図書カイソウ シズオカ チュウガッコウ000069034

回想静岡中學校

サブタイトル1~10
戦中戦後の激動期を生きて
編著者名
静中静高史編集委員会 編
出版者
静岡県立静岡高等学校同窓会
出版年月
2004年(平成16年)6月
大きさ(縦×横)cm
26×
ページ
273p,図版1枚
ISBN
NDC(分類)
376.4
請求記号
376.4/Sh94
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

はじめに
I 戦前(大正から昭和初期)
大正時代の中学生
柔道を通じて精神修練に励んだ静中時代
ハイキング・詩作などで青春を謳歌
甲子園優勝(大正一五年)
優勝までの足取り
中二
提灯行列で溝に落ちてずぶぬれになった
朝日新聞の速報で試合経過を伝えた様子
天皇行幸(第一回 昭和五年五月二九日)
行幸のスケジュール
天覧授業の感想
徹夜で警戒
天覧水泳
お立ち台の木材、表札用に配布
恩師の回想
小澤三郎先生
教師への道
第一歩
位野木壽一先生
新任教師のころ
斑目文雄先生
静中の思い出
志陵クラブのこと
志陵クラブのこと
当時の汽車通学について
二・二六事件(昭和一一年二月二六日)
卒業式で聞いた大先輩の式辞
積雪二〇センチ
一面銀世界
雪遊びにはしゃいで教室を水浸しに
軍事教練
昭和初期の教練
野外演習
教練の思い出
学校行事、その他思い出すこと
昭和四年四月二三日~二六日関西修学旅行の模様
土足、掃除なしは他校に優越感
校長に叱られながら田中屋で日本画展開催
友人は後にプロ作家に
一生を戦争のための道具に使われた感が強い
他校は映画館入場禁止に驚愕
ラグビーの思い出
運動会の分列行進
全国中等蹴球大会・静岡県中学駅伝大会
対島商、対静商の野試合
静商に負けると学校まで歩いて帰った
グライダー部、昭和一二年創設、朝霧、霧ケ峰で練習
昭和一一年頃の静中時代に思いを馳せて
 
II 戦中~終戦まで
大戦前夜
静中在学中の思い出1(昭和一二年~一六年)
静中在学中の思い出2(昭和一二年~一七年)
カーキー色の制服、 天覧野球記念試合復活、 庭球の活躍など
静中在学中の思い出3(昭和一四年~一八年)
真っ暗なところで合格発表、サーカスのジンタと共に始まった中学生活
二度とない今、なぜみんなは勉強するのか?
野球部(班)解散
映画鑑賞 乳房の揺れに大歓声
学校に革靴を履いて来いといわれ
登呂遺跡の発見…郷土研究クラブの想い出など
部活 グライダー部ほか
アンケート抜粋
開戦〜終戦
回想「予科練」
静中在学中強く印象に残っていること
静中在学中で一番自慢できること
今をどう生きるかの問い 同級生で軍隊に行った方々の動機
戦時中の思い出1(昭和一六年~一九年)
戦時中の思い出2(海軍技術研究所島田分室)
戦時中の思い出3(昭和一七年~ 二〇年)
海兵志願、その後
戦時中の汽車通の思い出
海兵の最期、終戦後の日本再建に向けた教育
静中同期と同期会
静中で育まれた反骨の精神
時代をミスリードした軍部の責任
人生で一番大切な青春時代の教育
学徒動員~海兵志願
なくなった弁当
ゲートルと兵隊
古参兵の鉄拳制裁にショック
激動の時代を生きて 青春の日々“走馬燈”
新司偵
入学式の前夜、友人二人空爆で死亡
恐怖と飢餓の年
夜行軍
昭和一八年の夜行軍(四年生)
〃(二年生)
〃(一年生)
工場動員・三菱工場爆撃
三菱発動機製作所の動員体験
三交代制勤務、厳しいはずだったが意外に悲壮感はなかった
社会の縮図のような混成集団の共同作業
大きかった欧米製機械との格差
学徒動員…昭和一九年一二月三一日のストライキ、二〇年一月西部汽車通学生の無断早退事件の経過について
三菱発動機第四機械工場四人組の結束
兵士のくれたサイコロステーキ
三菱工場爆撃の日記
犠牲者ゼロの誇り…父 藤元章雄三菱工場長の手記
望月亮平先生のご尽力
消防団員として火の見櫓の上で工場爆破を見た
学徒動員の思い出、女学生と歌を唄って楽しく過ごしたことも
「神風」のハチマキ巻いた分隊長
中学二年、工場動員の思いがけない息抜き
静岡大空襲(昭和二〇年六月一九日~二〇日)
卒業生の戦争体験、空襲数時間前の静中校舎を見た
静中教員として校舎焼失を目撃した
静中、燃ゆ
炎の中へ…父母が語る戦争の話
静岡が戦災を受けた六月一九日の状況
夜襲訓練中の校舎焼失
空襲で焼死した友への弔辞
島田から握り飯を運ぶ
教室に忘れた筆箱
六月二〇日朝、焼け跡にたたずむ先生方
原形残して灰になった英語辞書
一九日プール開き、二〇日農業動員の予定
防火用水に彫刻のような遺体
安倍川の水が湯のように熱く
茶畑に潜んで朝を待った
静中魂は焼けやせん!
不発弾で大怪我をした学友も
中学生は戦闘員
母の遺骨
学校林のこと
(社)卬高会と羽鳥の森林について
急な斜面をよじ登り植林を終えた
卬高の心を永久に
静中・静高学校林を思う
感謝する幸せ
戦時中の英語の授業
学校行事、その他思い出すこと
 
III 先生の思い出
高林校長の竜爪登山
澤本兼治先生、位野木壽一先生
三人の校長の死 (昭和一三年~一七年)
恩師のことども
シベリアの凍土に散った下野先生
英語の床並繁、歴史の下野和夫先生のこと
佐野彊作さん… 分列行進の特訓
床並先生の英語私塾
出征する下野先生に「死んでしまえ…」とコール、奥様にお詫び
出征する下野先生に間処校長が獅子吼
間処校長先生の話 戦争はすぐ終わるから…
プーカンと語る
先生のあだ名 数え歌
間処校長先生の毀誉褒貶 (きよほうへん)
前島教官の思い出
先生の思い出
アンケート抜粋
 
IV 戦後~新制高校発足まで
終戦のとき
友と山に登って焼け野原を見ていた
終戦時の先生の言葉、 元の独立国になるには100年かかる
終戦の日、学校で玉音放送を聞く
飯田先生、終戦の年に英和辞典を入手
日本敗戦、間処校長三時間の大演説
新しい時代の到来、素直に受け入れた
軍人の夢失いサッカーに青春をかける
進駐軍アメリカ兵の迫力
何時までの命か…これで死なずにすんだ
不要になった「青酸カリ」 を庭に埋めた、女子入学は青天の霹靂
戦後の復興、仮校舎・天皇行幸など
昭和天皇との会話
終戦直後の卒業式、 校歌四番まで斉唱
昭和天皇の思いで、規律良く友好的だったアメリカ兵
軍人志望の挫折、天皇陛下なぜ?
天皇陛下の思い出
すべてが灰色一色だった
自治会の発足
友達とわいわいがやがや、アルバイトもよくやった
台湾から引き揚げ転校、「岳南健児」を歌って自ら励ます
卒業時期が三年に分かれた六六期の経緯
口では言い表せない戦前と戦後の価値観の変化
波乱に満ちためちゃくちゃな時代…今はむしろ感謝の気持ち
御下問
急に「民主主義」と言われても
天皇行幸余聞、アルバイト、クラブ活動のことなど
苦難な時代に学んだ者が最も出色ある人生を突き進むことを信じて
「狭間に活きて」城内高校時代
中高一貫六年制教育、戦中戦後をつなぐ二重の価値観
最初は怖かった男の学校、自分の意志で残って学んだ
学制改革、過渡期の暫定措置 「併設中学校」
靴を履いたまま校舎に入る制度、校名 「静岡高校」に決定の由来
クラブ活動の復活
クラブ活動の復活
クラス会誌「灯」の発刊(昭和二二年度 三年二組)
恩師の回想 湯原誠先生
昭和二四年(一九四九年)夏のこと、ほか
クラス会誌「灯」発刊に就いて(創刊号)
〃再度諸君に希望す(創刊号)
〃最後に(決別号)
恩師の回想
平井行男先生、土屋璋先生、荻野純夫先生
渡辺福太郎先生、福井半治先生、鈴木守郎先生、八嶋ため先生
社会・学校・自分…思い出すこと
男女共学、通年生ホームルーム
男女共学、通年制HRの導入
はじめはどう話して良いか戸惑い緊張した
入校5年目、初めての下級生
通年制ホームルーム、新聞を発行
ホームルーム数え歌
ホームと新聞(昭和二五年五月 第一ホームルーム新聞)
この学校に入って(〃)
もっと積極的に(〃)
静高女子パイオニアの回想
 
参考資料
戦前の学校制度概略
静中・静高、戦中戦後の動き(1)(2)
静岡県高校球児甲子園の戦績 夏季大会、春季大会
資料情報等提供者一覧
編集後記