大学とオリンピック1912-2020
はじめに
第一章 二〇二〇年東京大会 一年延期を学生はどう受け止めたか
コーチの指導はオンラインで/体育の授業は座学ばかり/陸上で水中の演技を練習する日々/大会前に卒業するボランティア学生/反対論にどう向き合うか
第二章 一九一二年大会~三六年大会 文武両道 戦前の学歴エリートたち
日本歯科大から陸上代表を選出/「井の中の蛙、大海を知らず」/初めて見る外国人選手の技に仰天/ベルリン大会と戦争の足音/伝説のオリンピック代表が中京大に集う/人見絹枝と前畑秀子の出身校は戦後、女子大創設
第三章 一九四〇年 「幻の東京五輪」の学徒動員
茗荷谷にキーマンが集う/招致時の文部大臣はのちに甲南学園を設立/帝大生がつくった競技場/デザインは京都工芸繊維大、京都市立芸術大出身/帝都青年勤労奉仕団/学生は「陛下の赤子」/戦時体制を維持のためオリンピックを返上/東京文理科大と早慶明の対立/
オリンピック代表の戦死者
第四章 一九五二年大会~六〇年大会 慶應・東大ボート部 栄光の軌跡
なぜボート競技はエリート校が強いのか/「いつも腹を減らしていた」/「軽自動車と大型自動車の違い」/「工学部がボートを設計、医学部が健康管理」/「『エト ブプレ パルテ』に反応できなかった」/東京大ボート部、ローマ大会へ/企業スポーツ隆盛の時代へ
第五章 一九六四年大会~六八年大会 部の伝統ゆえ、オリンピックを辞退
「二選手(東大)が辞退」の衝撃/大学ではなく学生を選抜するピックアップクルー/「大学ボート部活動を通して」こそ/医学部、歯学部から代表選手に/六八年大会出場の同志社大選手を訪ねる/男子バスケットボールは学生が奮闘/体操が強かった東京教育大/
東京教育大から筑波大へ
第六章 一九六四年東京大会 オリンピック秘話 ①学生通訳編
不足した通訳者/競技の素人/オリンピックを機に通訳者の道へ/学生たちは世界を見た/猥談やディスコ通いも/フランス語通訳者たちの回想/上智ブランドの誕生/素顔の東西ドイツ統一選手団/パラリンピックでのボランティア通訳/前時代性と先進性
第七章 一九六四年東京大会 オリンピック秘話 ②裏方学生編
やけ酒をなだめるのもボランティア/大学PRのために国土美化運動/選手を送迎した大学自動車部の活躍/選手村食堂は観光・ホテル研究会/帝国ホテル料理長の教え/オリンピックで観光学科から観光学部へ/選手村「不夜城」伝説/練習補助員の体験が人生を変えた/
「気温、湿度ともに極めて高く、選手にとって最も条件が悪い」/無償のボランティアになるために有償の資格が必要/大会期間中は休講、ゴールデンウィークはすべて授業/六四年は休講がないように文部省はクギをさしていた/国立競技場にいちばん近い大学
第八章 一九五二年大会~七六年大会 転身いろいろ、競技も人生も大学名も
サッカー代表が表す大学生の盛衰/フジヤマのトビウオとの絆/東高西低の中、健闘した関西の大学/人生を分けた意外な転身/あの人気プロレスラーたちも/「にほん」から「にっぽん」へ
第九章 一九八〇年大会~二〇一六年大会 大学生オリンピアンは不滅なのか
モスクワ大会のボイコットをめぐって/ボクシング選手たちを襲った悲劇/体操・具志堅幸司の警鐘/一九八四~一九九二年大会/一九九六~二〇〇四年大会/二〇〇八~二〇一六年大会
第一〇章 一芸に秀でた新設校、マイナー競技強豪校
教育とスポーツの融合・環太平洋大/柔道の了德寺大/トランポリンの金沢学院大/ホッケーの東海学院大/大東文化大テコンドー部/ウィンドサーフィンの関東学院大/なぜ追手門学院大がアーティスティックスイミング?
第一一章 議論風発! 教員たちのオリンピック学
JOC理事を務める大学教員の声/組織委メンバーの大学教員の声/コロナ禍の中で取り組む意義とは/新時代のさまざまなオリンピック案/負の側面への告発/学長たちの意見/学者たちのオリンピック批判/反資本主義、反ナショナリズム/「国辱もの」のベルリン大会選手団/
マルクス主義を学んだ学者が見た四〇年東京大会/モスクワ五輪ボイコットについての学者の賛否/二〇〇八年大阪オリンピック、IOCで六票
あとがき
おもな参考文献
資料