タタカイ資料番号:000069705

ビルマでの戦い

サブタイトル
戦争をしてはならない
編著者名
飯泉 正夫 著
出版者
春陽堂書店
出版年月
2022年(令和4年)11月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
373p
ISBN
9784394904311
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/I28
保管場所
閉架一般
内容注記
ビルマ作戦年表:p362-365 参考文献、書籍:p366-367
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

第1章 インパール作戦について
インパール作戦の背景と必要性は何か
日中戦争と援蒋ルートのもつ意味は
中国国民党政府、蔣介石は8年間も日本軍との戦いができたのか
運命を握る物資ルートが遮断されインドから空輸しかなかった
米中連合軍は危険をおかしヒマヤラ越へ空輸作戦に出る
仏領インドシナの独立の経過とは
 
第2章 インパール作戦決定までの経過と苦悩
インド・アッサム進出を胸に牟田口司令官
大本営、方面軍、第3航空軍の幕僚が集まって、兵棋演習を行なう
一度は流れた作戦準備でしたが
インパール進攻、二十一号作戦準備延期する
進攻から防衛に
英印軍の反抗はアキャプから開始された
ビルマ防衛から作戦転換の苦闘
攻をあせったのかインド進攻計画へと傾く
インド独立運動、チャンドラ・ボースの存在
逆転した作戦計画がだされる
 
第3章 流れはインパール作戦準備へ
第一五軍兵棋演習で防衛から進攻へ
決め手はどうもチャンドラ・ボースの来訪にあったのでは
ビルマ方面軍司令部、第15師団布陣
インド・ビルマとの連合参謀部を旗揚げ
 
第4章 インパール作戦行動開始
インパール作戦決定と行動開始についての判断
インパール作戦行動の概要・進撃作戦命令下る
第33師団(弓)の戦い、戦術
左突進隊、笹原聯隊に飯泉英夫は車載山砲第8中隊所属
山砲第8中隊は敵の自動車を利用して車載山砲を編成する
 
第5章 シンゲルにおける戦闘
シンゲル付近における遮断作戦・戦死者267名に上る
第1大隊の戦闘3月23日入江増彦中佐戦死
第2大隊の戦闘、第5、第7、斎藤機関銃小隊欠
悲憤のインパール街道遮断血涙を呑んで開放
笹原聯隊の追撃、インパール平野に入る
インパール作戦で野戦重砲の戦い
野戦重砲第18聯隊は第33師団右突進隊第213聯隊、右突進隊・第213聯隊、聯隊長山本莫少将に配属インパールへ
インド、ビルマの国境を通過、インパール平野へ進出
 
第6章 インパール平野、ビシェンプール周辺の戦闘(笹原聯隊の死闘より)
ビシェンプールでの戦闘・・・ガランジャール戦闘の攻防
ビルマは5月本格的な雨季の到来となる
4月21日・野戦銃砲八門ガランジャール攻撃する
トルボン陣地の攻撃とコカダン付近への進出
4月18日からアンテナ高原並びに森の高地を攻撃
 
第7章 激戦ガランジャールの戦闘
ガランジャール南側地区の攻防(4月26日から5月5日)
山砲中隊の戦い、ガランジャール付近
第1大隊の青山陣地を死守する
5月12日から25日ビシェンプール再攻撃
 
第8章 ビシェンプールの再攻撃戦闘
5月12日から25日ビシェンプール再攻撃
師団の強襲命令と第2大隊の戦闘、中谷大隊長戦死
 
第9章 英印軍、日本軍の後方遮断による激闘(野戦重砲18聯隊戦記より)
5月18日、日本軍の後方トルポン隘路口を占領
三つこぶ高地および観測所高地の攻撃、末木第3大隊長戦死
 
第10章 インパール街道遮断、乾坤一擲の戦闘(山砲8中隊戦記より)
5月18日、佐間聯隊、ビシェンプール・2926高地攻撃
三つこぶ高地の攻撃、第2次、6月6日第3大隊
観測所高地の攻防、第1大隊-6月6日~7日
三角山、裸山の攻防・6月21日から7月7日
6月21日、第1大隊、林陣地を橋本聯隊占領
第2機関銃中隊、陸軍伍長、駒村安勝の私記
 
第11章 作間聯隊の死闘
作戦発起からトンザンまでの戦い
ピーコックの戦闘が初戦となる
トンザン付近の戦闘、英印第17師団と
ビシェンプール周辺における戦闘
ガランジャール付近の戦闘
第1大隊のビシェンプール突入
英印軍のインパール全般の戦いと配置部隊は
 
第12章 ビシェンプール突入、2926高地の死闘
第1大隊のビシェンプール突入
ああ 山守大尉・・・聯隊副官・河合金一郎大尉の戦記
山守恭大尉の第2次ビシェンプール攻撃
2926高地における作間聯隊(1) 第2大隊の死闘
2926高地における作間聯隊(2) 第8中隊・幸田中隊長の戦死
2926高地における作間聯隊(3) 第7中隊の戦い
2926高地における作間聯隊(4) すばらしく美声な日本語が
ビシェンプール周辺におけるその後の戦闘
ファラムの第3大隊、第12中隊の戦い
敵砲兵陣地攻撃、斬込み隊として砲5門を破壊攻撃
 
第13章 無念のインパール撤退戦闘(笹原聯隊の死闘より)
インパール撤退-血に染めた幾山河に戦友の萬骨を残して
トルポン隘路口の戦闘、7月14日から26日まで
マニプール渡河点までの撤退
8月29日から9月4日、5860高地の戦い
9月19日、聯隊長笹原大佐、壮烈な戦死を遂げる
田中師団長の9月20日の日記
山砲第8中隊砲を失い、中隊は、その名を残すのみ
野戦重砲第18聯隊、インパール無念の後方機動開始
 
第14章 無念の撤退、ティディムからカレワ
ティディムよりカレワ周辺にいたる撤退作戦
笹原聯隊長の後任、柄田節大佐が着任、第2大隊長音田孝二大尉が中谷謙一少佐の後任に着任
野戦重砲最後の戦い、涙をのんで「砲」を爆破
インパール作戦の参加兵力と消耗、参加兵力約85600人残存兵力10500人となる
モニワに対する撤退-カレワ対岸の戦闘
 
第15章 右突進隊、山本支隊の戦闘(笹原聯隊の死闘より)
パレル方面・右突進山本支隊、第5、第7中隊の戦闘
第5中隊のモーレ周辺への前進と戦闘行動
第5中隊モーレ付近への前進
第7中隊モーレ付近への前進
3月22日、タム陣地攻撃
 
第16章 テグノパール攻撃命令
テグノパール周辺の攻防戦
テグノパール南方における警戒と敵の探索行動
第7中隊の擂鉢山および傘松山の攻撃
第5中隊の第1次ランゴール周辺の戦闘
テグノパールへの撤退、5月9日から15日
 
第17章 中谷山攻撃、第1次から第5次
第5、第7中隊の中谷山攻撃(中谷第2大隊長の名前から)
中谷山第2次攻撃、6月6日の攻防
中谷山第3次攻撃、6月9日
中谷山第4次攻撃、6月10日祭兵団
中谷山第5次攻撃、6月11日から12日
 
第18章 パレルから無念の撤退戦闘
撤退作戦行動、撤退命令受領直前の情況
前島山の戦闘、7月13日~24日まで
撤退行動・7月14日から30日にかけて
戦傷病者の撤退について
ヤザギョウ付近の撤退戦闘
 
第19章 イラワジ会戦から撤退戦闘(山砲8中隊戦記より)
イラワジ会戦の準備と戦闘発動
第33師団(弓兵団)の戦い
英印軍のイラワジ河渡河開始と、これを阻止する戦闘
イラワジ会戦の後期の戦況と頓挫
作間支隊の西飛行場奪回、野戦重砲9中隊、所属野砲第2中隊塚本啓三少尉参戦し戦死
独立野砲第2中隊マンダレーで編制・イラワジ会戦へ
 
第20章 イラワジ会戦の敗北とメイクテーラ奪還戦闘、撤退
メイクテーラ奪還の死闘と撤退
イラワジ会戦の破局とメイクテーラ奪回作戦
 
第21章 柳田師団長、佐藤師団長解任まで
第33師団(弓)長、柳田中将の熟慮そして更迭
柳田師団長更迭されるにいたった
第31師団(烈)長、佐藤幸徳中将の戦い
佐藤師団長軍命拒否となる
説得の使者と大激論となる
 
第22章 チャンドラ・ボースの危惧
20年8月31日、河辺ビルマ方面軍司令官、牟田口第一五軍司令官ともに更迭
チャンドラ・ボース3度目の東京行き
チャンドラ・ボース、婦人部隊とともに
日本軍「降伏」伝達の使者
冷静、不屈の面目、ボース氏の考え
敗戦そしてボース氏を日本へ
台湾、台北までは無事でした
 
第23章 インパールの戦いは、だれが立役者か
1943年3月27日、ビルマ方面軍が新設される(前第2章のくり返しになる)
牟田口司令官のインパール進攻への変身は
インパール作戦に第一八師団長時代、牟田口は反対でした
チンデイット(ビルマの象に似た守り神)部隊が日本に与えたインパクトは大きい
壮大なインド北東部(インパール)進攻案
河辺中将の曖昧な態度とラングーン兵棋演習
河辺中将は東京で東条英機から戦局を打開してほしいと言われていた
大本営の受け止め方はどうだったか
おそ過ぎたインパール作戦の中止命令
インパール作戦の失敗の責任と問題点はなにか
ビルマ戦線で情報活動にかけたエネルギーの格差
ビルマ作戦年表
参考文献、書籍
あとがき

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