図書目録ナンキン ギャクサツ ノ テッテイ ケンショウ資料番号:000064143

「南京虐殺」の徹底検証

サブタイトル
編著者名
東中野 修道 著
出版者
展転社
出版年月
1998年(平成10年)8月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
423p
ISBN
4886561535
NDC(分類)
210.7
請求記号
210.7/H55
保管場所
閉架一般
内容注記
参考文献: p402-412
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

第一章 南京攻略への道
一九三〇年代の支那は分裂状態
盧溝橋事件
通州虐殺事件
上海事変
ドイツ軍事顧問団
南京城攻略命令
 
第二章 陥落前夜の南京城内
焦土作戦宣言
南京放棄か死守か
蔣介石の堅壁清野作戦
市民の南京脱出
アベックが伝える「支那の国都の最後の日々」
南京安全地帯国際委員会
南京安全地帯の設立
蔣介石脱出と安全地帯避難命令
鮨詰めの安全地帯
安全地帯を保障せず
負傷兵入城禁止
 
第三章 城門攻略
南京城開放を勧告
ハーグ陸戦法規第二十七条を厳守
国際委員会の休戦協定案
光華門攻略
中華門占領
手足を立木に縛られ
唐生智逃亡
戦える者は誰でも駆り集めた
防衛軍の大部分は戦闘で重大な損失
挹江門では督戦隊が「友軍を掃射」
アメリカ人記者の虚報
支那軍の主力は脱出
 
第四章 「捕虜ノ処置」の意味
「捕虜ノ処置」の意味
陸軍次官通牒について
上海派遣軍第十三師団司令部の通達
 
第五章 争点の解釈(一)―旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
「旅団命令により捕虜は全部殺すべし」
第百十四師団命令
第百二十八旅団命令
第一大隊戦闘詳報
誰が戦闘詳報を執筆したのか
 
第六章 争点の解釈(二)―大体捕虜ハセヌ方針ナレバ
支配的な「捕虜の即時処刑」という解釈
文章の捩(ねじ)れ
「捕虜ハセヌ方針」の真の意味
上海派遣軍参謀の証言
「処理」の解釈
 
第七章 争点の解釈(三)―皆殺セトノコトナリ、各隊食糧ナク困却ス
一万五千人の幕府山投降兵
非戦闘員を解放
「皆殺セトノコトナリ、各食糧ナク困却ス」
故意の放火
山田旅団長の真意
火災後に投降兵を処刑
両角連隊長の回想
暗闇の処刑作戦であったのか
付記
第十三師団山田支隊兵士の陣中日記
遠藤高明陣中日記
宮本省吾陣中日記
指揮官不在の投降兵集団
 
第八章 陥落後の城外の激戦
血路を求めて討って出た教導総隊
佐々木少将「自衛力を有する者を顧(かえり)みる遑(いとま)はない」
支那軍が湯水鎮の上海派遣軍司令部を猛襲
第三十八連隊副官の証言
捕虜が続々投降という不正確な表現
「片はしより殺戮」
「師団ノ指示アル迄俘虜ヲ受付クルヲ許サズ」
戦場で不穏な行為や抵抗の意志を示した投降兵
降伏後に手榴弾を投げつけてくる投降兵
第三師団の輸送部隊と軍医部長一行も襲撃さる
 
第九章 陥落後の城内の掃蕩
安全地帯は皇居外苑の四倍
陥落後の城内の様子
正規兵は城門陥落前に安全地帯に避難
死の街(ゴースト・タウン)・南京
市民のなかに銃を持って身を潜めた正規兵
南京城攻略要領に基づき掃蕩戦に入る
掃蕩戦に参加しない日本軍兵士は外出禁止
作戦地域の指定と責任の明確化
掃蕩戦の様子
安全地帯の掃蕩戦
戦車四台ほかを鹵獲(ろかく)
安全地帯の正規兵を処刑
 
第十章 捕虜の資格
安全地帯を攻撃しなかった日本軍
軍服を脱いだ兵士は「元兵士」か
戦争法規に明確に禁止されていない場合
「交戦者ノ資格」
安全地帯の支那兵と戦時国際法
捕虜の資格
スミス記者の講演(一)
フィッチの記録
ラーベ日記の記録
スティール記者の記事
スミス記者の講演(二)
ダーディン記者の記事(一)
ダーディン記者の記事(二)
アーベント記者の記事一九三七年十二月十九日付
『チャイナ・ウィークリー・レビュー』一九三八年一月二十九日号
英国領事の日本軍批判(一)
英国領事の日本軍批判(二)
残虐行為(アトローシティーズ)とは何か
殺戮(スローター)とは何か
虐殺(マサカー)とは何か
アメリカ海軍第二旅団の報告書
南京ドイツ大使館の報告書
国際委員会四号文書
『チャイナ・トゥデイ』一九三八年一月号
『チャイナ・ジャーナル』一九三八年一月号
『タイム』一九三八年二月十四日号
『ノースチャイナ・デイリーニューズ』一九三八年一月二十二日付
『チャイナ・フォーラム』一九三八年三月十九日号
アメリカ大使館付武官キャボット・コーヴィルの記録
 
第十一章 南京安全地帯の記録(一)
南京占領三日目には露店
毎日五千人が殺されたのか
安全地帯の人口は増える
状況を好転させた十二月二十四日からの住民登録
兵民分離のため住民登録と同時に査問工作を行う
十二月二十七日付の二十六号文書は二十万人市民と記す
『南京安全地帯の記録』
『南京安全地帯の記録』が記録する殺人事件
事例二一九
「事例二一九」についてのマギーのもう一つの説明
数々の疑問点
「八歳の少女(夏淑琴)」がマギーに語ったもう一つの話
本多勝一『南京への道』に出てくる夏淑琴の話
夏淑琴が「マギーの遺言」に登場
許伝音の偽証
事例一八五
合法的処刑だったことを認める「注」
 
第十二章 南京安全地帯の記録(二)
南京事件(昭和二年)における強姦
『南京安全地帯の記録』に記録された強姦事件
日本軍に通報された強姦事件は十件前後
重罰に処せられた犯人
固有名詞のない事例の数々
信憑性なき事件が世界を駆け回る
ヴォートリン宣教師の記録
食い違う記録
事件発生日の記されていない事例
『ノースチャイナ・ディリーニューズ』一九三八年一月二十一日付
『南京安全地帯の記録』から削除されたもう一つの事例
二万人強姦説も削除される
「大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
馬中将は安全地帯で反日攪乱(かくらん)行為を煽動
東京裁判におけるマギーの証言
事例三三
事例七七
「いつも総て支那人の一方的な話を聞いているだけ」
 
第十三章 食糧問題と埋葬問題
南京自治委員会の創設
南京特務機関宣撫班
金丸良生軍曹の「手記」
安全地帯の人口は二十五万となる
人口増加と食糧問題
人口増加を招いた一因
南京陥落九ヶ月後の人口三十五万八五四六人
人口問題再論
埋葬問題について
軍服の敵兵を満載した紅卍字会のトラック
陥落後の懸安事項は「食糧問題」
住民登録が終って埋葬が問題となる
埋葬活動と日本軍特務機関
自治委員会会長・陶錫山
土葬の場所
土葬の方法
埋葬の賃金
いつ埋葬は完了したのか
紅卍字会のみが埋葬
中華民国の「被屠殺者タル我同胞二七九、五八六名」という記録
『南京救済国際委員会報告書』
埋葬は三月二十日前後に完了
埋葬数は多くても一万三千体から一万五千体
城内埋葬表の三つの間違い
城内埋葬数は多くても六二三体
城内で収容された約六百体の内訳
 
第十四章 「南京虐殺」追跡調査
欧米人に対する支那人の訴え
削除されたベイツのメモ
日本軍を戦時国際法違反とベイツは批判
ベイツは市民一万二千人虐殺説を繰り返す
中間派の原型ベイツ説
『チャイナ・イヤーブック』一九三八年版
『戦争の支那』
『日本人の戦争行為』
毛沢東「持久戦について」
国際連盟の決議
『チャイナ・クリティック』支那事変一周年特集号
『チャイナ・フォーラム』支那事変一周年特集号
支那事変一周年の蔣介石の声明
『チャイナ・ジャーナル』支那事変一周年特集号
『チャイナ・クォータリー』支那事変一周年特集号
『チャイナ・ウィークリー・レビュー』支那事変一周年特集号
『チャイナ・トゥデイ』支那事変一周年特集号
『抗日軍政大学の動態』
郭沫若『抗日戦回想録』
項英将軍の『新四軍の抗戦一年来の経験と教訓』
四万人虐殺説を再びベイツは主張
朱友漁「戦時下の奉仕活動とキリスト教会」
再三再四削除されたベイツ説
ベイツ説を蒸し返したエドガー・スノー
リリー・アベックの『支那の革新』
『チャイナ・イヤーブック』一九三九年版の序文
 
第十五章 「南京虐殺」の全体像
第一期・昭和十二年十二月から昭和十三年三月までの四ヶ月間
第二期・昭和十三年四月から昭和十五年までの約二年間
第三期・昭和十六年から昭和二十年まで
第四期・昭和二十年から昭和二十四年ごろまで
東京裁判におけるベイツの証言
首席検察官キーナン
南京地方法院検察処敵人罪行調査報告
検察側最終論告と判決
上代琢禅弁護人「法廷で繰り広げられた演劇」
十分な検証もないまま処刑された日本軍将兵
第五期・昭和二十四年から昭和五十三年ごろまで
「日本軍三十万人を屠殺」と何故揮毫されなかったのか
「南京虐殺」が出てこない中華人民共和国や香港の歴史教科書
第六期・昭和五十三年から現在まで
 
付章 改めて「ラーベ日記」を読む
検証の視点
ラーベの私的日記と公的文書の落差
過度に脚色されたラーベの日記の矛盾
ラーベ自身の露骨な改竄
目撃してもいない作り話がヒットラーへの上申書に
支那軍は安全地帯を徹底的に利用
安全地帯は中立地帯ではなくなった
中立地帯委員長が敵兵の潜伏逃亡を幇助
六十四日間の不法滞在中に何をしたのか
反日攪乱行為に暗躍した支那軍将兵
ラーベの近辺に集中した「放火」
自作自演の強姦劇か
流言蜚語を事実と信じたラーベ
撤回された日本軍戦時国際法違反説
埋葬は多くても約一万五千体
 
参考文献
さくいん
あとがき

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