図書タンザン カイソウ000067530

湛山回想

サブタイトル1~10
編著者名
石橋 湛山 著
出版者
毎日新聞社
出版年月
1951年(昭和26年)10月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
382p,図版
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/I71
保管場所
閉架一般
内容注記
著者の肖像あり
和書
目次

一 おいたち
父と母―私の名前―子を易えて教ゆ―危険な富士川下り―水泳達者かえっておぼる―戦時中に語った難船観―望月日謙師―小学校時代の私―中学で二度落第―三人の校長―クラーク博士 ―うぬぼれ―座右の銘―剣道を学ぶ―羽織のひもの流行―温泉郷甲府―
正則英語学校に通う―学校教師の経験―早稲田大学に入る
 
二 明治の学生
明治三十六年ごろの早稲田大学―早稲田の周辺―私のころの学生生活―インキぴんと石油ランプ―級友会の記録―明治時代の学生アルバイト―研究会での報告―早稲田の諸先生―煙山専太郎氏と金子馬治氏―島村抱月氏と田中穂積氏―田中王堂氏―その他の諸講師
 
三 文筆生活に入る
特待研究生―冷遇された私学出身者―世界の宗教―小杉天外氏の無名通信―私を文筆界に導いた恩人―東京毎日新聞―新聞雑誌の文体―新聞記者の駆け出し―高商騒動と東都学生雄弁会―ロンドン・タイムスの夢
 
四 軍隊生活
歩兵第三連隊に入営―社会主義者と誤らる―新兵シクシク夜かわやに泣く―将校下士馬兵卒―漫画的軍隊生活―見直した軍隊―高所恐怖症―軍隊の哲学―戦争に対する恐怖
 
五 筆舌の歩み
東洋経済新報社に入る―片山潜氏―東洋時論―初めて読んだ経済学書―明治四十四年の普選問題―尾崎行雄氏の普選反対論―大正八年の普選示威行列―おそすぎた普選の実行―民主化への障害―政党のおいたち―明治時代の特色論―政党間のどろ合戦―昭和二年の恐慌―
皇室を政争に利用―政争国を滅ぼす―五・一五事件―ファシズムの跳梁―軍備拡張に反対―尾崎氏の軍縮決議案―軍閥にはばかる―加藤海相の声明―小田原評定を予想―一切を海てる覚悟―華府会議は救いの神―軍備競争を発生する根本原因―政友会、海軍の不満をあおる
 
六 経済雑誌の思い出
田口卯吉氏の東京経済雑誌―明治二十八年ころの経済雑誌界―東洋経済新報の創刊者町田忠治氏―日清戦後の日本―教科書のごとく読まる―東洋経済新報創刊の経緯―出資者はたれか―町田氏から天野博士に―天野時代の東洋経済―植松氏と三浦氏―明治末期の経済―
明治末年の経済雑誌―第一次世界戦争―会社評論の発達―『株界十年』の人気―きらわれた会社評論―会社評論欄の再興と株式会社年鑑―昭和四、五年以後の経済雑誌の需要―井上蔵相の放言―自由思想講演会―経済講演の流行―東洋経済新報の社屋―茅場町と本石町―
借金コンクリート―新社屋の利用法―経済倶楽部の成功―経済倶楽部の名称―経済倶楽部の全国化
 
七 戦時 戦後の生活
転宅物語―早稲田から鎌倉―鎌倉に住宅新築―米穀専売研究会と金融制度研究会―東洋経済自爆の準備―危機を脱す―秋田県に疎開―終戦時の横手―大正十二年の震災―湘南倶楽部―町会議員の経験―実質なき地方自治―戦後の改革も無効―政党と地方―鎌倉夏期臨海学園―
医業国営期成同盟会
 
八 占領下の政界に
オリエンタル・エコノミスト―財閥解体に反対―政界に出た理由―金解禁問題の回顧―浜口内閣の緊縮政策―第一次吉田内閣―戦時補償の打切り問題―悩んだ石炭問題―終戦処理費―六・三制実施に対する疑問―農地改革―二・一ゼネスト―桂会談―連立工作の失敗―
政策協定―第一回首相指名の事情
 
九 新日本の構想
 
あとがき