昭和史探索 2
昭和五年から八年の大きな流れ
昭和五年(一九三〇)
世界大不況下の日本
ロンドン軍縮会議への三原則
艦隊派と条約派との抗争
統帥権干犯という”爆弾”
条約が調印されたのちに
資料
銀座と浅草(古川緑波)
ガール全盛時代(高田義一郎)
施政方針演説(濱口雄幸)
ロンドン会議の回想(若槻礼次郎)
奉乞骸骨上奏文(加藤寛治)
岡田啓介日記抄(昭和五年より)
加藤寛治日記抄(昭和五年より)
統帥権よりも国民負担軽減(東京朝日新聞社説)
桜の会の成立(橋本欣五郎)
「桜会」趣意書
浜口首相狙撃と私(中田義次)
ロンドン条約と統帥権干犯(北一輝)
〈余談として〉
「嵐に向かって窓を開ける」
「真の世界選手権の実現を」
昭和六年(一九三一)
「三月事件」の策謀者
満州事変への道をひたすらに
満州事変の勘どころは?
罪に問われなかった十月事件
資料
満蒙はわが国の生命線である(松岡洋右)
三月事件について(橋本欣五郎)
三月事件の回想(木戸幸一)
満蒙と我が特殊権益座談会
満蒙問題私見(石原莞爾)
満州事変はこうして計画された(花谷正)
満州事変と若槻内閣(幣原喜重郎)
満州事変の勃発より十月事件まで(原田熊雄)
満州事変をどう思うか
内閣の欲せざる事変の拡大(東洋経済新報)
日支衝突の世界的意味(石橋湛山)
十月事件の顛末(橋本欣五郎)
〈余話として〉
「劣等感をいだかせぬように」
「エンプティステート・ビル」
昭和七年(一九三二)
上海事変もまた謀略であった
リットン調査団の来日
新国会・満州国の建国
血盟団のテロと五・一五事件
高まる軍国主義的風潮
資料
千人針(吉村冬彦)
「波乱多き上海時代と川島芳子女史」より(田中稔)
満洲建国宣言
満州国の実態(溥儀)
血盟団秘話(井上日召)
五・一五の作戦本部(三上卓)
首相凶手に斃る(福岡日日新聞)
敢て国民の覚悟を促す(福岡日日新聞)
日本国民に激す(陸海軍青年将校・農民同士)
東京日日新聞の報じた肉弾三勇士
東京日日新聞の記事より
〈余談として〉
「銃後の守り」
「和服の場合は下着を着けよ」
昭和八年(一九三二)
国際連盟から脱退・栄光ある孤立
「瀧川事件」の敗北の意味
猛進しはじめた軍事国家への道
「ただいまご親王さま誕生」
資料
『牧野伸顕日記』(昭和八年より)
国際連盟脱退通告文(一九三三年三月二十七日)
松岡洋右縦横談
国際連盟脱退管見(土橋勇逸)
近親に送る手紙(瀧川幸辰)
ゴー・ストップ問題(末松厳太郎)
関東防空大演習を嗤う(桐生悠々)
皇太子誕生(「官報」)
『木戸幸一日記』(昭和八年十二月より)
〈余談として〉
「サイタサイタ サクラガサイタ」
「将来の告発者として居あわせたい」
関連年表