情報分析官が見た陸軍中野学校
はじめに
第1章 秘密戦と陸軍中野学校
秘密戦とは何か?
目的が秘密である戦争手段/秘密戦とは「戦わずして勝つこと」/秘密戦と遊撃戦の違い/極秘マニュアル『諜報宣伝勤務指針』
秘密戦の四つの手段(諜報・防諜・宣伝・謀略)
「諜報」は秘密戦の基本である/「宣伝」は秘密戦の中で最も知力を要する/秘密戦の主体は「謀略」/消極的防諜と積極的防諜の違い/防諜は防御的であって最も攻撃的
中野学校に関する誤解の背景
秘匿された中野学校の存在/映画『陸軍中野学校』の影響/小野田少尉帰還からの誤解
第2章 第一次大戦以降の秘密戦
第一次世界大戦と総力戦への対応
総力戦思想の誕生と秘密戦/不十分だった日本の秘密戦への対応
国際環境の複雑化と国内の混乱
複雑化する国際環境/二・二六事件と軍部の影響力増大
共産主義の浸透
ソ連共産主義の輸出/日本共産党の活動/対日スパイ活動の増大
盧溝橋事件勃発と支那事変の泥沼化
盧溝橋事件の勃発/支那事変の泥沼化
第3章 陸軍の秘密戦活動
陸軍中央の組織
参謀本部第二部の全般体制/陸軍省兵務局の設置/第八課(謀略課)の新編
秘密戦関連組織
陸軍技術本部/「陸軍第九技術研究所」(登戸研究所)/関東軍防疫給水部本部(第七三一部隊)
対外秘密戦の運用体制
極東方面での対ソ秘密戦活動
特務機関の設置/満洲事変後に関東軍の情報体制を強化/対ソ諜報の行き詰まりとその打開
中国大陸での対支那秘密戦活動
満洲事変以前の対支那秘密戦活動/満洲事変による開戦謀略/土肥原、板垣の謀略工作/失敗したトラウトマン工作
第4章 中野学校と学生
中野学校の沿革
防諜機関「警務連絡班」が発足/岩畔中佐の意見書「諜報・謀略の科学化」/後方勤務要員養成所長、秋草俊/養成所創設に向けた思惑の相違/中野学校創設に反対した支那課
中野学校の発展の歴史
中野学校の四つの期/創設期(一九三八年春~四〇年八月)/前期(一九四〇年八月~四一年一〇月)/中期(一九四一年一〇月~四五年四月)/後期(一九四五年四月~四五年八月)
中野学校の学生
入校生の選抜要領/入校学生は主として五種類に分類/各種学生の概要
中野学校および同学生の特徴
第5章 中野学校の教育
創設期の教育方針と教育環境
秘密戦士の理想像は明石元二郎/準備不足の教育・生活環境/校外教官─杉田少佐と甲谷少佐
創設期の教育課目の分析
一期生が学んだ教育課目/判断力の養成を重視/科学的思考を意識した教育/危機回避能力の取得/実戦を意識した情報教育/実戦環境下での謀略訓練/自主錬磨の気概を養成する
太平洋戦争開始後の対応教育
占領地行政と宣伝業務/遊撃戦教育への移行/遊撃戦の基礎となる候察法
中野学校の問題
情報理論教育は不十分/秘密保全が情報教育を制約/軍事知識の欠如
中野教育の特徴
第6章 なぜ精神教育を重視したか
「秘密戦士」としての精神
名利を求めない精神の涵養/生きて生き抜いて任務を果たす/自立心の涵養(二期生、原田の述懐)
楠公社と楠公精神
「楠公社」の設立/記念室での正座と座禅/楠公精神を学ぶ
秘密戦士の「誠」
「誠」とは何か?/民族解放の戦士となれ/武士道と秘密戦との矛盾克服
楠公精神はなぜ重視されたのか
第7章 中野出身者の秘密戦活動
長期海外派遣任務の状況
第一期生の卒業後配置/一、二期生の海外勤務
国内勤務の状況
満洲事変以後に諜報事件が増大/軍事資料部での活動/神戸事件と中野出身者
北方要域での活動
不透明なソ連情勢/中野出身者の活動
中国大陸での活動
和平に活路を求めた政治謀略/日の目を見なかった政治謀略/中野出身者の活動/六條公館の活動消滅
南方戦線での活動
南方戦線の状況/南機関による対ビルマ謀略/「F機関」などによる対インド謀略/蘭印での中野出身者の活動/豪北での中野出身者の活動/失敗した少数民族工作/人間愛を貫いた中野出身者の活動
本土決戦
沖縄戦と中野出身者の活動/義烈空挺隊と中野出身者/終戦をめぐる工作
第8章 中野学校を等身大に評価する
「替わらざる武官」とは何か
過大評価が生み出す悪弊/中野学校の創設がもう少し早ければ?/「替わらざる武官」とは何か/国家としての政戦略がなかった
中野学校への誤解を排斥する
秘密戦の誤解を解く/根拠不明な謀略説を排除する/情報学校は中野学校の相似形ではない/謙虚にして敬愛心を持つ
インテリジェンス・リテラシーの向上を目指して
秘密戦の研究は排除しない/批判的思考で発信者の意図を推測する/インテリジェンス・サイクルを確立する/愛国心を涵養する/新時代の人材育成のあり方
おわりに
主要参考文献