昭和史の急所
第1章 なぜ昭和に学ぶのか
なぜ昭和史を語り継ぐのか
私たちはどんな国民なのか
「自省史観」の立場から
日本の文化・伝統とあの戦争
記憶を父として、記録を母として
数千人の戦争体験を聞いて思うこと
『きけわだつみのこえ』を読みかえす
「あとのことは引き受ける」
刮目すべき特攻隊員の遺言
日本近代の誤りを認める
昭和を知るとは自分を知ること
今の日本は「平和」ではない
新しい見方こそが新しい歴史
第2章 誰が戦争を始めたのか
軍は希望の星だった
「この際だから」で歴史は暗転する
大義だけが絶対視されるとき
日本の変調を決定づけた五・一五事件
国民を押し込める、日本ファシズムの四辺形
類を見ない軍事独裁はいかに完成したか
特高の弾圧に耐え抜いた共産党員でさえ
昭和天皇が阿部信行陸軍大将に伝えた懸念
「動機さえ正しければ何をしてもいい」
「チキンレース」で出世が決まる
暴力が社会に与える恐怖感
さらに怖い「自己規制」
暗殺が先にあり、正当化のために思想信条がある
前近代の農村原理と日本陸軍
江戸時代からあまり変わらなかった農村
「村八分」をおそれ捕虜を拒む
人間としての生活を奪われた農民たち
販売競争が生んだ新聞の変節
天皇機関説―知識人の罪深き沈黙
蔣介石次男が見た日本軍の陥穽
アメリカ人医師が東京裁判で証言した南京攻略
疲弊感のはけ口を米英に求める
対米開戦は「忖度」で決まった
チャーチル、ヒトラーにあって我々に欠けていたもの
「腹案」は国策にあらず
真珠湾攻撃の致命的失策
真珠湾奇襲の夜―東條の秘書官だった赤松貞雄の証言
「呪文」で決まる私たちの政策
「モノがないのに」ではなく「ないから」戦争した
「日本に石油はあった」ある重大証言
突然始まる戦争などない
独裁者なき日本のファシズム
統計データの操作で国は滅ぶ
昔もいまも為政者は「国民は馬鹿」
日本海軍の致命的な欠陥
真珠湾の戦果に私たちは「しびれた」
東條英機の意外な側面
戦争に勝つとはどういうことか
シンガポール陥落の大本営発表
日本人は「戦争」を知らなかった
植民地解放を開戦時に宣言していれば
第3章 どうして戦争を終えられなかったのか
日本人に欠けているもの
怒りから無力感へ
国民が「情」で結束する怖さ
「海軍憎し」に燃える陸軍幕僚
「しかたない」を考える
幕僚の保身が招いたガダルカナルの悲惨
アッツ島玉砕は何を教えているか
麗句と精神論と「流言飛語」と
零戦の真実
硫黄島で起きたこと
「玉砕」は何のためだったか
慰安所に関するある軍医の証言
サイパン陥落、そして特攻へ
美濃部正少佐はいかに特攻作戦に「反対」したか
地獄のインパール作戦、その内実
「負けと言うまで負けではない」
沖縄戦は本土決戦そのもの
時間かせぎで失われた人命
特攻隊員の死にどう接するか
特攻隊員に学徒兵や少年兵が多かった理由
私たちも「被告」である
本土決戦構想とは
「米軍は恐れをなす」―絶望的な、あまりに絶望的な作戦
松代大本営跡で考えたこと
いまある日本は、ありえなかった
『皇軍史』という絶対暗黒
本土決戦を前に昭和天皇は
昭和天皇の戦争責任
一億総ザンゲは大いなる欺瞞
東京裁判の歴史的意義
東條の死に接し昭和天皇は
「東亜解放」の功労者にわが国がしたこと
わたし自身の記憶から
公文書焼却がもたらす禍根
終わっていない東京裁判
歴史からの権力は何人にも付与されていない
第4章 激動期の怪物たち
昭和史に永遠に刻まれる三人の首相
東條は対米開戦の無理を承知していた
カツ夫人から聞いた―真珠湾攻撃2日前、「東條が泣いていた」
強硬論と精神主義を重視
「守るべきもの」とは何だったのか
敵機を撃ち落とすものは
ミッドウェーの詳細を知らなかった東條
「まさかこれが国策になるとは思わなかった」
なぜ戦いつづけたか、その核心
戦陣訓と東條自身の最期
石原莞爾からの、東條への痛烈な皮肉
「決戦戦争」と「持久戦争」
石原の世界最終戦論の概要
満州国を昭和陸軍の軍人たちはどうみていたか
「困ったことをしてくれた」慮溝橋事件への反応
満州国は中国人にまかせるべきだ
石原のビジョンの射程
「石原将軍の後を行くと絶対に弾に当たらなかった」
指揮官交代を望んでいた山本五十六
山本の戦略の合理性
戦争の趨勢を変えたもの
指導者としての山本五十六
参謀本部には正確な地図さえなかった
山本の末期を見たパイロットらの運命
吉田茂の歴史認識、その根底にあるもの
頑固、ワンマンの本当の意味
マッカーサーを動物園の熊にたとえた話
反軍部の言論人・桐生悠々と吉田茂
たった一人で安保条約に調印した理由
娘の麻生和子からみた吉田評
田中角栄とは何者だったか―二人の証言から
戦争ぎらいだから支持する
角栄の支持者が語った「軍隊を抜ける三つの方法」
角栄は何と戦い続けたのか
カネについての「三つの教訓」
角栄いわく、幸せとはつまるところ・・・・・・
天皇に角栄はどう接したか
詳細かつ長時間に及んだ「内奏」
「義理と人情が嫌という人は、その考え方が嫌ですな」
ロッキード裁判―「軍部が悪い」の再現図
田中角栄がいまも光を放つ理由
田中角栄から平成への遺言
第5章 100年語り継ぐべき肉声
四千人に戦争体験を聞いてきた
証言者が握りしめているもの
生にも死にも納得していない兵士たち
特攻兵を送り出してきた男性の証言
どこで何人殺した―
インパールの白骨街道で見たもの
恐怖より、飢えより、戦争で一番辛かったこと
「私は今、名前を変えて生きています」
アメリカに捕まった「捕虜第一号」の証言
陳情に来た中国人を一撃で・・・・・・
医学では説明のつかない元兵士たちの臨終
臆病でないことを示すために―人はメンツで狂う
戦場体験は「聞く側」もきびしく問われる
出撃十日前の特攻パイロットらの談義
いま特攻隊員らの言葉にどう接するべきか
ガダルカナルでなぜ殲滅されたのか
山本五十六の側近の遺言
大本営情報参謀が語り残した「兎」の教訓
生かされなかった重要情報
真珠湾はいかに「騙し討ち」となったか、決定的証言
特攻機基地の無線が受信した「最期の一言」
上官から嫌われた者はどこへ回されたか
学徒動員の知られざる側面
秘書の高木清寿が語った、石原莞爾の「戦争の総括」
戦争は時間がたてば終わるのではない
第6章 教訓をさぐる
日本人だからこそ誤りを認める
日本人の「戦争体験」は一年にも満たない
真珠湾の戦果に酔ったのはとりわけ知識階級
砲身にまたがるアメリカ兵を見て「勝てる」
参謀本部はどのような者で構成されたか
国民のあの集中力とは何だったのか
戦争とはヒューマニズム、しかし・・・・・・
歴史を知らない者は「戦争の勝ち方」も知らない
二・二六後の暴力に屈しなかった人たち
徴兵と召集、庶民はどう受け止めたか
日本兵が中国や南方戦線で最初に見たもの
日本と中国、国家原理の違いを知っていれば
原爆の「加害者」になりえたという重い事実
昔戦艦大和、いま国立競技場
いまの日本で戦争総括はむずかしい
憲法はおしつけと軽々しく言う人へ
軍事教育と戦後高度成長を結ぶ線
敗北を「自認しなかった」がゆえの成長
もし日本人が戦争で本気を出していたら
私たちは歴史から「宿題」をつきつけられた
兆しをとらえ、歴史に学ぶ
現在の権力中枢への危惧
江戸時代二百七十年の達成を再発見せよ
「平時」から「戦時」へのスタートを切った
第7章 天皇三代
私が考える「昭和天皇の戦争責任」
「陛下はうめいておられるようにも聞こえた」
わずかな年の差が天皇観を決定づける
昭和天皇と大正天皇の違いとは
昭和天皇の人間としての素質
新時代の新しい君主を目指した摂政時代
側室をすすめられて昭和天皇は何と答えたか
御製に込められた天皇の願い
天皇の意向を見誤った青年符校ら
陸軍は天皇をまったく忖度しなかった
昭和天皇が自分で決断した「二回」の歴史的瞬間
「上奏をそのまま裁可する」昭和天皇
近衛文麿の国策案のどこを質したか
「リベラル」な天皇の憂慮をよそに
開戦直前に読み上げた歌の意味
昭和天皇の「神的」要素
昭和天皇は実際に戦争継続を望んだのか
「余は誰を信ずればいいのか」侍従長の回想から
明仁皇太子が問うた特攻作戦への疑問
昭和天皇は八月何日から敗戦を受け入れたか
玉音放送を聞いて昭和天皇はどんな顔をしていたか
「天皇は神の末裔にあらず」GHQ見解に昭和天皇は
戦後の昭和天皇が自らに課したこと
天皇訴追はいかに見送られたか、その核心的電文
昭和天皇とマッカーサーの交流
「東條はまっすぐな人間、某は贋物」
昭和天皇にとっての未来志向
明仁皇太子の教育をなぜヴァイニング夫人に託したか
昭和天皇と明仁天皇、追悼に対する姿勢の違い
軍人がついた嘘と自ら向き合って
明仁天皇の心は「昭和」にあった
一貫して「戦争」を忌避する姿勢
先帝とは異なるどのような天皇を目指したか
ご成婚以前に、皇太子ブームはあった
天皇制が平和堅持に資する宿命
沖縄戦の終結した日を忘れることなく
これほど人間的な天皇があっただろうか
天皇皇后両隆下がかけてくださった言葉
次世代の「新しい天皇像」の展望
明仁天皇の退位が私たちに問いかけたもの
天皇が時代をつくり、時代が天皇をつくる
地球的な課題と「皇室」
「戦争のない時代に安堵」
あとがき
本書関連略年表
〔出典図書・雑誌・新聞など〕