戦争のころ 仙台、宮城
はじめに
序章
戦争の話を始める前に
天皇陛下は神様です
56日で転勤した官選知事も
特高警察、国民の行動を監視
第1章 昭和6(1931)年~12年
満州事変から日中戦争へ
最初の戦死者は第二師団兵士
今度は中国と戦争だ
2年足らずで2500人の戦死者
軍需品を優先、生活に影響
国民をしばる「国家総動員法」施行
全員加入の隣組スタート
第2章 昭和16(1941)年12月
太平洋戦争開戦
「よくぞ立ち上がった」
敵性外国人53人を拘束
第3章 昭和17(1942)年
破竹の勢いで進撃
半年間 向かうところ敵なし
捕虜280人 細倉鉱山へ
早くも金華山沖に敵潜水艦が出没
中国との戦争から5年がたった
戦争するには金がかかる
配給制になってトラブル多発
わいろもらって不正転校
学校では軍事教練が義務化した
第4章 昭和18(1943)年
米軍の反攻作戦始まる
ガダルカナルの悲劇
米国から贈られた青い目の人形
新聞取り締まる法律が24も
金属回収 政宗騎馬像も供出
背広は禁止 国民服とモンペ姿
学業半ばで文科系学生は軍隊へ
第5章 昭和19(1944)年
玉砕相次ぎ、戦線縮小
日本を守る防波堤サイパンなど失う
動物園の猛獣が殺された
東京から2万人が学童集団疎開
防空演習と防空壕づくり
県内の陸海軍基地と軍需工場
市民の足 仙台市電の奮闘
満州開拓に1万2000人
授業休んで学徒勤労動員
「腹減った!」深刻な食糧難
塩釜が空襲を受け四百数十戸焼失
第6章 昭和20(1945)年
仙台大空襲と敗戦、占領
「一億総特攻」が合言葉に
全県下で「国民義勇隊」発足
戦時下最後の「知事引継書」
仙台大空襲前に市街地を撮影
B29爆撃機 マリアナ基地出撃
123機が2時間にわたって
犠牲者の7割はやけどだった
新兵器でB29を撃墜?
艦載機の空襲が敗戦まで続いた
敗戦、占領軍が宮城県に
東北最大の施設キャン・センダイ
仙台市の戦災復興事業
おわりに
15年戦争の年譜五
主要参考文献