図書センソウ ノ コロ ノ タツノクチ ノ ヒトビト000068749

戦争の頃のたつのくちの人々 第一集

サブタイトル1~10
編著者名
辰口町立博物館 編
出版者
辰口町役場
出版年月
1996年(平成8年)3月
大きさ(縦×横)cm
30×
ページ
130p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/Ta95/1
保管場所
閉架一般
内容注記
編集協力:辰口町社会福祉協議会 調査協力:口町老人クラブ連合会
和書
目次

一 残された家族
仏さんの前で慟哭していた母(倉重・橋本礼子)
見送りの時に封切りの下駄の歯が折れて(倉重・中すみ子)
女だけでせんなんつらさ(倉重・中きわ子)
工場の休み時間に戦地へのさし入れを(倉重・塩野貞子)
会いたい一心で面会に(倉重・中きくえ)
遺言状があったとは
灯火管制、母子三人うずくまって(来丸・相川留子)
赤ん坊の顔も見んうちに(来丸・山下ふさ子)
戦争遺児やとひがんでもいた(来丸・山下幸枝)
夫の消息を伝える一通の手紙(北海道・大西勝由)
出征後の家族のことをも考えて(坪野・西田美津枝)
カタカナで書かれた戦地からの便り
死んだがに決めていた(坪野・谷川信子)
八年だけの親子のくらし(山田・村井俊夫)
徴用日記の最後にしたためられた遺書
家郷のすべてがなつかしき(高座・松田吾郎)
二 銃後の暮らし
兵隊に行けば一人分の食糧が助かる(倉重・中本初子)
わたし一人が非国民な生活を(湯屋・西春野)
大きなリュックに製品を詰めて(北市・北野多美子)
赤紙は来たけれど(倉重・中本みどり)
貴い命を御国のために(三ツ屋・栗山美ゆき)
お国のお役にたつようにと(下清水・中川美代子)
村の人らのおかげ(倉重・清水喜美)
ひどいめにおうた(倉重・中本米子)
イワシの油で揚げたカキモチ(倉重・西出重子)
勤労奉仕に(倉重・南松子)
千人の力を腹に巻いて(鍋谷・向石先)
能美線に赤毛の進駐軍が(灯台笹・山下秀子)
切符でも品物は買えないことも(下清水・梅野ふさ)
松根油工場の下働きを(寺畠・川本菊枝)
大阪から逃げて来たら(倉重・東美代子)
お弁当をとられることも(上清水・瀬川利子)
簡単服買うのに切符制(倉重・中美智枝)
小さな兵隊みたいなもんやった(徳久・大西和美)
兵隊さんのおかげですと歌ったことが(来丸・豆田喜美子)
物がなくて(上開発・東田実)
集団疎開がうらやましかった(荒屋・東悦子)
銃後のために(高座・中田宏子)
戦争にとられた馬(徳久・宮田耕二)
一つの風景(徳久・宮田耕二)
 
三 集団疎開してきた国民学校の子供たち
疎開当時の教師の日誌『明け暮れ童と共に』
わが故郷の鍋谷の思い出(大阪・庄司昭)
学童疎開の思い出(大阪・上田俊子)
学童疎開の思い出(大阪・富樫露)
五〇年たちました(奈良・高橋憲三)
ハガキがとりもった大阪との交流
疎開の子供たちと(灯台笹・新保外美子)
 
四 引き揚げ・義勇軍
同じような引き揚げ者の集団の中で父親の背を深して歩いた日(北市・新田貴美枝)
一七歳の先生(上清水・永山昌子)
御国のためにとは言うものの(下徳山・中川三郎)
汽笛の音で涙が(来丸・豆田孫二)
 
五 空襲
毎晩のようにサイレンが鳴って(松が岡・嵐美代子)
軒先で空襲を見ていた(和気・新田初恵)
空襲のこわさ(和気・大家清子)
ニ交替で風船爆弾を(下清水・鍋谷年子)
夕焼けがこわい(宮竹・小蔵栄進)
 
六 勤労学徒
ある学徒の日誌より(金剛寺・安土次雄)
終戦の頃(宮竹・小蔵幸一)
人生を変えた戦争(金沢・慶伊富長)
生きて帰れるとは(倉重・中弘)
 
七 終戦の頃
終戦の日(徳久・村本保子)
生きる意欲がわいてこなかった(倉重・中本幸雄)
アメリカ人の捕虜に(倉重・角みや子)
終戦の日(和佐谷・谷本慎吾)
決死の志願をした時代があったこと(下徳山・車繁雄)
アメリカに養われていた(来丸・東秋雄)
敗戦のみじめさ(上開発・今西俊雄)
東海三一二一〇部隊(上徳山・徳田義一)
 
あとがき