図書シンリョウ ホウシャセン ギシ ヒトスジ ニ000065500

診療放射線技師ひと筋に

サブタイトル1~10
戦中・戦後、昭和の半世紀を歩む
編著者名
菅 隆 著
出版者
菅隆
出版年月
1986年(昭和61年)8月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
231p,図版 [4] p
ISBN
NDC(分類)
498
請求記号
498/Su21
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
編集・製作:朝日新聞出版サービス 著者略歴:p10-11
和書
目次

序章
まえがき
私の経歴
 
第一章 陸軍軍医学校時代
希望に燃え夢を抱いて
軍医学校レントゲン科に勤務
敬礼の厳しかった教官
レントゲン科の配置と設備
レントゲン科教室の学生たち
レントゲン科の教育内容と戦傷患者の撮影
エックス線の防護設備
レントゲン科の増強と新鋭間接装置の試作
忘れられぬ暗室内の出来ごと
俳優長谷川一夫さんの手術
間接撮影の試作装置が完成
間接撮影による集団検診
技術者のエックス線被曝(曝射)
思い出深い教官の思いやり
初めて徴兵検査で間接撮影
胸部診断で一〇〇%の効果
徴兵検査の間接撮影要領
徴兵検査に必要な教育を実施
フィルム読影と装置取り扱い者の教育
厳しかった敬礼の思い出
結核排除のため入隊半年以内に検診
診療に訪れた畑大将夫人
志賀達夫先生のこと
繁華街での、ある土曜日の午後
俳優黒川弥太郎さんのこと
北支戦線へレントゲン教育に
緑の多い美しい町、青島
大東亜戦争へと戦火は拡大
レントゲン車を製作
憲兵隊本部からの依頼
レントゲン科の学生への教育
ジーメンスの間接撮影装置
パンテックス管球確保に苦労
東條英機大将が歯の治療で来院
野戦エックス線室の開設に出張
九八式野戦エックス線器械
集団検診での姿勢矯正を自動化
航空部隊の集団間接撮影
南支方面軍のレントゲン補備教育に
電車の中での憲兵との出合い
長野県小諸療養所の思い出
浅草の電気ブランで危うく重営倉
新宿で飲んで、よく歩いて帰る
大洗で野戦病院開設の演習
清野教官、ビルマの陸軍病院長に転任
米軍捕虜患者をレントゲン撮影
ほろ酔いで、立ち小便して失敗
中支方面軍のレントゲン補備教育に
新宿駅の雑踏の中での〝欠礼〟騒ぎ
物資は配給制、隣組ができて回覧板
ドイツ製の器械を苦労して修理
法政大学工業学校電気科三年に編入
昭和19年5月、28歳で結婚
妻の親戚に間借りして新婚生活
軍医学校の教育機関が山形に疎開
東京をあとに山形へ疎開
東京の軍医学校も空襲で全焼
天皇陛下のご聖断でついに終戦
 
第二章 千葉県の保健所時代
終戦後、ひと先ず故郷の千葉県へ
五十嵐さんの東京移動検診協会で働く
県職員として保健所に採用が決まる
ドブロクを飲んだ戦後の思い出
銚子保健所の放射線技師になる
集団検診に器械を荷車で運ぶ
管球を買いに東京まで出張
忙しくなった保健所の集団検診
技術者に理解があった外口保健所長
海上寮療養所に出張して撮影の応援
市町村に補助金の指導、技術者は二人に
館山と勝浦の保健所を見学
結核審査委員の秋山先生の思い出
盲腸炎で手術、二週間の入院
外口所長は銚子市立病院長に
学校の集団検診率は一〇〇%近くに
高橋技師と一緒に国家試験の勉強
医師会には肩身が狭かった保健所長
スイッチを切り忘れた稲田先生
東金地区の間接撮影を応援に
一般住民の検診が始まる
結核撲滅の最前線だった保健所
千葉県エックス線技師会の幹事となる
ロートエキスの量を間違えて服用
小見川中央病院へ転職した山崎さん
後厄の年に大病、日野和徳先生と再会
エックス線技師に湯浅さんが来る
自宅に近い八日市場保健所に転勤
エックス線技師手当を〇・八%獲得
「医師と対等に」を肝に銘じて
勘忍袋の緒が切れ、所長と大げんか
干潟町に結核予防会総裁から表彰状
千葉県エックス線技師会の副会長に
舗装道路になって浸水の心配が解消
円満な交換人事で工藤さん、国保病院へ
昭和40年度千葉県エックス線技師会役員
留守中に佐倉保健所へ転勤の辞令
レントゲン車があった佐倉保健所
県衛生部の予防課長らが来所
佐倉保健所の集団間接撮影
25年ぶり、大島先生と電話で〝再会〟
千葉県エックス線技師会の会長に
五十の坂で体力の限界を感じる
八日市場保健所予防課長の辞令
次女秀子、長女美代子より先に結婚
千葉県保健所長会から感謝状
千葉県エックス線技師会長に再任
八日市場保健所の移転
診療放射線技師国家試験の講習会
講習会と実習で千葉県の合格率98%
44年度の県診療エックス線技師会の役員
長女美代子が旭町の鈴木家に嫁ぐ
Xレイジャーナルに随筆を寄稿
昭和45年の初頭にあたって
昭和45年度千葉県放射線技師会役員
市が国保病院の伝染病棟を無断で取り壊し
富士エックスレイ会社の千葉事務所開設
県関係の放射線技師の講習会を開く
軍医学校で一緒の五十嵐栄助君逝去
犬吠埼で技術学会関東・東京部会
千葉県でブロック親善野球大会
友納知事から県職員として表彰状
「あなたのための放射線展」開く
昭和50年のXレイジャーナルに年頭所感
昭和50年度の県放射線技師会新役員
予防課長を降職、松尾保健所勤務に
Xレイジャーナルに毎年、所感の辞
八日市場市若潮町に新居を定める
30年間勤めた保健所を退職
渡辺美智雄厚生大臣から表彰状
若潮町の新居が完成、引っ越す
悔まれる技師会と技術学会の分離
Xレイジャーナルに53年の年頭所感
保健所嘱託に、技師会では名誉会員
技師会の30周年記念式で御園生先生が講演
放射線技師学校を見学して〝読影〟論争
植木を植えかえて庭に池をつくる
放射線技師の芹川さんが予防課長に昇格
懐しい陸軍軍医学校時代の友人たち
放射線技師養成の四年制大学の実現を
 
終章 第三の人生
保健所嘱託を退き、第三の人生へ
半年遊んで東金市の浅井病院に勤務
放射線技師の道ひと筋に半世紀
 
〈付録〉 昭和十六年式間接写真撮影用エックス線器械使用説明書(島津製作所)