緒方竹虎と日本のインテリジェンス
はじめに
保守自由主義の立場から〝日本版CIA〟の設立をめざした男
日本のインテリジェンス史を踏まえた情報機関を
「右翼全体主義」対「保守自由主義」
第1章 適塾と玄洋社――国際派の自由民権運動の系譜
緒方洪庵の適塾の系譜
若き日の緒方竹虎の「玄洋社人脈」との交流
修猷館と玄洋社
中国との貿易商人を志して東京高商へ
中野正剛の勧めで「在野の精神」の早稲田大学に編入
新聞記者は「戦国時代の武芸者」のようだった
第一次護憲運動
「白虹事件」と呼ばれる言論弾圧
イギリスで議会政治や労働運動を学ぶ
帝国ホテルでの襲撃
良民虐めや新聞を脅かして私腹を肥やす者
第2章 共産主義とファシズムという「悪病の流行」
『議会の話』
ソ連型共産党一党独裁を批判
ファシズムもまた専制だ
共産党とファシズムを讃えたウェルズ
議会制民主主義が明治維新以来の国是であった
立法や予算編成への「帝国議会の協賛」と「例外」
軍部大臣武官制の問題点
内閣と軍部は連帯責任を負うべき
「政党政治」不信の高まり
第3章 満洲事変が転機だった――朝日新聞と軍部
陸軍は「言論界の中核には歯が立たない」
「まず海軍の、ついで陸軍の悲劇が始まる」
軍人が軍服を着て町に出るのを嫌がった時代
多分「消されるだろう」との噂が立った
「日本人は鉄砲の音を聞けば、みな文句なくついて来るよ」
今村均作戦課長が緒方に訴えたこと
満洲事変がなければソ連による満洲赤化は激化していた
「満洲事変が好況をもたらした」という誤解
第4章 東亜問題調査会と同盟通信社――民間シンクタンク創設へ
東亜問題調査会
昭和研究会と尾崎秀実
スパイ排除は本当に難しい
英仏独の「国際報道寡占体制」打破と同盟通信社の設立
同盟通信社の光と影
自らの手で日本の真意と実相を世界に報ずる
第5章 二・二六事件と大政翼賛会
二・二六事件で襲撃を受ける
軍による言論統制の強化
帝国憲法体制の立憲主義を大きく損ねた国家総動員法
軍部を抑えるべく大政翼賛会に関与
最後まで戦争回避を模索したが
頓挫した東久邇宮内閣構想
第6章 我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ
帝国憲法が保障した「言論の自由」を否定
政府批判も事実上の犯罪とする法律が成立
「東條内閣」対「中野正剛」
天下一人を以て興る
戦時宰相論
近代戦隊行能力が欠落した東條内閣
不当逮捕、そして中野の自決
黒田武士の作法どおりの最期
「中野が東條に勝ったのだ」
第7章 情報なき政府と最高戦争指導会議
二十年近く続いた緒方筆政の終わり
朝日新聞社内の内部対立
東條内閣総辞職と小磯國昭内閣の組閣
入閣を決意し、朝日新聞社を退社
言論暢達政策
お粗末な情報局の実態
東條首相もサイパン防衛の実態を教えてもらえなかった
政府に入る情報は何も彼も眠っている
総理の戦争指導のため「最高戦争指導会議」に衣替え
「今度の内閣は二ヶ月を出でずして倒壊する」
軍隊の行動のためには国民と国会の支持が必要
台湾沖航空戦とレイテ沖海戦に関する大誤報
インテリジェンスの劣化への痛苦と悔恨
「なんちゃって統合司令部」だった大本営
現代版「最高戦争指導会議」
第8章 和平・終戦を模索――繆斌工作
戦争終結に向けた道筋
繆斌を蔣介石政権との停戦交渉の窓口に
ソ連の満洲侵略への危機感
重光外相の強硬な反対
そもそも対中政策が一致していなかった
平等・互恵的な日華同盟条約を締結
蔣介石政権側の思惑は?
緒方の「道義」と重光の「道義」
日本版「国務・陸軍・海軍調整委員会」は存在しなかった
第9章 東久邇宮内閣での情報開示、言論の自由政策
内閣書記官長兼情報局総裁に就任
「私は殺されるだろうと思っていたよ」
五箇条の御誓文にかえれ
敗戦後の「言論暢達」政策は成功だった
「民の声を聞く」政策
「戦犯」摘発の裏面
緒方と重光の対立
自主的な憲法改正をめざす
消極的抵抗としての総辞職
公職追放
第10章 日本版CIAの新設ならず
吉田茂の後継者と目されて政界入り
中華人民共和国に対する逆浸透工作を提案
蔣介石政権と組んで対共産党情報ネットワークを構想
官房長官、副総裁になり情報機関設立を模索
野党の反対で新情報機関設立は頓挫
「東南アジアの在外中国人(華僑)工作を示唆」
準民間組織「国際情勢調査会」を創設
中国からの引揚者尋問計画
吉田退陣と鳩山一郎内閣の対ソ外交
独立の気魄と憲法改正の必要性
リスクを背負って自らの判断でCIAと接触
「日本の国際的立場をここで明瞭にせねばならぬ」
卒然として急逝
おわりに――緒方竹虎から渡された「志」のバトン
緒方竹虎年譜
主な参考文献