明日へ
はじめに
第1部 東海市の戦争体験者の証言
1 軍隊体験と引揚体験
百寿の思い出話(早川五昌)
パラオからの帰還(近藤勇夫)
ルソン島からの帰還(宮田喜一)
私の戦争体験―通信兵としてパレンバンへ―(山口治男)
人生・良い経験になった!(瀧村清)
ああ、万世飛行場(各務義彦)
還って来た日章旗、帰らぬ父たち(青木正雄)
戦争はやらんほうがええ―18歳で出征―(花井幸也)
引き揚げ―生死のはざまで―(三浦順子)
敗戦後の中国での出来事(竹内テル子)
2 戦時動員体験
知多飛行場建設の大林組の事務員だった(O.S.)
軍国少年の記録(竹内良三)
赤紙を書く(水野はつえ)
三菱航空機大江工場の思い出(坂野忠雄)
学徒動員で軍刀工場へ母から聞いた東京大空襲(大橋郁夫)
在満報国農場へ行った友(坂良男)
少年が体験した戦争(荒谷鑑)
学徒動員、中島飛行機岡田工場へ(高津美智子)
ニッポン、コウフク(片桐康子)
3 空襲体験
被爆して(筒原幸枝)
長崎被爆体験と戦中・戦後の日常(T.O.)
ああ、豊川海軍工廠(佐藤晴夫)
名古屋空襲(牧野歌子)
東京大空襲(牧野篤道)
戦時下看護婦として(S.K.)
豊橋空襲(久野智代)
大田の家が燃えた(小野文久)
大田の空襲で家が燃えた(下林擴子)
戦中戦後の大田町(寺田辰雄)
焼夷弾に傷付き(小野清孝)
母の背中で見た事(中野二美)
釜石の艦砲射撃(小笠原友得)
鉄の町、釜石の空襲(水上美代子)
4 子どもの頃の体験
太平洋戦争終末期の記憶(坂荘二)
疎開先から脱走、米軍のビラ、そして家族と戦争(駒澤修)
戦争体験記(蟹江吉弘)
疎開の思い出(松井菊枝)
肥溜めがチャポンとゆれた(安井鈴子)
予科練って何?(水野鈴江)
5 戦後の話など
父から聞いた戦争(中武繁治)
家の父はカレーが嫌い!(小林保史)
戦後75年を迎えて(齋藤昭雄)
飛行場に入植して(蟹江トシ子/神野たつえ)
戦後の生活―私の小さかった頃―(家田富子)
戦地から母に送られた父の手紙百二十通「父の記憶と、心に残してくれたもの」「父の死の床で」(黒髪倫子)
第二部 東海市の空襲・戦争遺跡と戦時下の生活
1 東海市の戦争犠牲者と空襲
東海市の戦争犠牲者
今までの記録に見る東海市の空襲
東海市の空襲マップ
名和地区の空襲マップ
荒尾町渡内の空襲マップ
荒尾町平島の空襲マップ
大田地区の空襲マップ
東海市の空襲による犠牲者
東海市外の空襲による犠牲者
6.9熱田空襲―私の愛知時計電機―(堀口秋彦)
2 東海市の遺跡と軍需工場
東海市の戦争遺跡マップ
東海市の戦争慰霊碑
奉祝 紀元2600年(東海市に残る紀元二千六百年碑)
三菱航空機知多工場
知多飛行場の滑走路の謎
今も残っている知多飛行場滑走路の側溝
大府飛行場の建設と中国人強制連行(西秀成)
軍需工場「豊田製鋼」
軍需工場「愛知トマト」
3 東海市の防空体制と戦時下生活
東海市の防空施設
特集 池田陸介先生
池田陸介先生と歩んで(平田哲彦)
陸介先生が兵隊に行った日(池田陸介)
高射砲観測兵(池田陸介)
私の戦争体験記(池田陸介)
高射砲陣地てんりゅう隊跡(池田陸介)
―名和の空襲―(野嵜シズ代)
見晴台高射砲陣地(山本幸一)
太佐山高射砲陣地跡発掘調査
供出・金属類回収令
奉安殿物語(加木屋小学校の奉安殿)
教育と戦争
column(コラム)
インドネシアの残留日本兵
ロケット戦闘機秋水と呂号大甕
在満報国農場第二次隊の悲劇
伊奈製陶の女子勤労学徒
釜石の艦砲射撃
大東亜戦争と太平洋戦争
友軍機墜落
根こそぎ動員
立命館動員学徒の生活
こんなところにも軍国主義 産業報国会と養成工
固形ケチャップ
戦時統制下の農業
料理旅館聚楽園ものがたり
あとがき