原爆スラムと呼ばれたまち
巻頭口絵
はじめに
序章 ひろしまに基町相生通り/通称「原爆スラム」と呼ばれるまちがあった
基町相生通りの位置
原爆スラムと呼ばれたまち
変容しつつ撤去を待つ
我々を調査に駆り立てたもの(1970年の実態調査)
スラムと呼ばれたまちをどう読み解くか
調査前のいくつかの幸運/苦渋の悉皆調査と助っ人/調査用にアパートを借りる
その人たちはどこへ行った(1979年の追跡調査)
基町相生通りはスラムであったか
コラム1 相生通り特集/不法占拠「都市住宅」とその紹介記事(中国新聞)
第1章 ひろしま基町がたどった歩み――広島の復興に基町が果たした役割
広島基町のはじまり――城下町広島のかなめ
軍都を担った基町――悲劇の遠因となる軍都のまち
被爆から立ち上がる基町――一大応急住宅を市民に提供したまち
復興の要を支えた基町の3大機能
基町の公園機能/基町の住宅機能/基町の官庁機能
基町のありようと再開発へのみち
コラム2 広島カープと基町/広島市民球場(初代)
第2章 相生通りとはどんな「まち」だったのか
未知のまちへ飛び込む
外から眺めていたまち/最初に訪ねたいえ
そこにはどんなまちがあったか
命をつないだ相生の土手/この世界の片隅で/市内の復興事業でふくらむ
経済成長から取り残される
不法占拠に始まるまち
不法占拠の意味/敷地割から解放されたいえ/多様な共有空間の発見
集合した家々とまちの構造
すき間の役割り/分かりにくいみちは安全なみち/暮らしを支えた共同施設
頻発した相生通りの火災
住民に聞く「まちはこうしてできた」―インタビューによる人びとの声から
三度目の消滅――再開発への動き
このまちが語るもの
コラム3 NHKドラマメイキング「川栄莉奈がたどるヒロシマ」
第3章 まちをつくり上げた人たちの素顔と暮らし
まちをつくり上げた人たちの素顔
どんな事情でこのまちへ/このような人たちが住んでいた/住みやすさを求めて
相生通りの家々と暮らし
どんな家々があったか/「いえ」の使われ方と暮らし/たくましく生き抜いた家々
生き抜く知恵と暮らしの様子
相生通りを歩く/単身世帯の暮らし/主婦の買い物ルートと店/共同設備の苦労
コラム4 相生通りの子どもたち
第4章 調査で出会った人たち
調査記録「もとまちノート」に記した17家族のひとたち
同じく11家族の人たちのこと
コラム5 相生通りが再現される NHK広島放送局開局90周年記念 ドラマ「夕凪の街・桜の国」
第5章 消滅するまち――移転の選択肢
「戦後の収束」に向けた相生通りの去就
復興計画と基町/復興計画の側面史/戦後直後からの基町/基町相生通りの去就
基町再開発事業の足取りと目指したもの
計画と事業/基本計画の概要/居住者の移転
移転の選択肢――高層アパートか地区外か 相生通りの人たちはどこへ行ったか
相生通りの人たちがとった移転行動
相生通りでの居住場所と地区(長寿園・基町)・地区外への移転
立ち退きのプロセス/入居資格の扱いと入居手順/撤去される日々
それぞれの新しい生活をどう受け止めたか――元相生通り居住者にもたらされたもの
再び相生に住んだ人たちを探す/再開発事業への期待と不安
物的側面から見た評価(基町・長寿園地区)/社会的側面から見た評価(基町・長寿園地区)
〝終の棲家〟としての高層アパート
コラム6 平和と緑の軸線
第6章 相生通りの人たちにとっての基町再開発
相生通りがあり続けた意味とその継承
「原爆」と「スラム」/人間優先の生活空間の復活
基町再開発事業が目指したまち――基町再開発の評価と課題
再開発が目指したもの/本格的都心住宅地の選択/「く」の字型住棟の挑戦
再開発事業から得たもの、残した課題/社会的課題解決手段としての再開発の限界
基町の今と元相生通りの人たちのこれから
まず、いえの狭さの解消から/高層共有空間の改善/コミュニティーづくりへの挑戦
元相生通りの人たちのこれから
広島の戦後は終わったか――再開発すべきは何であったか
調査後40年を経て
コラム7 NHK 原爆スラムと呼ばれた街で
終章 広島における現代都市としての試み――基町相生通りから基町中央公園への視点
相生通りと基町地区
はじめに――計画論へ/相生通り当初形成過程における計画論
相生通り形成過程の特徴と環境の変化/相生通りの存在から導けること
基町地区の整備過程からの計画論
基町地区の整備過程からの計画条件/住宅地と公園機能の相互干渉
住宅地と住宅計画の計画的特質/問題提起としての計画論
住宅・注宅地の変遷・展開の記録・記憶と開示/都市の重要性の把握と表現
被爆100周年において何を世界に向けて発信できるか
おわりに
執筆者/初出/参考文献/出典