われらの青春とは何であったのか
- サブタイトル
- 別冊「満洲と日本人」 1 満蒙の豆拓士は訴える
- 編著者名
- 満洲と日本人編集委員会 編
- 出版者
- 大湊書房
- 出版年月
- 1978年(昭和53年)4月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 308p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Ma47/1
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 奥付に『満洲と日本人』とのタイトル表記あり。
- 昭和館デジタルアーカイブ
一、誤り伝わる義勇軍像
元満蒙開拓青少年義勇軍訓練生の一人として世の知的階層の人々に訴えたいこと (森本繁)
青少年義勇軍の教育
誤られた青少年義勇軍像
体験の伝え方
知的階層の欺瞞性
糾弾すべきものと解明さるべきもの (伊藤竜一)
ニ、「加藤私学校」の生徒 指導員養成所予科生 座談会
応募の動機、時代背景
飛躍のバネとして志願
内原の生活
入所三ヵ月は集団生活の訓練
計画性がなかった教育
完治の個性が多くの“小完治”を生む
家庭がだらしなく見えた
見識があった高井篤先
アウトローの“現地帰り”
鯉渕の予科生活
体系的になった予科教育
終戦
戦後三カ月で高等農事講習所に改組
白河へ行くか、鯉渕へ残るか
輝き薄れた戦後の加藤完治
恩師だが、責任は追及したい
付記
三、満洲は異邦であった 現地訓練所隊員 座談会
応募の動機、時代背景
「敵中横断三百里」などのロマンに憧れて
志願者はむしろ中農以上の子弟
内原訓練所
入所第一歩は寒かった
訓練の重点は軍事教練と農作業
満洲に適応させるための教育
日本出発
郷土訪問後に船出
満洲のきびしい生活
ソ満国境近くは立派な訓練所
深い土中に大きな貯蔵庫
きびしい食生活、栄養失調で鳥目に
子供だから悪環境に耐えられた
「兵隊以上だ」と山下大将
楽しかった夏のハンティング
多感な年ごろ、女性の手紙大歓迎
終戦・戦後処理
シベリアでも強かった義勇隊
尊敬に値する“不言実行”の加藤先生
義勇隊はなぜママ子扱いなのか
四、「極東共和国」構想の先兵 饒河少年隊-大和村北進寮の記録(昭和九年)- (元先発隊員・石森克己)
はじめに
大谷光瑞師養成の「大谷学生」
少年隊を設立したのはだれか
内地組を迎え直ちに目的地へ出発
歓迎、訓練を経ながら奥地へ
饒河を目指した目的は何か
平和な国境の町、好意的な現地の人
土地の人から饅頭づくり教わる
冬期のつらい水くみ、飛行場整備も
氷河の中に処刑密偵を始末する
匪賊討伐の思い出は冷凍ギョーザ
東宮少佐の「秘」訓示
おわりに
追記「相田寅雄氏の死」
“戦死”は公式発表、実際は事故死
古武士そのものの臨終
編集後記
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