新劇
1906⇒1944
演劇の胎動
新しい演劇を求めて
新劇の模索
新劇の職業化
近代劇への関心
演劇の実験場
チェーホフから前衛劇まで
近代劇の移植
新劇の普及
創作劇の季節
演劇ジャーナルの進出
ソ連との交流
国劇の理念を求めて
新劇の父・小山内薫の死
プロレタリア演劇の勃興
新劇の「左傾」
演劇と政治との接点
プロレタリア演劇の発展
プロレタリア演劇の浸透
検閲の嵐のなかで
演劇のボルシェヴィキ化
「左翼劇場」の国際的交流
小形式演劇をかついで
プロットの旗のもとに
多喜二虐殺
運動の拠点-築地小劇場
新劇の「大同団結」
新協劇団の方向
新しい歴史劇
新築地劇団の頂点
歌舞伎の革新
市民演劇の抬頭
輝ける”昭和10年代”
リアリズム演劇への志向
困難な新劇活動
ドラマツルギーの確立をめざして
新体制のなかで-文学座の創立
新劇への弾圧
戦争前夜-移動演劇
丸山定夫の死と敗戦
1945⇒1966
新劇の再建
戦後演劇の方向を求めて
俳優座の再出発
劇作派の復活
戦後演劇への模索
職場演劇の抬頭
実験劇場と近代古典の摂取
戦後の転換-1950年
抵抗と団結への萌し
久保栄・久坂栄二郎・三好十郎
木下順二の民話劇
演劇と政治の接点
俳優座の試み
合同公演とプロデューサー・システム
福田恆存と加藤道夫
岸田国士の死-「どん底」
俳優座劇場と観客組織
戦後派演劇の登場-三島由紀夫・安部公房
第二次民芸の芸術方針
演劇と現実
創作劇の隆盛
芸術派演劇の発展
歴史への回帰
中堅劇団の活動
混沌たる開花
俳優座日曜劇場の発足
レパートリー制度への志向
モスクワ芸術座の来日と戦前派の死
新劇ブームの影響
俳優座の実験
リアリズム演劇の模索-民芸の方向
民話劇と現代劇
創造方法論の追求
集体創作と合同公演
大衆化運動の結実
演劇運動と四季の活動
安保体制のなかで
不条理演劇の紹介
民芸路線の開花
安保闘争と新劇
昭和期の記録
現実の矛盾をみつめて
文学座分裂・雲創立
演劇運動の新しい転換
日中交流と国立劇場の建設
俳優座20周年
劇作家の視点-小山祐士・田中千禾夫
文学座の再出発
新劇遺産の継承
民芸リアリズム演劇
戦後演劇への架橋
現代演劇協会の具体化
現実の多様な劇化
新しい戦後
文学運動と演劇運動との統一
戦後政治と演劇の接点
スタニスラフスキイ・システムの定着
日生路線の開花
芸術派演劇とその方法論の模索
劇団とはなにか
地方演劇の発展
あとがき
〈付〉 上演年報・劇団変遷図