画家たちの戦争責任
はじめに 軍国少女に育った私から10代のあなたへ
1 戦争画のゆくえ―隠されたままの戦争責任
絵画は国家の庇護と統制のもとに置かれた―1941~45年
大人気の陸軍美術展
「戦争画」とは何か?―菊畑茂久馬氏の公開要求
アメリカの接収、153点―1946年6月
●藤田の出国
●アメリカ軍が持ち去る―1951年
●アメリカ軍にもち去られた戦争画の複製による太平洋戦争名画展―1968年
●153点、日本に帰る―1970年
●「生誕120年藤田嗣治展」と加藤周一評
●「藤田嗣治私見」―加藤周一
●「戦争画に反戦の意図を見た」
●自らの意志で選んだ
藤田嗣治、全所蔵作品展示―2015年
●戦争画制作の要件
●戦争画の全面公開を求める
●若い作家たちによる「戦争画」展
●村田真「プチ戦争画」
●日本の戦争画
●東京都美術館主催、没後20年藤田嗣治展―2018年
●新聞への投書
2 そのころの子どもは、親より教師より熱心に戦争をした
●唆された一人として
●青少年学徒に賜りたる勅語
●1941年12月8日、対英米宣戦布告
●女でも靖国に行くために―従軍看護婦になる
●戦局の転換
●アッツ島玉砕―1943年
●海ゆかばは戦死者を超えての出撃譜
●1943年9月2日「アッツ島玉砕」との出会い
●我身を以て太平洋の防波堤たらん
3 戦争画を一挙公開し、議論をすすめよう!
●8月5日は空気を一変させた
●再び出会った「アッツ島玉砕」
●修身教科書「キグチコヘイ」
●教育勅語等排除に関する決議
●修身の復活――「道徳」
●「特別の教科である道徳」を新設―2015年
●逆わらない心と丈夫な体
●その際みのがせないのが間接的な戦争画
●再び繰り返させないために
●戦場体験をもとに描いた作品―戦後の戦争画
●文部省唱歌を強制する音楽科共通教材
●東京国立近代美術館は、戦争画153点の公開を!
■参考にした主な文献
あとがき
資料
資料1・藤田嗣治「アッツ島玉砕」
資料2・藤田嗣治「薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す」
資料3・東京国立近代美術館所蔵の戦争記録画一覧
資料4・太平洋戦争名画展
資料5・戦争画制作の要点 藤田嗣治
資料6 算数と道徳教育との関連
資料7『みんなの道徳4年』(学研みらい)
資料8『小学道徳6年』(日本文教出版)
資料9『少年倶楽部』(1932年5月号)
資料10『少年倶楽部』(1932年5月号)
資料11・まんが「猛犬連隊 のらくろ上等兵」田河水泡
資料11・1932年「爆弾三勇士」の美談が仕立てられ人気漫画 田河水泡
資料12・新聞広告1943年3月『帝国ニッポン標語集』現代書館
資料13・『写真週報』1943年3月3日号より
付図:日本軍玉砕地図(1枚)