ジャズ旋風
はじめに
渡辺貞夫
ジャズとの出合い
進駐軍の前で演奏
高校時代の想い出
プロを目指して
さまざまな出会い
「富士屋ホテル」時代
練習の方法
クラブと『ハーレム』
アメリカに憧れて
守安祥太郎と秋吉敏子
「コージー・カルテット」に入る
『モカンボ』のジャムセッション
「コージー・カルテット」を引き継ぐ
ジョージ川口と「ビッグフォー+1」
アメリカへの留学
バークリー音楽院
宮沢昭
戸山学校入学
軍隊教育と慰問旅行
終戦
再度上京、ミュージシャンに
バンド遍歴
『コンボ』に集まる
「フォー・サウンズ」での活動
原信夫
軍楽隊に憧れて
「乙種練習生」の訓練
連合艦隊司令部付きに
戦争の激化とともに
終戦、そして再出発
ジャズメンへの道
「EMクラブ」へ
キャンプをまわる
ビバップ初体験
「原信夫とシャープス&フラッツ」の"誕生"
ジャズ・コンサートへの出演
クラブへの出演
残響音(エコー)の工夫
最初のコンサート
秋吉敏子
戦争の落とし子
ピアノを始める
自分のスタイルを求めて
日本の伝統を生かすこと
アメリカに戻る
現在の活動
ロング・イエロー・ロード
対談「コージー・カルテット」の頃
三木敏悟
ジャズに目覚めて
修業時代
ヨーロッパで学ぶ
ビバップとは何か?
バンド結成
バークリーへ入学
ジョージ・ラッセルの音楽理論
マイルス・デイビスのヒント
帰国・アレンジャーへの道
ビバップを超えて
ミュージシャン・シップの確立
TBSのジャズ番組(高橋一郎)
民間放送開始
「ラジオ東京」の発足
秋吉敏子~戦後ジャズの幕開け
石原康行の証言
深夜のレコーディング
「日劇」ライブ放送
テープ保存のために
当時のテープ事情
NHKと対抗して
「ラジオ東京」の音楽番組
専属契約制
ラジオからテレビへ
『テレビ・ジャズメン・クラブ』
ある日の放送
番組中のハプニング
ドーメイさん
番組台本
証言
ジャズを求めて戦後史を歩く(佐々木守)
それぞれの八月十五日
「RAA]の設立
政府が三千万円の出資
ぼくの八月十五日
日本にとってのアメリカ
WVTR放送開始
新時代のジャズバンド
戦前のジャズ
ビバップ誕生
「アメリカ兵にはジャズと女」
米紙特派員の証言
トラックでピックアップ
新しい「文化」とともに
「RAA」の閉鎖
ぼくにとってのジャズ
参考文献