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旧満州に消えた父の姿を追って

サブタイトル1~10
昭和の記憶
編著者名
諸住 昌弘 著
出版者
梓書院
出版年月
2019年(令和1年)10月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
217p,図版 [1] p
ISBN
9784870356573
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/Mo77
保管場所
閉架一般
内容注記
参考文献: p201-206 年表: p207-211
和書
目次

発刊によせて(大和田義明)
はじめに
 
第1章 安東再訪
長甸河口の写真との出会い
六十六年ぶりの安東再訪
遂に父親と同じ地に立つ
 
第2章 父と間組と満州国
間組の大陸進出と満鉄(=南満州鉄道)
満州国と盛衰を共にした父の満州生活
鮮満一如と日満一体
定期預金証書と国債
国民精神総動員と満州国国家総動員法
高度成長下の両親の結婚
満州にも忍びよる戦争の影
日満一体不可分と共同防衛
国民生活への国家の干渉
国民服姿の家族集合写真
 
第3章 言論統制で国家破滅の総特攻体制
言論統制と失われた報道の自由
戦争礼賛の新聞
特別攻撃隊の実態
架空の大勝利
 
第4章 父の出征と戦死
〝隠密召集〟の日
父の戦死の真相と慰霊の旅
司令部の後方避難と守備隊玉砕命令
 
第5章 在満日本人を見捨てた軍と政府
関東軍は終戦七ヶ月前に一二四師団玉砕命令
一二四師団、二七一連隊全滅の真相
肉攻(肉弾攻撃)=自爆攻撃の実情
松本茂雄さんの生への執念
 
第6章 現実を直視しない日本軍最高幹部
ソ連参戦後の最高戦争指導者の対応
日本軍の戦争継続論が満州の悲劇を拡大させた
終戦一ヶ月前に満州放棄の方針決定
 
第7章 日本国民への裏切り行為が悲劇を拡大
われ先に逃げた軍と官の醜態
満拓公社設立と強引な土地収用
悲惨な満州開拓団民の逃避行
見棄てられた国境開拓団の末路
さまよう満蒙開拓青少年義勇軍
 
第8章 戦没の地への慰霊の旅
戦死公報の受け入れと間組
六十五年後の戦没の地・穆稜での供養
 
第9章 ソ連軍進駐と国共内戦勃発の影響
終戦後から暗黒の日々の安東
戦勝大国間の取り引き下でのソ連軍進駐
ソ連軍と八路軍の安東進駐と国共内戦
 
第10章 日本政府に見放された在満日本人
満州在留日本人の帰還に動かぬ政府
軍司令部の首都(新京)撤退と日本人会の発足
現実無視の根拠のない定住化計画
終戦後一年の閉ざされた安東市民の生活
満州占領のソ連軍、邦人の帰国許さず
 
第11章 在満日本人引揚げ実現の秘話
満州引揚げ実現の陰の功労者
重大使命を帯びた三名の満州脱出と日本上陸
日本政府と連合軍総司令部への訴え
「在満同胞の実状を訴う」ラジオ全国放送と反響
留守家族から涙の便り
満州引揚げが遅れたもう一つの理由
米国政府の基本方針
マッカーサー元帥の引揚船出発命令
 
第12章 一七〇万在満日本人の引揚げ開始
在満日本人の引揚げ開始
七十三年後に満州引揚げ開始秘話をNHKが放送
 
第13章 家族の安東引揚行路を辿る
安東から苦難の引揚げ
博多湾に海上都市出現 滞留引揚者六万人
家族の博多港上陸
 
第14章 三度の安東
生まれ育った間組社宅に高層マンション
ミニテーマパーク 〝安東老街〟
水豊ダム堰堤最上部で完成当時を想う
七十年振りに引揚行路を辿る
錦州の「遼瀋戦役記念館」で見たもの
記念館は抗日戦争ではなく国共内戦を詳細展示
日本難民の送還に関する中国側の協定内容
日本人捕虜および居留民送還に関する連合命令
葫蘆島市の遣送記念碑
 
第15章 改めて父母の人生を想う
引揚者受け入れの博多港
博多から北海道へ、そして再び博多
母の背中が教えたもの
回想
 
参考文献
年表
あとがき