家の履歴書 男優・女優篇
有馬稲子
錦之介さんと暮らした京都鳴滝の家は敷地九百坪の豪邸だったが……
藤山直美
二十年以上子供部屋で一緒に寝てくれた、うちの恩人"カンカン"
淡路恵子
中村プロ倒産、夫の難病介護……神楽坂の借家は闘いの毎日だった
千石規子
四歳の時、一家九人が大八車を押して「貸間あり」の木札を目あてに引越し
竹下景子
五歳から十歳まで両親と"川の字"に寝た東村山の公務員住宅が好き
伊東四朗
凍傷になるほど寒かった国立での"高床式"生活
堺正章
父の代から約四半世紀、四軒にわたり同居した不思議な"他人"
高島忠夫
亡くした最初の子が乗っていられるよう、元の屋根は残して改築してます
里見浩太朗
僕はニューフェイスから叩き上げた雑草。豪邸には縁がないんです
福本清三
花園駅近くの四千円の部屋に川谷拓三と同居したがいつも家賃滞納
加藤剛
御前崎の実家は敷地八百坪の"桃源郷"。その中で両親と兄姉に愛され過ごした初年時代
中井貴一
田園調布の家には、僕が二歳の時に死んだ親父の香りが残っている。僕が生きてる間は壊したくない
三浦友和
小三の時まで父親が山梨で巡査。大菩薩峠の麓を六回引越し、家は村の駐在所だった
秋野太作
小石川の長屋で実母が他界、転々と近隣に預けられ十歳まで。そして継母が来て地獄に
橋爪功
高一の時引っ越してきたが、大阪に根っこがあるのか、東京で地べたを買う気がない
小林旭
美空ひばりは可愛い妻になろうとしたが、結局母親と離れられず、一年半で終った上野毛の豪邸生活
平幹二朗
佐久間良子と離婚後、世田谷区下馬の家のそこここに子供達の姿が甦り、辛くて一年で処分
笹野高史
わずか五,六年だったが、母親と暮らした淡路島の洲本の家が一番心に残る
石倉三郎
渋谷区本町の六畳間に住んでいた二十代後半は、人生の中でも一番荒れた時期だった
加山雄三
思えば、僕は一度も家を建てたことはないけど、別に残念だとは思わない
坂田藤十郎
二十三歳の時、父のために京都・岡崎に五百坪の豪邸購入。だが父は複雑な思いで……
松本幸四郎
ゴーラムホテルに暮らし、本場で「ラ・マンチャの男」に挑んだ日々が忘れなれない
市川團十郎
現在の目黒区青葉台の家で、初めて板の間で天井の高い、稽古場を持つことができた
あとがき