図書目録サシキチョウシ資料番号:000067986

佐敷町史 4

サブタイトル
戦争
編著者名
佐敷町史編集委員会 編集
出版者
佐敷町役場
出版年月
1999年(平成11年)11月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
564p
ISBN
NDC(分類)
219.9
請求記号
219.9/Sa81/4
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

グラビア
発刊のことば(佐敷町長・津波元德)
発刊のことば(佐敷町史編集委員会委員長・真栄城勇)
凡例
目次

第一部 総説-十五年戦争の概要と沖縄戦-
一、十五年戦争の始まり
1 満州事変から日中戦争
2 総動員体制
3 キョウイクの軍事化と南進国策
二、太平洋戦争
1 奇襲攻撃
2 連合軍の反撃
三、沖縄戦
1 アイスバーグ作戦
2 沖縄守備軍(第三二軍)の配備
3 全島要塞化と根こそぎ動員
4 強制疎開
5 米軍上陸
6 戦場をさまよう住民
7 難民収容所の時代
四、敗戦と引揚げ
1 引揚げの概況
2 沖縄に帰り着くまで
コラム 新里の海外引揚者収容所
五、戦時下の佐敷
1 佐敷の位置と概要
2 馬天港と海軍施設
3 御真影焼失事件
4 戦争の足音
5 徴用・疎開・空襲
6 それぞれの戦場
7 収容所を転々と
<地図>
図1-①十五年戦争関係図
図1-②佐敷村民の疎開経路と難民収容所

第二部 証言記録
証言記録を読んでいただく前に
「佐敷町史・戦争」用語解説
男たちの証言
■県内軍人
在郷軍人会活動中、第二の召集令状(石原誠信)
一七歳の現地徴集兵(吉田政一)
捕虜となりハワイへ(知念永徳)
衛生兵から戦後はCPに(浦崎政善)
駐在所勤務中に召集されて(渡名喜元吉)
虚偽の生年月日で難民扱いに(渡名喜元勇)
自分の「遺骨」を受け取った(仲村渠常得)
■県内学徒兵
鉄血勤皇帯で死線をくぐって(城間源正)
農林学徒兵として国頭山中に(与那嶺清光)
専門学校入学を断念(岩本兼一)
■防衛隊
死線をのりこえてハワイまで(勢理客恩光)
ベニヤ船を担いで(當眞嗣一)
港川の海上挺進戦隊に配属されて(山城歓吉)
最後まで軍命に従った(屋比久昌徳)
生きている自分が不思議に思えた(新里普善)
残ったのは長男の私だけ(喜名米冨)
四八年目の修了証書(宮城清)
防衛隊から二度も逃亡(屋比久桃吉郎)
北支戦線から沖縄戦にかけて(宮城徳仁)
■義勇隊・警防団・農兵隊
馬も馬車も取り上げられた(山城靜衛)
もう戦争は絶対反対だ(玉城専徳)
義勇隊に参加して負傷(知念蒲)
義勇隊に召集され、無傷で生還(知念源造)
義勇隊逃亡記(仲村安正)
冨祖崎の警防団員の南部戦線(城間鉄夫)
戦争は無茶苦茶だ(宮城徳一)
■県内その他
五〇年目の出生届け(城間梅青)
防衛隊から帰されて(嶺井行助)
長女がコザの孤児院から行方不明に(城間芳栄)
■出征兵士
真珠湾攻撃に参加(宮城清光)
ウェーク島沖で捕虜になって(奥間邑義)
妻子の写真がお守りに(當眞嗣憲)
中支に従軍して(仲村武一)
私の戦時体験(崎濱秀榮)
タイで捕虜になる(玉城寅一)
出征中に生まれた娘には会えず(新垣太寛)
北支から仏印まで(城間盛助)
丙種の私にも召集令状(仲里嘉眞)
落下傘部隊でレイテ作戦へ(城間森一)
航空整備兵でパナイ島に(金城幸眞)
教師二年目に出征(屋良景福)
ブーゲンビル島で九死に一生(新里勇孝)
南方で戦火をくぐりぬける(平田真平)
北満の国境警備隊に配属(津波友次郎)
酷寒の地での強制労働(目取真興昌)
母の死と武部隊の移動(玉寄兼福)
■海軍志願兵
掌電信兵となって南方へ(瀬底正二)
人の運命は本当に分からない(奥間邑一)
戦艦日向とともに(知念松吉)
海軍年少兵として台湾に(吉田高徳)
わずか半年の軍隊生活(屋比久善行)
■移民、出稼ぎ地、その他の体験
サイパンで私の家族は無事だった(平良亀吉)
テニアン島から引き揚げる(新垣勇栄)
パラオ本島の戦死者(外間尹徳)
輸送船に徴用されて(仲里専徳)
NHKの「尋ね人」で家族を捜す(仲村常孝)
チモール島からマレー半島まで(真栄城勇)
南方漁労隊員となって(玉城太郎)
満鉄職員として上海で終戦(山田常太郎)
軍需工場勤めで召集を免れ(嘉数勝福)
中学生の年齢でも立派な産業戦士(知念善徳)
傷痍軍人だった私の体験(屋嘉部景典)

女たちの証言
■女子救護班・義勇隊
出発の時、水杯をさせられた(楚南和子)
激戦地への弾薬運び(与那嶺シズエ)
いつの間にか義勇隊になっていた(平田トシ)
負傷しても捕虜にならず(外間シズ)
何でも軍の命令どおり(知念ツル子)
大度の浜に友を埋葬した(長嶺春子)
私は嘉義丸の生き残り(真栄城春子)
球部隊救護班になって(東恩納スエ)
救護班として摩文仁に移動(屋良ヨシ)
手榴弾を捨てて捕虜に(許田苗子)
一週間かけて弾薬運搬(小波津すま)
軍国少女だった私の沖縄戦(玉寄豊子)
■女子学徒看護隊
首里高女看護隊の戦場(瀬底敏子)
非国民、と言われるのが怖かった(瀬底幸子)
白梅学徒看護隊から無事生還して(中山きく)
■一般住民-南部
おばあさんを連れて逃げまどう(高江洲八重子)
母と私の戦争体験(知念とし)
悔やまれる父の死(大城鶴子)
無事に帰ってきた息子(平田カメ)
二度も命拾い(嶺井静子)
一高女に入学し、知念高校を卒業(金城美代子)
忘れられないスパイ事件(徳本貞子)
民間人は壕から追い出された(平田ウサ)
夫は戻ってこなかった(真栄城ヨシ)
子どもらのためにもどこまでも(當間カマド)
負傷した娘を抱えて(新垣ヨシ)
わが家の戦争体験(知念定子)
佐敷国民学校は卒業式もできず(平田静子)
戦後の苦労が大きかった(玉寄トシ)
女、子どもだけで南部へ(真栄城トヨ子)
■県内疎開
たくさんの家族を抱えて疎開(上原ヨシ)
義母が大切にしていた「金鵄勲章」(山城トシ)
流れ弾で子どもの命が奪われた(与那嶺文子)
夫が戦死、女たちは再婚を勧められ(宮城フミ)
戦後は母と二人で家をつくった(謝敷初子)
泣いてはいられなかった(桃原キヨ)
私の戦時、戦後体験(山内ヨシ)
疎開先での出来事(新嘉喜静)
三、四日で戻れると言われたが(知念トヨ)
赤瓦の家も焼け、夫も戦死しました(知念カメ)
夫亡きあと山原に疎開(吉田トミ)
戦後の戸籍でおじの子に(知花千恵)
娘のことを思うと今でもつらい(大城トミ)
■県外疎開
身重の体で熊本に疎開(城間カマ)
心残りだった疎開(平田スミ)
反対していた父は戦死(屋比久愛子)
夫は出征、私は宮城に疎開(津波和)
宮水の学童疎開に呼ばれて(真栄城カメ)
■挺身隊その他
軍需工場で日の丸の鉢巻きをしめて(玉寄トヨ)
女子挺身隊となって(知念トミ)
大阪でも名古屋でも空襲に負われて(平田ヨシ)
堺でも「国防婦人会」のたすきがけ(小波津照子)
■移民地での戦争
パラオも沖縄も大変だった(知念米)
サイパンからきょうだい三人で引揚げる(仲里ヨシ)
台湾の自宅で玉音放送を聞く(具志かほる)

学童疎開
■佐敷の学童疎開
■岩井川国民学校(小波津厚明/嘉数二郎/玉城貞夫/玉城邦彦/宮城康弘/当真勇/小波津ツル子/古謝ツル子/志伊良政子/儀間よね子/崎間真吉)
岩井国民学校・疎開学童名簿
■新町国民学校(渡名喜興勝/呉屋新太郎/真栄城守憲/外間賢一/石原初子/真栄城喜佐子)
新町国民学校・疎開学童名簿
■宮水国民学校
座談会(照喜名栄子/宮城正弘/宮城キミ子/山城文子/呉屋幸吉/喜納盛幸/宮城寛之)
宮水国民学校・疎開学童名簿
■押方国民学校
座談会(屋比久孟吉/當眞嗣寅/吉田政廣/玉城光子/松元清子/安谷屋ミヨ子)
■田原国民学校(稲福農富/与那嶺吉一/浦崎政恒/仲宗根智子/石川浩子/又吉律子)
田原国民学校・疎開学童名簿
■高千穂国民学校(城間ミサ子/盛根ノブ/當眞直子/新里勇助/知念仁徳/嶺井勇/山城祥栄/嶺井行賢/瀬底正彦/伊礼清助)
高千穂国民学校・疎開学童名簿
■疎開受入れ地の皆さんの証言(広島ヒフミ/広島宗一/河野ササエ/藤田アヤ子/戸高千保美/桐木スミ子/甲斐スエノ/梅田長秀/河瀬明一/佐藤学/興梠達郎/松田崇/甲斐経利/興梠隆)
〈地図〉
図2-①米軍の沖縄本島上陸侵攻図
図2-②中国・東南アジア地図
図2-③サイパン島
図2-④パラオ諸島
図2-⑤沖縄本島南部
図2-⑥割当て疎開地・金武
図2-⑦宮崎の疎開地図

第三部 被災状況
一、戦災実態調査について
二、佐敷の被災状況
図・表3-③字津波古被災地図/被災状況
図・表3-④字小谷被災地図/被災状況
図・表3-⑤字新里被災地図/被災状況
図・表3-⑥字兼久被災地図/被災状況
図・表3-⑦字佐敷被災地図/被災状況
図・表3-⑧字手登根被災地図/被災状況
図・表3-⑨字伊原被災地図/被災状況
図・表3-⑩字屋比久被災地図/被災状況
図・表3-⑪字仲伊保被災地図/被災状況
図・表3-⑫字冨祖崎被災地図/被災状況
図・表3-⑬外間被災地図/被災状況

〈付録〉沖縄近代および沖縄戦関係年表
主要参考文献一覧
聞き取り調査協力者
戦災調査協力者
資料提供者(個人・団体)
編集日誌
佐敷町史編集委員会・事務局名簿
あとがき

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