図書ゲンバク000068065

原爆

サブタイトル1~10
捨てられない記憶と記録
編著者名
佐々木 猛也 著
出版者
日本評論社
出版年月
2021年(令和3年)11月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
xxi,621p
ISBN
9784535525993
NDC(分類)
319
請求記号
319/Sa75
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

長いまえがき
プロローグ
ヒバクシャ
二二番原告・田部信重 死んでしまうと家族は覚悟した
あの日の朝
リトルボーイの炸裂
原爆が落とされたとき
どこで何が起こったのか
あの日のあのとき
被爆した叔父
被爆した母方の祖父ら
第一章 都市の記憶・廣島
廣島の街・どんな街だったのか
水の都・廣島
日清戦争
海軍の街・呉
日露戦争
路面電車
金融街
城への運河・外堀の埋め立て
学都廣島
 
第二章 昭和二〇年八月六日・廣島がヒロシマになった
朝・甲子園球場
丹下健三・父母の死
廣島の警戒警報・空襲警報
ヒロシマ
廣島県庁・廣島市役所
医療関係者の死と救助活動
生まれた命
機上の搭乗員たち
ヒロシマの夜
原爆投下に関する大統領声明
六日の夜が明けて
ヒロシマ・遺体
愛知県豊川市
バチカン法王庁発表・日本政府の対処・大本営発表
対日警告米軍のビラ・伝単
 
第三章 ウラン二三五・二三八・二三九・二四〇
原爆の開発
放射線の研究は、ヨーロッパで始まった/日本の原爆開発
三つの原爆
リトルボーイ/シンマン/ファットマン/オチンチン/肛門に突っ込んでやれ
放射線
初期放射線/残留放射線/黒い雨/広島地裁・令和二年七月二九日判決 黒い雨訴訟/広島高裁・令和三年七月一四日判決/被爆樹木
精神的被害・社会的被害
一四番原告・古田勝次 あと三日の命と告げられた
 
第四章 被爆者の援護に関する法律などの歴史
被爆者の救護を求める動き
被爆者団体協議会(被団協)の結成・昭和三一年
原爆医療法の制定・昭和三二年/特別被爆者・昭和三五年/被爆者援護の決議・昭和四〇年/つるパンフ・昭和四一年/被爆者特措法の制定・昭和四三年/原爆二法に関する最高裁判決・昭和五三年三月/被爆者対策基本問題懇談会の意見書・昭和五五年/
原爆被害者の基本要求・昭和五九年/米国・放射線被爆退役軍人補償法・昭和六三年
被爆者援護法の制定・平成六年
原爆症認定の要件
 
第五章 国を訴える
原爆症認定訴訟(個別訴訟)
DS八六(日米合同評価作業グループ報告書)・昭和六一年
長崎・松谷訴訟最高裁判決・平成一二年
しきい値
審査の方針・平成一三年
二八番原告・平田勝也 完全脱毛、吐血、下痢―申請三年後に却下通知
なぜ集団訴訟なのか
集団訴訟の勝利に向けて
提訴の日
原告団団長の訴え
一三番原告・重住澄夫 原子爆弾を使った人に言いたい
ピカの村・川内村
弁護団団長の訴え
一番原告・大田アサ子 原爆に人生を狂わされて
 
第六章 破壊された生活と別れ
中島地区
大正屋呉服店―燃料会館―レストハウス
廣島県物産陳列館―廣島産業奨励館―原爆ドーム
原爆ドームの保存運動
一二番原告・村木裕司 今も果てなく続く苦しみ
廣島駅の被災
二三番原告・田中忠義 原爆に崩された青春時代
被爆時の廣島市の人口
朝鮮人被爆者
朝鮮の人と
錦の御旗/韓国合併/朝鮮人家族との別れ
 
第七章 その後の核兵器をめぐる動き
マーシャル諸島での原爆実験
ソヴィエトの原水爆実験
アトムズ・フォー・ピース・昭和二八年
ネバダ核実験・昭和二八年三月
ビキニ水爆実験・昭和二九年
中曽根予算・昭和二九年
ラッセル・アインシュタイン宣言・昭和三〇年
最初の原水禁世界大会・昭和三〇年
下田原爆訴訟・昭和三〇年
原子力平和利用博覧会・昭和三〇年
広島原爆病院・昭和三一年
核兵器開発・狂乱の歩み
ベトナム戦争・昭和三五年
キューバ危機・昭和三七年
部分的核実験禁止条約・昭和三七年
下田原爆訴訟判決・昭和三八年
自衛隊・平和通りを行進・昭和四〇・四一年
核不拡散条約・昭和四五年
核戦争防止協定・昭和四八年
在外被爆者
孫振斗(ソンジンドゥ)のいくさ/郭貴勲(カクキフン)のいくさ
平和首長会議・昭和五七年六月
DS〇二(日米合同評価作業グループ報告書)・平成一四(二〇〇二)年
東京地裁判決のDS八六判断
東京地裁・高裁 東原爆症認定訴訟勝訴の励まし
 
第八章 第一回公判期日
五番原告・萬アキ子 意見陳述
二四番原告・二谷キミコ 〇・五キロ以内での被爆
袋町国民学校
三番原告・山中寿子 余命は半年 四回却下され、またも却下
医師意見書一/医師意見書二/なぜ、認定が却下されたのか
 
第九章 アジア侵略・太平洋戦争への道・原爆開発・投下への道
天皇の大権・統帥権
「統帥参考」
アジア侵略・太平洋戦争への道
柳条湖事件/暗殺/二・二六事件/盧溝橋事件・日中戦争
南京大虐殺
ある男の戦争
昭和一四年
昭和一五年
昭和一六年
四月一日 国民学校令/帝国国策要領/北部仏印進駐/日米決裂/旧長岡藩士高野貞吉六男・山本五十六
一二月八日 真珠湾攻撃
「汚名として残る日」
一二月八日 マレー半島上陸
一〇番原告・岡舛善治 あの日を境に変えられた人生
廣島歩兵第一一連隊
病院船
廣島の軍事施設
昭和一七年
日系アメリカ人の強制収容/シャングリラ(理想郷)はどこか/六月 ミッドウェー海戦/八月 負けいくさは続く/マンハッタン計画/九月二一日 B二九完成/原子力の誕生と実験工場
昭和一八年
二月「餓島」転進/四月 ロスアラモス国立研究所/五月 アッツ(熱田)島/六月 学徒動員戦時体制/八月 ケベック会談/九月 学校防空指針・御真影/一二月一日 カイロ宣言
昭和一九年
濃縮ウラン製造/インパール作戦/プルトニウムが運ばれた/風船爆弾/六月一五日 サイパン争奪戦/六月一六日 本土空襲/父が戦争に行った/内閣総辞職/サイパン島玉砕/グアム島・テニアン島玉砕/出撃基地はテニアン島/夏 ポール・ティベッツ/ハイドパーク協定/
戦艦武蔵沈没 レイテ戦/特別攻撃隊(特攻)/東京上空視察飛行・廣島上空にB二九/B二九の東京空襲/核分裂の発見にノーベル化学賞/雲龍/一二月三〇日 原子爆弾完成の時期/あの時代・国策標語
昭和二〇年
殺し屋ルメイ/連日敵機来襲/焼夷弾/ヤルタ会談/近衛上奏/硫黄島攻撃/三月 攻撃目標の選定/三月一〇日 東京大空襲/木煉瓦/名古屋・大阪への空襲/廣島初空襲/沖縄攻撃・地上戦/プルトニウムの人体実験/戦艦「大和」/四月七日 鈴木貫太郎内閣/
四月一二日 大統領の死/四月二五日 原爆メモランダム/四月二七日 ムッソリーニ銃殺/四月三〇日 アドルフ・ヒトラーの結婚と自害・廣島爆撃/五月五日 米兵生体解剖/五月八日 ドイツ無条件降伏/五月一一日 目標は四都市/五月一四日 和平仲介/
日本は降伏するだろう/五月二八日 シラード/五月三一日・六月一日 暫定委員会/六月六日 最高戦争指導会議/六月八日 御前会議/六月一一日 フランク・レポート/六月一四日 廣島・小倉・新潟が標的となり、京都が外れた/六月一五日 総理の記者会見/
六月一七日 アメリカ優位の戦局は動かない/六月一八日 ダウンホール作戦/六月二一日 無警告使用決定/国連憲章/六月二九日 岡山・門司・佐世保空襲 六月三〇日 制号作戦/七月三日 爆撃禁止/七月七日 七夕空襲/七月八日 米英合同情報委員会/
七月一三日 終戦斡旋訓令解読/七月一六日 トリニティ実験/七月一七日 赤ん坊は申し分なく生まれた/B二九のコールサイン/グローブスの画策
原爆投下命令
ポツダム宣言
どんぐり/黙殺
四四番原告・伊本初子 原爆を落とした者を呪う アメリカが憎い
インディアナポリス
呉への空襲
聳ゆるマスト
ロンサムレディ号
タロア号
廣島で爆死したアメリカ人
艦船喪失・交戦能力なし
なぜ、廣島は大規模空襲を受けないのか
移民
アメリカ生まれのふたいとこ
 
第一〇章 エノラ・ゲイ号
七月二六日 原爆はテニアン島へ
七月二九日 パンプキン投弾
七月三一日・八月一日 準備万端整えり
八月 二日 作戦命令一三号・センターボード作戦
八月 三日 廣島の雨
八月 四日 搭乗員の任務
八月 五日 出撃命令
テニアン島
点火プラグ装填
廣島上空のストレート・フラッシュ号
四国上空
小倉・長崎の上空
エノラ・ゲイ号の進路と飛行速度
エノラ・ゲイ号を捕らえることはできたのか
八時一二分・西条上空
わが家の一・五キロ北の上空を飛んだ
高射砲隊はB二九を目で見た
古田はスタジオに駆けり込んだ
訓練どおりの実行
紫電改
計測器
B二九はどちらに逃げたのか
原爆の光の色
原爆の音
原爆の味
原爆雲の色
衝撃波
建物疎開
死亡記録
死んだ少女
いとこのこと
二番原告・丹土美代子 原爆という重い荷物を背負って
広島地裁・石田原爆症認定訴訟
被爆教師石田明/判決
灰神楽のヒロシマ
燃えた路面電車
一五番原告・吉川イキミ 原爆一号と呼ばれた夫とともに
写真家佐々木雄一郎
御幸橋西詰め
御幸橋の写真に写る人たち
三位一体の遺品
被爆写真
人間筏
廣島からの情報伝達
暁部隊
咄家江戸屋猫八のこと
丸山真男も船舶司令部にいた
元横綱千代の富士の父
似島
遺骨の発掘
原爆孤児
一九番原告・東一郎 好きで親なし子になったわけではない
幸の浦訓練基地
海軍兵学校
ここまで書き進んで来て…DS〇二
 
第一一章 放射線の身体への影響
三二番原告・小松清興 たった一人で生き抜いて
物理的破壊
火球/熱線/衝撃波/爆風/火災/原爆被害の特徴/内部被曝/DNAの損傷/国の内部被爆に関する主張/昭和二五年のアメリカの調査報告
身体的障害
確定的影響/急性症状の時期的区分/放射線による慢性症状(長期にわたる後障害)/確率的影響―後障害/慢性原子爆弾症/都築正男東京帝国大学教授の「慢性原子爆弾症」
於保論文
四番原告・上川誠二 ケロイドを隠し続けて
原爆資料館元館長・高橋昭博
 
第一二章 八月六日から一五日までのこと
原爆調査団
「判決 本爆弾ノ主体ハ・・・」
八月八日 生物不毛説
八月八日 小倉・福山空襲
八月九日 ソヴィエト軍侵攻
ラーゲル
八月九日 小倉
八月九日 長崎
二重被爆者
松永儀助/福井絹代と相川国義/山口彊(つとむ)
山口仙二
八月九日 トルーマンのラジオ放送
八月九日 御前会議
原爆神話・原爆の使用は必要だったのか
八月一〇日 ポツダム宣言条件付き受諾
八月一〇日 日本政府のアメリカ政府への抗議
八月一一日 原爆効果調査団の結成
軍は原爆であると知っていた
新型爆弾報道
一八番原告・丸山美佐子 一〇日間ほど意識不明が続いた
八月一三日 クーデター計画
八月一四日 ポツダム宣言受諾御前会議
八月一四・一五日 最後の空襲
八月一五日 玉音放送
八月一五日は終戦の日ではない
拝謁記
天皇と被爆者・原爆
降伏申し入れ一週間後のヒロシマ
 
第一三章 廣島に救援に行く決死隊
六番原告・大江賀美子 私は三重がん 被爆者に目を向けてください
爆心地へ/医師意見書一/なぜ、多重がんなのか/S・Kの原爆症認定/医師意見書二/被告厚労大臣の主張
弁護団の三次高女の被爆に関する調査報告書
本川国民学校/死体の収容・火葬/同窓会誌に載る手記一/同窓会誌に載る手記二/同窓会誌に載る三次高女の教員の手記/調査報告の要約
原爆投下二週間後の入市被爆者がなぜがんになるのか
猿のごとき火遊び
科学者の死・ロスアラモス研究所
京都帝国大学医学部調査研究班
 
第一四章 占領
マッカーサー到着
どう生きるのか
降伏文書調印
バーチェット・深刻な放射線被害の記事
死ぬべき者は死んでしまった
九月五日 一億総ざんげ
九月九日 ファーレルとマルセル・ジュノー博士
三七番原告・麓静雄 九月一一日 内妻が死んだ
九月一一日 逮捕令
都築正男・原爆被災調査
九月一七日 枕崎台風
大野町・陸軍病院
九月一八日 朝日新聞発刊停止
九月一九日 プレスコード
原子爆弾災害調査研究特別委員会
日米合同調査団
記録映画撮影班
天皇とマッカーサーの会見
戦争責任に関する決議
ノーベル平和賞がハルに
Map of the Yearはトルーマン
人間宣言
憲法制定
 
第一五章 その後の八月六日
八月六日は休日
一年後の八月六日 被爆者の霊に感謝感激
二年後の八月六日 不幸中の幸い
三年後の八月六日 原爆は報復の一部
ヘレン・ケラー
四年後の八月六日 日本は不敗の反共防壁
五年後の八月六日
広島カープ誕生/ストックホルム・アピール/朝鮮戦争/八月六日 集会の禁止/ビラが降る/警察予備隊/原爆使用発言
六年後の八月六日 空から花束
七年後の八月六日 原爆写真特集号
琉球政府
亀次郎/沖縄返還交渉/「情を通じて」・四〇〇万ドル×二/非核三原則・佐藤栄作の裏切り
良心
皇居空爆・イーザリー/谷本清牧師とジョン・ハーシー/ノーマン・カズンズ・償いの行動/ルイス・ぎこちない握手/谷本牧師と近藤紘子
知られなかった被爆
沖縄・奄美諸島の被爆者/被爆して海外へ/閉ざされた場所
 
第一六章 立証
ABCC・放影研
寿命調査(LSS)/成人健康調査(AHS)/疫学調査/遺体の解剖
気象学者の証言
原告らの本人尋問
医師意見書
医師の証言
七番原告・河野益子 娘は見世物ではない 好きで原爆に遭ったのではない
四一番原告・高田輝子 がん細胞は次々と転移し手術が続いた
 
第一七章 平和記念公園内と周辺の施設など
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
碑文論争
広島平和記念資料館(原爆資料館)
原爆資料館入館者
チェ・ゲバラ/フィデロ・カストロ/ヒロシマと平和がおみやげ
平和の灯(ともしび)
平和の池
原爆供養塔・家族の墓
サダコと原爆の子の像
慰霊碑
碑文
原民喜の碑/原爆犠牲ヒロシマの碑/峠三吉詩碑/全日本損害保険労働組合被爆二〇周年記念碑/嵐の中の母子像/消えた町/東京にも碑は建つ
平和大通り
ふたつの平和大橋 イサム・ノグチ
原爆の火
世界とヒロシマ
 
第一八章 全面解決に向けて
プロジェクトチームの立ち上げ
結審を前にして
三五番原告・高浜依子 被爆後一か月間意識を失った
第一陣訴訟結審の日
エノラ・ゲイ号搭乗員が語る
近畿弁護団が勝ち取った大阪判決
勝訴が心配された原告たち
四五番原告・三吉正勝 兄は原爆症と認められたのに
判決の予測
原爆症認定集団訴訟・広島判決
原告全員が勝訴した! 一人残らず全員が!
判決の意義
判決の報告
舌の根の乾かぬうちに控訴した
 
第一九章 全国原告団と弁護団、支援する会は国を追い詰める
広島・第二陣訴訟
二七番原告・鳴海輝子 劫火のなかに母と妹を残して
勝訴判決が続く
安倍晋三総理の厚労大臣に対する指示
自由民主党からの提言
一審被告(国・厚労大臣)が申請した証人の証言
原爆症認定の在り方に関する検討会
新しい審査の方針① 平成二〇年三月一七日制定
広島・第二陣集団訴訟の結審と国賠を認めた判決
国家賠償請求認容判決
内閣総理大臣と被爆者の確認書調印
内閣官房長官談話
国の控訴取り下げ
 
第二〇章 ノーモア・ヒバクシャ訴訟
新しい審査の方針② 平成二二年六月二二日改定
ノーモア・ヒバクシャ訴訟提訴の動機
新しい審査の方針③ 平成二五年一二月一六日改正
ノーモア・ヒバクシャ訴訟・広島
原告内藤淑子 家族全員が被爆者
白内障
病態/原爆症認定集団訴訟での判断/ABCC―放影研の調査研究/被爆研究を無視する国
広島地裁・平成二七年五月二〇日判決
広島高裁・平成三〇年二月九日判決
最高裁・令和二年二月二五日判決
口頭弁論期日の通知と判決/被爆者救済制度/最高裁判決の誤り/経過観察
広島地裁のボロボロ判決・平成二九年一〇月一四日判決
心筋梗塞
放射線の知識がない医師の出廷
広島高裁・令和二年六月二二日判決
東京の原告らの闘い
援護法の改正に関する被団協案
被爆者たちの原爆症認定訴訟は終わった
 
第二一章 核の事故
原子力発電所の事故
スリーマイルドの原発事故(昭和五四年三月二八日)/チェルノブイリの原発事故(昭和六一年四月二六日)/福島原発事故(平成二三年三月一一日)/偶然がなければ今の東日本はない/ガル/遅々として進まない廃炉作業/核分裂エネルギーに頼る人類に未来はない
核兵器を搭載した飛行機事故や潜水艦事故
エピローグ 核と手を切ろう・核兵器の廃絶をめざして
世界法廷運動(World Court Project)
世界法廷運動秘話/国連総会への勧告的意見/勧告的意見E項/勧告的意見F項
核ゼロ裁判
核兵器禁止条約への歩み
CTBT/モデル核兵器条約(MNWC)
核兵器の非人道性の確認
オバマ大統領が広島に来た
プラハ演説・ノーベル平和賞/期待/米軍岩国基地で/オスプレイが広島に
自国の利益第一主義の核保有国
核戦略体制の見直し(NPR)
世界終末時計(Doomsday clock)は一〇〇秒前
核兵器禁止条約の採択
日本政府の対応/核兵器抑止力論/人類の死滅と平和に生きること/シュバイツアー博士
四〇番原告・熊本ナヨ子 私の人生は生き地獄
ローマ教皇フランシスコを迎えて
世界法廷運動から生まれたハーグ平和市民会議 ハーグ平和アピール
禁止条約が発効した!
新型コロナウィルス(COVID―一九)
七六年後の八月六日
あとがき