それでも東條英機は太平洋戦争を選んだ
まえがき
第一章 政党政治に順応した日本陸軍
「憲政の常道」の確立
第一次若槻内閣は台湾銀行救済に失敗して総辞職
宇垣軍縮による陸軍航空隊の創設
内政を重視した田中義一内閣の瓦解
立憲政党政治へ努力を重ねた日本陸軍
第二章 陸軍四派閥の並立
陸大閥の発生
第二次若槻内閣における満州事変
集団国防主義を目指す統制派のリーダー永田鉄山の「永田構想」
永田鉄山の集団国防主義に対抗した真崎甚三郎・青年将校の一国国防主義
日本陸軍の正統的後継者としての皇道派将校
荒木貞夫中尉の沙河会戦
皇道派の対支不戦論VS統制派の対支一撃論
第三章 皇道派と統制派の抗争としての二・二六事件
陸軍三長官の鼎立による陸軍統一への試み
真崎甚三郎参謀次長による満州事変の終息
統制派の領袖永田鉄山軍務局長VS皇道派真崎甚三郎教育総監の対立
永田鉄山が真崎甚三郎の追い落としを策した陸軍士官学校事件
永田鉄山が閑院宮参謀総長を使嗾して真崎甚三郎教育総監を罷免
昭和天皇の事実誤認
相沢三郎中佐が永田鉄山軍務局長を斬殺
統制派と皇道派の国家改造論の相違
二・二六事件における昭和天皇の断固鎮圧方針
決起将校の肉声
決起将校磯田浅一と村中孝次
第四章 統制派の支配下にあった広田弘毅内閣と林銑十郎内閣
統制派の武藤章・東條英機が台頭
広田内閣における軍部大臣現役武官制復活と日独防共協定
腹切り問答による広田内閣総辞職
統制派が擁立した林銑十郎内閣
第五章 支那事変の和平努力を潰した東條英機
石原莞爾は盧溝橋事件に不拡大方針をとった
上海戦に際し石原莞爾は在留邦人の引揚げを主張
石原莞爾のトラウトマン和平工作を広田外相が潰した
継戦派の陸相杉山元と外相広田弘毅を更迭
東條英機が宇垣外相の宇垣和平工作も影佐大佐の汪兆銘和平工作も潰した
第六章 包囲された日本
平沼騏一郎内閣におけるノモンハン事件
阿部信行内閣は第二次世界大戦への不介入方針を堅持
米内光政内閣のときアメリカはオレンジ計画を発動し真珠湾へ進出
第七章 松岡外相が三国同盟に固執し日米諒解案を潰す
第二次近衛内閣における三国同盟を巡る論争
陸軍最強硬派東條英機の主張
三国同盟の締結
ルーズベルト大統領は昭和十六年一月にオレンジ計画発動を決断
日ソ中立条約の締結
日米諒解案という日米協調への最後の試み
独ソ戦の勃発
第二次近衛内閣は松岡外相を更迭する目的で総辞職
第八章 東條陸相の支那撤兵拒否により第三次近衛内閣において日米交渉決裂
在米日本資産凍結と南部仏印進駐
南シナ海の地政学
アメリカの海軍大学と日本の陸軍大学の学力格差
対日石油禁輸の衝撃
ルーズベルトは近衛首相の首脳会談提案を拒否
東條陸相が支那からの陸軍撤兵を拒否
敗戦必至の二正面作戦
対米戦への試論
第九章 東條英機の太平洋戦争
東條内閣の発足
白紙還元の御諚と仏印からの撤兵案としての甲案・乙案
ハル・ノート
日米開戦
インパール作戦の真実
主な参考文献