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青森縣日記六十年史

サブタイトル1~10
編著者名
東奥日報社 編
出版者
東奥日報社
出版年月
1948年(昭和23年)12月
大きさ(縦×横)cm
26×
ページ
342p
ISBN
NDC(分類)
212.1
請求記号
212.1/To64
保管場所
閉架一般
内容注記
表紙のタイトル: 青森縣日記六十年史 : 東奥日報記事のアルバム 創立六十周年, 貳萬號發行記念
和書
目次

☆…明治二十一年
弘前女学校新設
岩木橋架橋
東奥日報創刊について(社説)
村谷有秀氏拘留の顚末
 
☆…明治二十二年
宗敎界近况
靑森町の市制施行の請願
市町村制
市制実施官令
市町村制施行期日
縣下最初の市制
明治二十二年四月一日に就て(社説)
中津軽郡役所の位置
初代弘前市長菊池九郎氏
創業の弘前市役所専務
靑森縣第一回美術懇親会
力士一ノ矢
一ノ矢藤太郎
新聞『日本』の発行
森文部大臣死去す
賊名を削り位階を賜ふ
憲法発布に付東京電報
憲法の性質に就て(社説)
工藤主善氏の病臥
工藤主善氏逝けり
尻矢崎燈台新設
弘前靑森間の私設鉄道計畫
靑弘間鉄道(社説)
停車場位置の諮問会
献地請願者
浦町地價の騰貴
安方町の捺印
靑森中学校の弘前移轉
法典編纂に関する元老諸公の意見
十和田湖養魚計畫
秋田鉄道
宗敎敎育の可否
穆山敎正の授戒会
一夫一婦の建議
一大製鉄場
農家の篤志家
林檎の繁殖
人類学会幹事の来縣
條約改正と奈良石鄕岡二氏の上京
小山勝次郎氏國事犯の嫌疑を受く
大隈大臣爆彈を投げられ負傷す
來島の歌
新聞論説飜訳
西津軽郡十三村たより
臨海実驗所設置場所調査
立憲自由党結党式
靑森仙台間鉄道工事狀况
東北鉄道一ノ関に達す
一ノ関盛岡間の鉄道
鉄道工事の模様
靑森盛岡間の鉄道開通式
靑森町の飲料水
風俗改良演説会
郵便局の起源
七段坂開鋻
土曜会発会式
米國船チ号遭難と義損金送附
米國船チ号遭難救恤金の返附
郡制府縣制
鍋島知事の更迭
佛敎書進呈の伺
 
☆…明治二十三年
鉄道敷設後の陸奥國
下北郡の独立と横浜村の編入
本多庸一氏米國より帰朝
氣象と農事関係
侫武多の大喧嘩しきり
船津傳次平氏の招待
船津氏農談会
佐藤信淵翁頌德の碑
陸奥大臣地租軽減策
女子敎育の進歩
鄕倉
尋常師範学校全燒
神学士益子惠之助氏
東奥日報五百号之辞
議員召集令発布
帝國議会正副議長
帝國議会開院式
議会開院式の祝宴(弘前)
帝國議会傍聽漫評(社告)
二大臣の演説
曹洞宗專門支校の英語敎育
平民新聞
津軽の大懇親会
十三湖水戶口の騒動
 
☆…明治二十四年
地價修正事件と靑森町の運動
地價修正案の提出
非地價修正論の勝利(社説)
靑森地方裁判所開聽式
合議裁判の長所
貴衆両院燒失
宮中電氣燈の中止
廣沢安任氏の逝去
幻燈会盛况
郡制の施行
郡会議員選挙会
郡会議員の選挙大地主姓名
鉄道馬車開設の計畫
恐山の硫黄事業
山縣首相の辞表
合奏会
新発明の風琴
露國皇太子殿下の御着港
露國皇太子殿下逢難第一報
第二報、第三報
露國皇太子殿下の帰國
津田三藏の病死
新総理大臣親任式
各大臣親任式
三十二時間の東京下り
瓊江丸沈沒
板垣伯の來遊
米國で日本人電氣死刑
英國艦隊入港
第一回縣会議員選挙当選者
十文字信介氏鉄砲を発明
関西地方の大地震
三十万円新土木費を可決す
 
☆…明治二十五年
天保銭通用の年期
津軽產業会総会
弁士の拘引
警察の干渉益々甚し
世界博覽会に於ける本縣の出品
岩木川沿岸人民の心配
自家飲用酒造者
第二回総選挙
監獄署内の天然痘
民法断行
柏村の法律研究会設立
向畑治三郎の近狀
帶勲車夫北賀市の近狀
帶勲車夫の像露國へ輸出
娘一人に婿十人
接木の流行
湯札の下落
第二次伊藤内閣成立
原敬氏通商局長となる
西鄕伯の出迎
西鄕伯五所川原へ向ふ
弘前市の自由派演説会
弘前市の西鄕伯
自由派政談大演説会
西舘孤清氏死去
一市五郡鉄道委員会
高野に停車場設立の請願
奥羽線敷設決定
二十四日の貴族院
奥羽鉄道の確定(社説)
奥羽線の第一区
弘前停車場の位置
靑森新城間鉄道工事着手
鉄道開通に付弘前市の催し
鉄道開通と馬車
靑弘間鉄道開通式
靑弘間鉄道貨物取扱
弘前駅通の汽車見物人
靑森町会の決議執行停止
本多康一氏の着靑
津軽五郡連合自由派大会
自由党支部の設置
自由党靑森支部の解散
靑森縣自由党の結党式
靑森築港の決議
陸奥湾の発達
故成田鉄四郎氏の葬儀
八厘の御礼
高等小学生と独逸語
靑森町役場落成式
藁靴縣官
南部鮭
南部地方の養鶏
鰊の群來
深浦鰊函舘へ輸送
 
☆…明治二十六年
妖窟の增加
女房の交易
弘前市民と師範学校問題
南部地方で師範学校非移轉運動
郡益と師範学校
師範学校の落成式
靑湾学舎の速成科
鯵ケ沢暴民西郡会を騒がす
稀代の怪兒
華族の現員
一大発明
仙台人の團結北海道移住
朝鮮防穀令事件
大石公使引揚訓令
防穀事件の談判落着す
朝鮮防穀事件の落着
縣会議員半数選挙会
三戶郡小中野村の大火
郡司大尉の出発期日確定
郡司大尉の出発
郡司大尉の消息
惨憺なる絶島越年者
久六島の危急
銀貨の暴落と横浜貿易商の恐慌
政府金貨本位説に決す
烏賊釣敎師の來靑
鯖釣りの新法
四十貫の大亀
浦町、野内両停車場の開業期日
女子非政談演説会
日本赤十字社靑森縣社員集会
本縣市町村人口
植民地選定
タービン氏新発明の大砲
西洋林檎
弘前林檎の販路拡張
林檎栽培の流行
津軽林檎名称一定会
靑弘間の客馬車
八戶中学分校の開校式
電氣燈布設の出願
銀行利子引下げ
軍港請願
関東自由党の大会
各派の領袖一堂に集る
森林台帳調製
医界の新発明
機関車に注意
 
☆…明治二十七年
弘前中学校落成
陸奥禁酒会稲垣部会
改進派の候補者
総選挙結果予報
何も利かぬ関の湯のいわれ
非藩閥記者の会合
靑森商業会議所組織成る
八戶商業組合組織
巡査減給の実行
減給査公の独語
恐山の鳴動
靑森小樽間の定期航路開始
立憲革新党の組織
津軽鹿兒島両藩溫故会
密猟船の跳梁
藍綬褒章及銀杯下賜
オシラ様
取引所免許と役員認可
朝鮮へ出兵
西伯利亞鉄道に就て
南島探檢
靑森港の多望と準備
対露貿易期成同盟会組織
東北各地の会社及び工場数
鬪牛
靑森町に於ける縣立学校
危機切迫
威海衞の全勝
李鴻章全権使節となる
大鳥氏の李鴻章談
日清戰爭休戰
媾和條約
兇変と外國新聞
平和條約成る
日清媾和條約
遼東半島の返還
三百四十二日
日清條約調印済
大相撲
日英條約改正成る
監獄署員の注意を望む
 
☆…明治二十八年
海底電線測量詳報
壯士芝居
伏見宮殿下に珍魚を奉呈
日清事件基督敎演説会
市制実施に関する靑森町会
市制実施の諮問
軍用パンと米食の利害
珍田領事の仁川着
珍田総領事
鉄道開通後の浪岡
津軽鉄道敷設免許
弘前碇ケ関間停車場增設
南部鉄道計畫
鉄道会議で大湊鉄道許可
上磯鉄道敷設計畫
津軽海峽鉄道計畫
金庫を自由に開く
三本木開墾株式会社と事業拡張
東奥義塾沿革史
東奥義塾認可尋常中学校となる
李鴻章遭難の詳報
兇漢小山豊太郎
藝者会議
女子演説会
藝妓仲間と料理屋仲間
降雪一夜五尺に達す
農神祭の勧誘
対露貿易に関する法律案提出
露國商業視察員來靑
函舘移住者
小通貨の乏しきに苦しむ
迷兒の敎育費の請求
在京津軽人運動会
満俺と漁業の衝突
新聞社の厄年
裸体美人画法律問題となる
靑森に馬車開業
怪しき火の玉飛ぶ
相馬町の組織
子供の芝居
左官の繁昌
東北会の解散
縣下の政界活動し始めんとす
 
☆…明治二十九年
水力使用計畫に就て
郡司大尉の千島談
婦人看護学会の発会式
写眞術上の発明
進歩党結党式
廣告
旧役員捕縛と現取引所
村谷有秀氏の拘引
虚無僧解散
藩史編纂
弘前師團設置に就て
製鉄所位置確定
旅順港露國の有となる
巡査の町村配置に就て
田名部の大火
速記法創始者年金を下賜せらる
種馬牧場位置決定
大津浪三沢を襲ふ
津浪の歷史
大雨と水害
弘前の出水と市中混雜
九日の皆旣日食
新海底潜行船
進歩党遊説員楠本氏招待
本縣知事更迭発表
牧知事に不信任決議
臨時縣会三度不信任決議
知事官舍警戒
郡長の大更迭
課長の更迭
縣会議員選挙期日
本縣知事の更迭
北極探檢成功
日本銀行の金利引上げ
マニラ島蜂起
北海道の小学校読本
新内閣
入浴料値上げ
浦塩斯徳商港工事
葉煙草專賣法実施の準備
濠洲航路開始
諸新聞の施政方針評論
大湊と鎮守府、靑森と貿易港
露、清満洲鉄道條約
大鰐村の新事業
統計局設置準備
日貸銭に就て
 
☆…明治三十年
札幌中学校洋裝事件
郵便切手貼用の注意
靑森電燈会社の試点燈
弘前電燈会社設置認可
減刑の恩典に逢うて目を廻す
金貨本位説の勃興
金貨本位名古屋甚句
厘位切捨論興る
狸へ書簡
靑森貿易港請願両院を通過
足尾銅山鉱毒事件
菊池氏山形縣知事に
菊池九郎氏辞職
京都大学開学近し
金子堅太郎氏本縣產業談
津軽と南部
馬產地としての南部
聯合組合を設けよ
師範、中学両校のベースボール
宮城縣の子守学校
靑室間二回航海と補助
 
☆…明治三十一年
上北郡役所野辺地移轉建議案
小学校生徒の同盟休校
鉄道機関方の同盟罷工
元帥府創設
賜元帥号
靑森市制実施祝賀会
電燈より爭論となる
本縣農工銀行創業総会
津軽銀行創業総会
預金額一銭也
縣立農学校の位置
警官の英語練習
郵便貯金の電報引出
書留郵便保証に就て
郵便電信局女子雇員の採用
憲政党結党式
 
☆…明治三十二年
商人よ居眠するな
東北大学設置されん
東北大学を靑森に設置せよ
東北大学設置に内定す
女子大学設立運動
師範学校の落成
出火と美以敎会敎師一家の惨禍
北海道大学設置の建議
馬車と腕車の競走
末松男爵逃げる
非增租派懇親会
東北地方增租の影響
星亨の一行來る
星亨黑石に入る
勝海舟翁の逝去
他山遺稿の出版
弘前電燈会社の創業総会
坐したまま東京と大阪と語る
耕地整理の必要
自家用酒製造者の注意
長慶天皇の御陵に就て
長慶天皇御陵墓参考地の写眞
天理敎迷信者孫を殺す
共進会と靑森市の計畫
平舘燈台の点火
林檎試驗の結果
碇ケ関大舘間の開通期
福島米沢間鉄道開通
碇ケ関以南の鉄道開通
体育の必要
宗敎法私見
奥羽六縣北海道敎育大会
敎育大会後報
清國人の学校設立
世界各國兵士の敎育程度
靑森縣育英会発足
靑森縣学生舍の成立
小学校と女敎師
敎育界の根本的革新(社説)
半日学校の施設
弘前の三等貸座敷設置の計畫
所得税調査委員選挙人の選挙
竜飛水難救済所
國際平和会議の前途
新設高等学校の位置
增設高等学校位置靑森とすべし
畑井新喜司氏の海外留学
弘前の新築家屋
移住思想の退却
ピストル强盗
逮捕せらる
本縣の株式会社
女子の独演説
通訳者の傭聘
地方自治機関の中止
鉄筆家味岡氏
特別港の開港
何の顏色かある
新條約の全部実施
東北と新聞紙
北辰日報の発刊
東北出身記者懇談
東北地方の金融
アイヌに死刑なし
日本最初の英人巡査
著作権の注意
外人の日本旅舘評
選挙干渉事実の調査
議員瀆職案提出さる
不法なる選挙
水產試驗場設置の計畫
本縣水產試驗場の開場
弘前市些か活氣づく
女の月給取
赤十字社員数
玉成高等小学校の落成式
牛潟の赤痢惨狀
ペスト血清療法の発見
赤痢のため休校続出
赤痢予防注射効挙る
車力村赤痢の惨狀
津軽蕎麦の販𧶠
農事試驗場の現况
最初の縣農会組織
小作地買收、小農保護
浮浪取締令
弘前高女と靑森中学
官設往復切符の変更に應ずる
工藤、菊池、陸三氏の人物評
出世兒の届出について
 
☆…明治三十三年
禁酒除外願ひ
幼年者の喫煙禁止
警察監獄学校の現狀
官設鉄道各駅員の弊害
惡漢自分の公判を傍聽す
東奥義塾維持法協議会
記念公会堂建設に決す
白米一升十一銭六厘
渡辺佐助氏逝く
蓄音機の流行
義和團徒の暴動
列國の交渉
立憲政友会発会式
修養社寄宿舎
靑森縣猟友会
 
☆…明治三十四年
津軽產業会の総会
靑森商業会議所の発動
電話私設願
東亞同文会弘前支部役員会
露、清密約の大要
國民同盟会の運動
國民同盟会の決議
対露意見書
東郡の寒天製造業
救世軍の來靑
福沢先生逝く
追手風(元綾浪)死去
蒲田廣氏逝去
故工藤他山先生記念碑
正岡子規氏逝く
名優の病死
尾崎紅葉氏逝く
西郡木造へ第四中学校
木造町の乱鬪
東奥義塾の認可
弘前大成校分校の設置可決
第一高等女学校の開校式
野辺地尋常小学校の沿革
第三高等女学校設置建議
町居分村の可決
町居村の独立
七戶村を町と改む
都市合併の必要
木造町の分合決す
相野、木造の大喧嘩
木造町分合の認可
府縣廃合問題と縣会
禿頭病予防に関する其筋の注意
ハゲ一束
又々禿頭病
陸軍予備將校の禿頭病
下風呂救難組合の設置
十三湖水戶口の被害(破船)
東海丸の沈沒
憲政本党支部臨時総会
進歩党北郡分所の組織
本党支部の組織
三代議士の復党
二十六歳の鹿
東京法官同盟辞職
各地方の法官動靜
中郡千年村再度の爭鬪
宵宮帰りの血煙
学生の自首
浪岡の秣山訴訟事件
强盗三人を殺傷す
社会民主党組織
社会平民党禁止
社会主義演説会
社会問題講究会設置
奈須川代議士の遭難
喫煙政治家列傳
禁酒違反者は廣告す
スマート嬢の演説
廃娼演説会
全國の自由廃業
佐藤忠雄氏独逸着
少年画家上京
菊池郡藏氏の欧洲遊学
海外留学生
陸実氏の欧米漫遊
靑森より長崎まで二晝夜半
姥鮫の捕獲
巾着網の試用
湾内揚繰網
北寄と鰻の移殖
東北の水產
章魚穴
十和田湖種魚の移殖
巡錫
新岡旭宇翁
内村鑑三氏の來靑
桂子大命を拜す
新内閣の成立
外來人の多い三本木村
恐山の道路開墾
岩木山の新開道路
本縣石油業の着手
吉野田の石油鉱
甚吉森の銅鉱発見
海底の銅
八甲山硫黄採掘
八千円の鉱山
無煙石炭発見
川内村の満俺鉱
大畑村通信藥研溫泉
星亨氏暗殺さる
星氏暗殺後報
伊庭の裁判言渡
本縣人の色漆発明
日本海防禦成らんとす
露國撤兵を肯せず
初めての自轉車靑森署に
自轉車にて東京より帰る
自轉車は好まず
東京諸新聞の購入数
竜飛岬の海軍望楼開始
鳥居岬の船舶碇繋場
八戶の大瓦斯燈
辨天島に燈台新設
田中正造氏に直奏
田中氏直奏後報
 
☆…明治三十五年
雪中行軍隊の大椿事
凍難記念銅像と石碑
日英條約文
本邦農地の経済統計表
蛇草、源法の由來記
本縣人直訴
地方財政の膨脹
土中より古宝物
黄金の観音像発掘
弘前吳服商の恐怖
夫婦健在なり
弘前公園の管理替
弘前公園の植櫻
弘前公園地内の古物舘
三千六百円の切手
湊川口と鮫港湾
種馬補助金一千円
馬一頭八円十銭
種馬の到着
南郡育英会創立計畫
靑森育英会組織
林檎酒製造の目論見
苤果組合設立協議会
林檎酒の研究
林檎苗海を渡る
林檎移出高
碇ケ関公園設立
弘前貯穀金支出難
米穀の大輸入
凶作の余波
蕨の根を掘る
西郡の米作
三戶郡米作景况
凶作と学校の影響
東北地方免租
四和村凶作の惨狀
緊急勅令
外國米の入荷
列車は煖くなります
野辺地狩場沢防雪工事落成
宇田郵便電信受取所
靑森市水道設備
水力電氣事業中止
 
☆…明治三十六年
くびさがり病靑森縣風土病
岩木水源説に就て
大林区署の試驗田圃
靑森鉄道郵便局
新輸入の遊戯『ピンポン』
靑森秋田師範野球、庭球戰
僧侶の葬挙
肥料購入の注意
津軽唐塗の元祖
藁細工指導に宮城縣へ
五重の塔の傾斜
津軽海峽の通過船
弘前の侫武多
万國博覽会出品
津軽物產品評会
津軽物產品評会受賞者
卷煙草射的場
タバコ官営反対
変移した思想
学校をお使ひ下さい
市長さん六人
弘前の雪景
催眠術の弊害
合併後の大林区署
空券犯人自首
山田川浚渫と運動
 
☆…明治三十七年
近衞公薨去
工藤代議士の逝
市川左團次逝く
故新渡戶傳翁祭典
國学者に贈位
秘密会議を開く
露國新聞の主張
我が最後の警告
時局と弘前市
外交顚末交渉
日露の宣戰布告
バルチック艦隊
常陸丸と佐渡丸
波羅的艦隊
露艦津軽海峽を通過す
露艦動靜
露艦大間沖に見ゆ
我商船を囲む
奉天占領公報
弘前市に俘虜收容
日本公債大景氣
露國の空想決議
対馬附近の砲声
露艦対馬附近出沒
敵艦隊潰滅
大海戰詳報
敵艦見ゆ
沖の島附近海戰
媾和勧告を受諾
露全権委員ネリコフ氏
媾和問題協議
露紙の主張
両全権第一回会見
第二回会見
日露の休戰
媾和成立と其條件
休戰條約調印
國民大会
國民憤慨の余波
民衆憤慨の余波
威圧と緘口
六博士の上奏
小村全権辞職せん
媾和條約発表
泣いて闕下に謝し奉る
旅順降將の処刑
林檎樹の毒虫
三浦重吉氏の正條植
日本鉄道の新経営
松島日光行遊覽團体募集
奥羽官線全通
奥羽線開通式
官私線の拡張工事
野内停車場の拡張
北日本鉄道の計畫
弘前、三厩間鉄道計畫
日光、成田山回遊列車
東北鉄道の將來
南満洲鉄道勅令
靑森駅竣工す
下関、靑森直通列車
東北横断鉄道敷設
常陸山に梅ケ谷
アイヌの浪花節
東北凶作の惨狀
百万の窮民三縣に溢る
凶作地農業資金
凶作地の破產者
台湾米其他の大輸入へ
蕨根を採らして下さい
本縣稻作の惨狀
中村座の活動写眞
税務官吏と其保証
官吏の旅費
山根大林区署長拘引
郵便労働者の優遇
靑森郵便局婦人採用
人夫、職工サン賴みます
戰後の失職者
北海道漁場行人夫
巡査增俸の困難
お巡さんニコニコ
十和田たより
阿闍羅山の起因
炎熱と夜店
岩木山麓、嶽溫泉
山門、晝なほ靜か
弘前市と興行
弘前、馬市で賑ふ
紅葉の名所―、中野山
座頭石と小倉
平民新聞を評す
平民新聞の朝憲紊乱犯
社会主義協会解散を命ぜらる
日本社会党発足
東京の男女学生間に舞踏流行
津軽ベンの虚栄
岩木川の水と金不屋の金
弘前の三大吳服店
煙草專賣法案
新種の卷煙草発賣
安くなる刻煙草
咲乱れる花の如し
靑森煙草販賣所
煙草を賣つた罰金十円也
三戶煙草
新製卷煙草
飼鳥の流行
中郡村落と養雞組合
作家と役者と政治家
縣俳壇消息
金二百十円の懸賞小説
下北郡佐井鉱山
中郡西目屋の金鉱
南郡の鉱毒被害
裸体絵葉書取締り
風俗壞乱の出版物
弘前の佛敎界
增上寺大僧正大鰐着
ペルリ提督へ感謝
岩木山の社標重量二千二百余貫
岩木山神社まで(大和田建樹)
水の涸渇と富田清水
廣告の効能
りんご浦塩斯徳へ
弘前の澱粉事業
蔓細工輸出のため渡米
あけび蔓細工組合設立
白耳義博覽会より金牌受賞
高島屋葡萄の名誉
エビス麦酒の名誉
山間の密造酒
林檎酒の研究家
北海道移住奬励
樺太行繁昌す
本縣敎育会機関雜誌
久保田文相來靑
義務敎育六カ年に決定す
本邦敎育界の名誉
新文相敎育方針
学生の師父は時宗とル大統領
師範学校の満洲視察
義務敎育の現狀
小学校の二部敎授
学童修学期繰上
露都の騒擾
モスコー大学閉鎖
 
☆…明治三十八年
馬鈴薯輸出
產業組合大会
產業組合の発達
同盟國の日本観
外資輸入に関する訓示
彼我耐寒比較
露兵曰く、弘前は寒いデス
本多氏の世界一周
本多庸一氏
本多庸一氏の講話
鯵ケ沢の初鰊
西海岸の新漁業
下北の鮪漁
耳垢掃除技術者
野内石油タンク工事監督
油槽船の入港
靑弘間電話新設
鉄道船舶郵便課の設置
靑森―函舘海底電話開通近し
西目屋の養蚕模節所
弘前に於ける養蚕衰微
遊覽者の罪惡、名区椿山の荒蓼
大鰐川原通に植櫻
観梅余滴
妙見の櫻花
弘前衞生便利舍
露都の同盟罷工
露國革命の影響
革命的絶叫
露國の大改革
露國貴族の上奏
革命時機未熟
叛艦の脅迫
浦塩市街戰
露國革命派再挙
藩祖三百年祭の準備
藩祖三百年祭
三百年祭と獅子踊
戰爭と地方経済
戰後経営研究会
諾威、瑞典分離
英土問題
欧洲の風雲
西郡の畜產有望
津軽地方と產馬組合
野辺地へ記念競馬場
種牛牧場の確定
種馬交尾料問題
種豚購入の奬励
市町村制の改正
郡廃合案の提出
地方自治の発達は敎育にあり
長尾氏百科全書寄贈
弘前図書舘開舘期
弘前図書舘設置認可
弘前図書舘開舘式
日英同盟裁可
日米互惠條約
日本加奈陀通商條約
苤果好評、苗木の注文殺到す
りんごへ画像
三戶郡の林檎園
林檎の浦塩輸送
寒氣と林檎の被害
有望なるまるめろの罐詰
弘前博物学会設立
靑森博物学会第一回研究発表会
玩弄紙幣に御注意
鉄道統一案
 
☆…明治三十九年
馬政局官制可決
馬政局官制長官に藤波主馬頭
白炭一俵二十銭
鉄國案は困ると市町村
最終の衆議院鉄國案の修正可決
十七私鉄買收決定
靑森特別輸出港
靑森開港す
靑森港に税関出張所新設
靑森開港、開帀について(社説)
靑森港輸入品拡張
靑森開港開帀二百八十年祝典錄
税関支署敷地
田子の浦丸の火炎
靑森、大湊毎日航海開始
伊國ヴエ山噴火す
溶崩した十三の村落
奥羽五縣共進会開かる
本縣賣店の種類
五縣聯合共進会特報
直訴者捕はる
最大急行列車
浦港の輸入額
浦塩函舘定期航海
生きたくない人々
樺太か唐太か
八戶実業協会発足す
八戶公園
旧弘前城交付
浜町に露店
養生幼稚園開園
東北孤兒院
英國東洋艦隊
知事上磯万面巡視
法、工科学生の志望
平田男の巡遊
村民籾倉を襲ふ
市民大会の余波、警官拔劍す
畑井敎授帰省
政友会東北大会
英國旗の賣行き
英國艦隊仮泊
 
☆…明治四十年
新聞電報取扱開始
近く新聞紙法施行
新聞紙保証金
靑森函舘長距離電話
靑森市内電話拡張と市外電話
弘前市の電話新設
電話心得帳
八戶電話開通
村上三一君に謝す(廣告)
平民新聞近く発行
社会主義取締
弘前市民北海道漁場行
渡航者減る
ビフテキ一皿十五銭
鉄道廳の苦悶
往復キップを買ふ勿れ
鉄道院新設
東北の酒と煙草
禁酒案修正
サケ、タバコ未成年取締法
師範校義務年限
東北帝國大学設置許可さる
秋田鉱專校開校は明後年
縣率学校改称
学士サマ生る
全國の戶数槪数
本縣の戶数及人口
本縣農業者と農耕地
農相と耕地整理
お米をこれだけ食べる
靑森林檎の將來
新学士の月給調べ
博士は五百三十六人
本縣初めての医学博士今裕氏
学校生徒の袴
女敎員可否論
兒童、生徒の身体比べ
全國、本縣身体檢査成績比較
六年間は義務、敎育年限延長
敎科書図書問題
弘前女学生の登山
癩療養所設置
癩療養所は新城村
北部保養院
本人より志願
日露漁業本條約
港湾修築問題
函舘、靑森連絡問題
靑函連絡船の成績
 
☆…明治四十一年
警察官制服改正
駐在巡査召集
警察犯処罰令発布
靜岡の婦人雪に驚く
菊池氏引退
陸奥丸の沈沒
陸奥湾の惨劇
諷刺画と國交
夫殺し予審終結
最後の公判廷
対露貿易の曙
川上眉山自殺
國木田独歩氏逝く
鳥谷部春汀氏逝去
紙卷煙草の賣行
水道一部貫通
珍田大使の赴任期
新渡戶博士講話会
弘前電燈会社水力電氣工事落成
靑電の拡張方法
弘前公園光栄
清帝、西太后崩御
清帝崩御後報
韓太子を迎ふ
 
☆…明治四十二年
嚴寒の富士山頂より傳書鳩
本縣感化院計畫東郡新城へ
東北育兒院現况
苛酷なる靑森監獄
弘前商人三越の出張を拒む
改良子守唄
伊藤公遭難詳報
將校よりも下士卒に增俸急要
縣下第一の美人を募集す
髪は田舎に限る
馬匹改良成績よし
駿馬は削蹄から
馬の去勢法実施
種牛、種豚買入
本縣の種牡馬三百四十頭
純日本種犬減少
銅像起工式
銅像竣工式は旧正
『巖頭の感』碑計畫
靑森座の活動写眞
奥州は奥樣型なり
信政公と森林
全國の工場数
銅像界の異彩津軽藩祖の甲冑姿
 
☆…明治四十三年
中流農民の減少
農銀と小農
困難な農政改善
薯界に恐慌起らん
医大は仙台へ
弘前中学東奥義塾
女子師範認可
札幌大学独立運動
八戶へ実科高女校
師範二部生問題
靑森、樺太開航計畫
靑森、浦塩間增航認可
靑森港と大湊港の將來(社説)
靑森港の盛衰
靑森市大火
無政府主義者起訴
社会革命陰謀
大逆事件判決
津軽伯邸賣却
高等官の義務、馬一頭飼養の事
鉄道沿線民家の屋根を不燃性に
石川駅新設近し
黑石線明日開通
汽車賃、安くなる
地方税制整理問題
建物建築税廃止
南極探檢期日
新発見地命名
南極探檢で白瀨中尉は第四位
独逸は世界一の飲酒國
警察医の設置
日韓合併公表
郡守の自殺
三本木の町制を祝す
三戶郡鮫村に捕鯨所設置許可
東北振興策協議
乳井式織機の発明
木村靜幽氏弘前市に寄附
信政公と殖產業
南部半島の開発
社会主義者と自然主義
朝から夜中まで田舍敎員の一日
小学校へ簿記科
敎育界に官僚風
図書舘は庶民の敎育の中心
学齢兒童減少
敎育革命の先駆菊池男入府事情
久渡寺の幽靈
五所川原に千里眼現はる
林檎の販路とその價格維持
本縣苤果受賞す
熊の出沒に就て
ダク酒通るべからず
本縣の積雪観測所
岩沐川改修期成同盟会
 
☆…明治四十四年
府縣廃合論
もの言ふ年賀葉書
納豆礼讃、寒國人に必要なり
徳冨麗花氏の舌禍
靑中のストライキ事件
津軽海峽燈台と渡鳥
南北朝正𨳝論問題
正𨳝問調通牒
喜田博士休職
円光大師法会
宗敎会議
東京の大火
男アネコの藝者
森鷗外氏等文藝会委員に任命
本縣文壇一年の回顧
洋画家出でよ
日英同盟改訂
買占團と米價
米の実情調査
物價の騰貴、米は三倍余
朝鮮、台湾米代用
お米と人口の見通し
米價大暴騰す
革命軍と列國
革命軍の計畫
叛軍中央政府
孫逸仙上海着
清帝退位上諭
袁世凱当選
鮫村漁民暴動
暴動と控訴院
小村侯薨去
嗚呼本多先生(社説)
榊喜洋芽翁の訃
逝ける縣下の人豪
 
☆…明治四十五年 大正元年
米國婦人参政権とズボン
女子の新職業、電話交換手
本縣の古木調査
スキー事始め
本社の土俵開き
本縣政党小史
その頃の東奥日報(山鹿元次郎)
縣内成金くらべ
西海岸の満俺
靑森縣の溫泉数
三等郵便局創始
天皇陛下御重態
岩木山頂上の祈禱
聖上陛下崩御
新年号の由來
乃木大將の殉死
 
☆…大正二年
精神的な退歩をおそる(社説)
東北と第二維新
文官淘汰の影響
桂公新政党組織
民党の内部混乱
憲政擁護團來遊
木党氏來る
咢堂氏の獅子吼
二十五年勤続の代議士は七名
大隈内閣親任式
同志会縣支部発会式
内閣総辞職の原因
陸奥史談会組織
島川西郡史編纂員
田名部常念寺に中將姫の曼陀羅
櫛引八幡宮の甲冑國宝と決定
革命の志士、山田良政氏の建碑
孫逸仙氏の日本観
國号を支那と決定
孫文氏亡命
戴天仇氏亡命
支那第三革命
日支條約調印
東奥義塾廃校
木造分校廃校
五所川原農学校開校式
師範入学生減少
初めて婦人の東北大学入学
独逸の旅舘大学
星の数はいくつあるか
太平洋四百年祭
大鰐溫泉はラジウム含有
八甲田山の新植物
通訳つきの珍らしい裁判
靑森大林区拡張
名木の保存調査
帝室林野局靑森支廳廃止
目屋小林区署廃止
数十年來の大景氣
本縣競馬の初め
大正博本縣馬匹入賞
金木競馬場開設
津軽の林檎コ、南部の馬コ
五戶、七戶の名馬
縣立病院開院
伊東重氏会長落選で医師会騒ぐ
チフス縣下に流行
森鷗外博士弘前に赴く
佛國派遣の看護婦
蒼前上水竣工
盛岡記念祭と汽車割引
大植林を要望す
世界第一の十和田の絶景
黑石の今昔とその沿革
弘前市の沿革、地勢と政廳変遷
五戶町制施行
地方官更迭は頻繁にするな
統一した苤果の販賣法
林檎試驗園設置
浦塩へ輸出するリンゴ
萎靡せる本縣名產マルメロ罐詰
靑森と下北郡の移出入
下北半島の名所地
弘前少壯実業家一行
先覚者羯南を偲ぶ
長尾介一郎翁逝く
市田前代議士逝去
故佐々木翁の葬儀
笹森儀助氏逝去
弘前大正報創刊
凶作と救済策
弘前美以敎会活動
東北凶作と農家
靑年行商団の出発
日本聖公会の佳行
 
☆…大正三年
食糧不足に馬肉
書食差しあげます
北海道へ行かう
農繁期の託兒所を設けよ
シーメンス事件
外相色を失ふ
シ事件研究
入場者二万國民大会決議
英紙示威運動称讃
貴族院の海軍彈劾
シ事件予審決定
弘前慈善舘新築
弘前物產舘開舘式
世界大戰の発端
墺國、セルビヤへ宣戰布告す
露、独両國交戰
我が國の態度
独、佛両郡接戰
露、独宣戰布告
吹きすさぶ欧洲の戰乱
白耳義中立を標榜
オランダも中立
英、独遂に開戰
英、独國交断絶
伊太利の動員
欧洲戰乱と輸入品
英軍佛國へ上陸
独逸社会党の叛乱
土國の排英熱
日、独國交断絶
独逸機巴里を襲ふ
土耳古動員す
佛國政府移轉
桑博へ木通蔓細工出品
有望な木通蔓細工
マルタ河の追撃
英軍上陸地点
日露友情論
靑島陷落す
東京駅開通す、新橋駅も開通
 
☆…大正四年
優秀なる操縱術
靑森縣の神職・僧侶四四一人
八戶漁港期成会市制実施懇談
靑森築港起工式
大正天皇陛下行幸
黑石公園の光栄
 
☆…大正五年
俵米品評会と入札
農村更正の道
自作農家は三二%
農業倉庫と地方
馬鈴薯の藤崎村
本縣最初の農業倉庫
暴騰する諸物價
肥料も昴騰
電燈需用者ふえる
三井物產儲け支度
弘前市の物價高
新物店に変つた古着店
靑森、秋田対抗犬喧嘩
有望な津軽相撲
前場所六勝一敗新入幕大ノ里
靑森の新興成金
卷煙草大拂底
酒類に表はれた世間の景氣
奥羽横断新線横手黑沢尻間建設
八戶、久慈鉄道計畫
陸奥鉄道会社漸く成立
大湊鉄道工事着手
海底鉄道計畫
ヴエルダン戰
米國対独宣戰布告
露國媾和申込み説
独軍精鋭を西部戰線へ
露國媾和継続
米國軍艦出動
独機倫敦空襲
独機巴里を襲ふ
シベリヤ出兵問題
独軍大敗
米國兵五十万
日本、浦塩へ出兵
休戰申込
独逸條件受諾す
休戰調印
媾和大使顏觸
匿れたる酒の恩人箱石東馬氏
小田百江翁逝く
夏目漱石逝去
大山巖公薨去
岩淵惟一翁逝く
葛西音彌氏死去
寺井純司翁逝く
彫刻家ロダン
菊池楯衞翁逝く
平山助六翁逝く
安田才助翁逝く
山田良政氏埋葬式
独逸研究講演会
朝日記者講演
露國輸入を禁止す
林檎病虫害駆除研究
本縣林檎の打撃、露國輸入禁止
印度詩聖入京
お礼博士來る
袁の死去
支那革命志士戴天仇氏
支那革命談
安部城鉱山の盛衰
地方費激增、農村疲弊の因
高くなった税金
東北野球大会
溫泉熱利用の飴
弘前の飛白織傳習
伊國人の罐詰製造
弘前で養蚕熱
旅行く蜜蜂
日露の親善
日米協約成る
カチユーシヤ劇
活動写眞兒童デー
十和田湖は優等に当選
十和田湖への一路黑石道の景勝
防貧制度訓令
土方の監獄部屋
社会政策調査
戰後労働問題
労働失業問題
女敎員の研究発表
敎員と新聞雜誌
内閣総辞職
大命降下寺内伯に
新内閣成る
新党結党
議会解散
議会解散は九回目
政府責任自覚
副知事新設案
汽車衝突の大椿事
弘前で五百戶燒失
靑岩橋陷落流失す
裸島で投身自殺
竜飛は東郡のモノ
漸く明治時代靑森市議職業年齢
貸座敷業市会議員排撃
 
☆…大正六年
東北地方は早婚
津軽義会設立
全國に比類なき津軽藩の和算
陸奥の友発行趣旨(秋田雨雀)
露國の革命戰
露國の革命遠因
露首相捕縛説
露國休戰
露國政変影響
過激派の内閣
過激派と媾和
平和の声
独立政府
露將官の日本亡命
反レーニン熱
反過激派極東大会
過激派の手に
露國両派激戰
西伯利亞独立政府
労働階級政治
赤軍編成命令
西伯利亞國会
露過激派声明
露人は米國へ
露都革命
露國の反革命
労農政府布告
五所川原にチフス蔓延
二木博士発疹チフス病原発見
今裕博士発疹チフス調査に來縣
都市研究家の見たる弘前市
毎戶國旗を飾った弘前観櫻会
小麦粉の輸出
露國紙幣賣出し
高山植物採取禁止
恐山風土記、地獄と極樂
 
☆…大正七年
伯林に暴徒横行
独逸國民パンと平和を要求
荒れ狂ふ過激派
守備兵叛乱
独逸平穏近し
独逸民主政府宣言
独帝抑留
独皇太子銃殺さる
高等学校誘致縣民大会
增加する高校志望者
高校、專門校新設総計四一校
岩木川治水事業
岩木川治水工事
米騒動各地に起る
米の一揆、各縣で米商襲はる
数万の群衆、米屋と富豪を襲ふ
米騒動の対策
貯藏米强制買收
暴徒、放火乱入、食糧騒動拡大
米騒動記事厳禁
弘前市長の諭告
各地暴動沈靜
 
☆…大正八年
高校問題意志疏通会
高等学校は弘前市に決定
義塾再興問題有望に展開
弘前高等学校開校式
すずめ罐詰製造
本縣唯一の陶磁器業者
目尾鉄道期成運動
五能鉄道可決
大湊鉄道開通式
十和田鉄道認可
國際聯盟結成さる
デモクラシーとは何か
『危險思想はいけない』
トルストイ、マルクスがお好き
独逸の轍を踏まぬやう
普通選挙示威運動大会
群衆殺到
議員を擁して
靑森市の普選促進同盟
在京靑森出身藝術家懇親会
野沢如洋画伯外遊
評判の大映画イントレランス
靑森市の文藝講演会
靑森美術協会展覽会
大町桂月氏と十和田湖
津軽英麿伯突如薨去
板垣伯薨去
山田良政氏建碑式
逝ける一戶博士(鳥谷部陽太郎)
花田節氏逝去
縣下の電氣事業
八戶水電、馬淵川電燈合併近し
三戶郡、政友会に入党者多し
靑森市で政友会東北大会
弘前愛鶯大会
縣廳でタイプ、毛筆、万年筆競技
競馬場を建設しよう
深浦町制運動活發
『村』から『町』へ金不改称
板柳町の今昔
賣行よき平和記念切手
節米奬励
盗伐、荒廃、屏風山
浦塩視察歓迎
靑森港空前の貿易盛况
両会社へ航海命令
メシが不味いと師範生同盟帰省
弘中生盟休原因『歌劇をみるな』
弘中盟休円満解決
國際労働会議開く
労働組合法案
我が國最初のメーデー
社会主義東洋総同盟
宙に迷ふ労働組合
名古屋市で最初の敎員組合結成
川崎造船労働者工場管理断行か
南郡浪岡労働組合成る
一飯十銭の牛飯弘前市役所食堂
大原社会問題研究所新設
公設理髪店開店
鮫漁港起工式
『黎明』創刊号を読みて
目下進行中の本縣三大事業
 
☆…大正九年
りんご園は一町歩外崎翁の意見
りんご同業組合
林檎一箱品評会
浪岡町で農業会倉庫設立
千賀ノ浦関を悼む
綾川関の引退相撲
弘前市の金融界逼迫
大阪諸工場休業失業者五千余名
大正鉱山休山
本多博士の製鋼研考
東洋一の天文台東京府神代村に
十和田湖を世界的公園に
浅虫裸島投身者供養
徴兵忌避靑年自殺
白蓮女史姿を晦す
津軽藩の洋学は五十年前から
靑森縣史編纂着手
百万年前津軽一帶は海
九ケ年間の縣政
靑森縣の縣勢
弘前長安倶樂部竣工
安田氏百万円寄附帝大講堂新設
米國で排日土地法案通過
日本は地図から消える
 
☆…大正十年
あんまり早くない自動橇
日本で最初の大飛行
航空界の新記錄
靑森縣の自動車は三十六台
東洋一の無電開通
大本敎に鉄槌下る
大本敎神殿撤去
軍備制限会議
華府会議特使
日本、戰艦比率に同意す
四國協定全文
安田善次郎翁刺殺さる
原敬首相暗殺さる
原内閣総辞職
後継首班高橋是清子
牛の放牧地
 
☆…大正十一年
大隈老侯薨去
津軽產業の恩人野本道玄顯彰案
和井内貞行氏逝去
森鷗外博士逝去
津幡文長氏死去
一ノ矢藤太郎死去
津島源右衞門氏逝去
淡谷清藏氏逝く
島田三郎翁逝く
佐藤彌六氏訃
松方老公薨去
郡司大尉逝く
靑森縣史資料を蒐集
十三史談会創立さる
陸奥史談会復興
弘前で地方出版物展覽会
南郡内の図書舘は七舘
軍縮同志会の大講演
労働者一万人普選の示威運動
普選上程当日の衆議院
普選の大示威運動
普選案否決さる
普選案葬らる
笹森順造氏の帰朝期
東奥義塾開校式の笹森塾長式辞
謎のハガキ、貴下の幸福の爲に
悍馬は酒を好む
石原博士と原阿佐緒女史
学生は研究す但し敎科書に非ず
片山潜氏赤化運動
片山潜氏消息
交換手さんは不美人歓迎
產兒制限のサ女史は危險人物
村には嫁に貰ふ娘がない
婦人の政談政論は自由
女の裁判書記さん
東北大学臨海実驗所浅虫へ決定
臨海実驗所開始
労働学校大阪に設置
労働者團結権建議
労働組合問題と鉄道從業員
労働統計調査、該当工場三十六
平和博馬匹受賞
全國高校馬術大会で弘高一等
前途有望なる上北郡の養蚕
南郡竹舘村林檎販購信組合
津軽米の販路拡張
人家に巢をつくる嶽溫泉の岩燕
佐井の猿と猿賀の鷺
浅所の平和鄕、碧海に遊ぶ白鳥
出入貨物、靑森港は前頭筆頭
靑森港の発展
十和田鉄道開通す
けふ開通の浪打駅
弘前停車場へ新道路開設
久八鉄道開通す
五所川原線開通
弘南鉄道期成会
北常盤駅開通式
南郡藤崎近く町制施行
大鰐町制施行
湊、小中野へ町制
外崎嘉七翁頌德碑除幕式
東京へ林檎紹介所
世界一のリンゴ剪定
相撲綾川とリンゴ酒
南郡石川町の模範剪定
林檎の功労者外崎嘉七翁葬儀
日蓮上人に賜号『立正大師』
孔子二千四百年祭
相対性原理の創始者ア博士來朝
野口博士の新発見
原子構造一大発見長岡博士発表
発疹チフスの病原体発見
社会主義者の入営
無產階級政党樹立
政治研究会弘前支部
 
☆…大正十二年
角は新舘落成式
藤田氏公会堂を弘前市へ寄附
縣下一の北郡鶴壽橋
八戶の北村益氏政界引退
新政倶樂部発会式
新政倶樂部の新運動
靑森縣選挙区制変更す
加藤首相薨去
山本内閣新任式
清浦内閣顏觸
政友会遂に分裂す
政友本党と決定
護憲派優勢なり
淸浦内閣は僅に五ケ月
知事公選は不可、政党化の弊害
靑森港に翻る浦塩政府の赤色旗
トロツキー氏十月革命記念演説
レーニン死去す
勤勉家だつたレーニン
フアシスト党羅馬に入る
鳴動する日華関係
動乱する中華民國
中國の自治、孫文氏語る
社会主義者大檢挙野坂猪俣氏ら
全國失業者大会
独逸マルク貨暴落
伯林のパン暴騰
有島武郎氏情死
相手は人妻で婦人記者
夏季文学講習会、弘前市で
縣下エス語大会
激震関東地方を襲ふ関東大震災
東京全市火の海と化す
東京の死傷数十万
東京市に戒厳令
横浜殆ど全滅
暗黑の東京市中に流言
靑森縣救済員東京へ出発
惨たり東京市
避難民の窮狀
世界各國の同情
外務省の黑星露國の好意を誤解
米人の好意
民心作興大詔渙発
八戶町大火千三百余戶を燒く
甘粕憲兵大尉大杉栄夫妻を扼殺
甘粕事件後報
甘粕事件判決
大杉の遺骨盗まる
大化会員の仕業か
遺骨なしの葬儀
攝政宮殿下に発砲犯人難波大助
山本内閣総辞職決行
 
☆…大正十三年
大相撲の夏場所は両國で
新大関大ノ里鄕里を訪問
五尺三寸の小柄でも大関は大関
帝國ホテル浪人闖入事件
社会的反省せよ(社説)
タバコは非生活必需品?
哀調、彌三郎節
西のベンザイ衆
歌ふな『俺は河原の枯すすき』
 
☆…大正十四年
小鳥愛護会
國立種鶏場は靑森に決定
阿闍羅スロープの雪煙り
縣スキー聯盟発足
日本初めてのスキー技術檢査
東京放送局の初放送
日本放送協会成立
普選通過祝賀デー
協成高等女学校設立
黑石実科高女開校式
全國師範学校で專攻科を新設
木造中学設置認可
柏木農学校開校
野辺地中学開校
米音樂家七名來靑
與謝野夫妻の講義北郡板柳町で
秋田、芥川、片岡氏らの講演
樺太靑森定期船千歳丸の初航海
紅鮭罐詰靑森からロンドンへ
上海で日貨排斥
蔣介石氏訪日
南京政府対露断交
ロカルノ條約調印
トロツキー氏追放さる
大町桂月翁逝く
本望どほり蔦溫泉の土に
日本新八景に十和田湖入選
高谷貞次郎氏死去
福島藤助氏逝く
菊池九郎翁逝く
木村元三郎氏逝く
武田邦雄氏死去
加藤首相薨去
宇野清左衞門翁の訃
伊東重翁洋行
伊東重翁逝去
尾上松之助死去
石橋万治氏訃
太田前市議自殺
那須川光宝翁逝く
工藤徹郎氏逝く
芳賀矢一博士逝く
芥川竜之介氏自殺
靑森縣は史字上の宝庫
西田源藏氏の靑森縣誌
靑森縣一古い西郡深浦村円覚寺
縣下最初の農民組合
労働農民党南郡支部
労働組合を作る郵便局集配人
鉄道從業員の労働組合取締方針
鉄道現業員に多い赤新聞の読者
自称建國会員労農党本部を襲ふ
知識階級の失業問題と救済方法
小作法案に対して地主側策動す
全國花火大会靑森湾で
津軽、南部の民謠と踊大会
えんぶりの話
綜合趣味展開催、靑森市で
ウエルカム靑い目をしたお人形
全國オートバイ競走
佐藤大使露西亞を語らず
ロシヤで『織田信長』劇好評
中條百合子さんロシヤに遊学
賞金附で酒は呑み放題
早朝、岩木川で洗礼
帝展監査に非難昴まる
モボ、モガは性病なみ扱ひ
出社に及ばず但し断髪伸びる迄
リンカーン氏の恋人
知事さまに古新聞の無心
人見絹枝嬢世界記錄を破る
人見嬢再び世界新記錄
早慶戰二十年目で復活
鳴海完造氏渡ソ送別会
煙草一齊値上げ、バツトは七銭
綿虫免疫の林檎樹
苤果試驗場に須佐北大助敎授
紅玉の無袋試驗三上喜太郎さん
東京市へ科学博物舘
ビタミンA問題理研が勝訴
汎太平洋会議開会
日本学術講演会仙台で開催
困難な駒込川毒水排除
 
☆…大正十五年 昭和元年
知事の造林諭告
健康保健署開設
上水道工事竣工北郡五所川原
靑森読書会
現代日本文学全集予約募集
本縣最初の成人敎育
明朗漁村東郡三厩村
日本一の理想鄕尻屋部落
水平社の暴挙事件
弘南鉄道発起人会
五能鉄道森田、鯵ケ沢開通
陸奥湊駅開業
陸奥鉄道買收決定
乗車券七十三万枚燒却
弘南鉄道開通す
日本にも地下鉄開通上野浅草間
南郡山形村東英小学校騒擾事件
弘前市大火四百七十余戶燒失
最後の郡市長会議
郡市合併東郡の一部を靑森市へ
不振な本縣の競馬界
世界的名馬七戶東北牧場へ到着
七戶町附近の貴重なアイヌ祭壇
亡び行くアイヌの民族解放運動
日本海靑年党聯盟
女子靑年團発会式
社会民主党結成
日本労農党結党式
聖上陛下崩御
昭和と称呼す、改元の内閣告示
 
☆…昭和二年
預金の引出し激增
台銀遂に休業す(号外)
近江銀行も休業
株式市場大混乱
西園寺公上京
日本銀行も休業
靑森組合銀行一齊休業
孤城落月のカネ辰鈴木商店
木造高谷銀行破產
出でよ健脚能文の中学生
文章駅傳予選合格者
縣下五銀行合同調印
 
☆…昭和三年
靑商卓球に優勝全國学生大学
オリンピック三段跳織田氏優勝
諾威スキー選手大鰐で講習会
スキー王シユナイダー氏來縣
七十二歳翁雪の岩木山登山
全國スケート大会八戶で
政友倶樂部発会式
明治二十三年以降縣選出代議士
代議士候補者政見発表演説会
本縣総選挙開票結果
八戶市の政治概况
これは珍しい『男女同権』
鼻下長倶樂部、細君懲罰法極秘
巴里は裸踊がお好き
発禁書に現れた世相
レビユーダンス取締り
ワイハ、ドンダベ方言集を作製
雪の征服第一、本社募集標語
苫米地義三氏の美挙
有権者に同姓同名四十二組
柏農校実習畑から中國古銭現る
万年床と農村
赤化防止にソ連商船を監視
漁夫の赤化防止に縣当局苦心
無產党石渡氏衆議院議員立候補
無產党当選者
共產党の陰謀暴露全國的大檢挙
かくて『治安維持法』通過す
各府縣に特高課新設
山本代議士刺殺さる
本縣の共產党員十名起訴
日本共產党事件記事解禁
福本イズムの本尊逮捕
九條武子夫人永眠
松木淳一氏逝く
大倉喜八郎翁逝く
野口英世博士逝く
葛西善藏氏逝く
小山内薫氏急死
珍田捨己伯薨去
後藤新平伯逝去
加藤宇兵衞翁逝く
田中義一氏薨去
木村靜幽翁逝く
竹内清明翁逝く
内村鑑三氏逝く
田山花袋氏逝く
生田春月氏自殺
小山勝次郎氏逝く
浅野総一郎氏逝く
津軽鉄道開通
津軽鉄道全通
五戶電鉄開通
清水トンネル貫通す
久慈線開通式
八戶地方民謠『白銀ころばし』
八戶のエンブリ堂々第一位
咽喉一つで世界民謠行脚
ベ夫人弘前の扇ネブタ激賞
素朴な歌詞『大鰐小唄』
小作爭議調停機関設置
車力の小作爭議惡化
逐年激增する本縣の小作爭議
弘前市、富田併合す
大湊に町制
三戶郡田子へ町制
八戶市制実施
柏木へ町制
本縣最初の公営產婆
ムスメ達はかりの公設消防組
弘前市の大火六百五十戶を燒く
本縣の火事被害は日本一
文藝消息
『細胞文藝』その他
津島修治氏情死未遂
卜翁の百年記念祭
淡谷のり子さん音樂校首席卒業
中野桂樹、三國慶一帝展に特選
八木隆一郎氏懸賞小説に当選
土方與志氏等新築地劇團組織
ポルトガルに日本文学紹介
三十六銭の林檎箱
安くなつた林檎袋
惱む林檎檢査問題
平井知事実行委員との会見避く
弘前は東洋の聖地
救世軍靑森小隊設置
本社主催文化象徴展覽会
四十年前の東奥日報の思出
弱小銀行合同を勧奨
八戶銀行遂に休業
全國馬匹博の本縣入賞者
東北牧場へ十七万円の名馬來る
 
☆…昭和四年
弘前高等学校長公金費消す
小川平吉前鉄相收賄で起訴さる
主任檢事は石鄕岡岩男氏
懇親会お断り縣廳から官紀振粛
三本木原野國営開墾決定
獸疫調査所七戶町に決定
靑森種鶏場開場式
一年間に三二五個の多產鶏
営林署增設靑森局管内に五ケ所
西、北両郡を結ぶ乾橋開通式
尻矢燈台無電設置
流血の五・三〇記念日
共產匪跳梁日本領事舘燒拂はる
英國に現れた女性の労働大臣
ナイズ女史投獄、反英運動深刻
不戰條約締結
軍縮会議調印終る
最善と信じて締結、財部海相談
世界に流れる浜口首相の放送
婦人不戰聯盟各國代表活動
田中内閣総辞職
浜口内閣成立
政友会新総裁犬養氏に決定
作家から政治家へ犬養健氏
民政党二七三名獲得
浜口首相狙撃さる
東京の巷に失業者溢れる
高級官吏恐怖す一割減俸説强し
閣議で減俸撤廃決議
帝大出法学士の巡査
紐育株式大暴落財界恐怖狀態
株式暴落連続す
下落する物價
俵さん(商相)の緊縮ぶり
お砂糖入氷水三杯十銭
國產愛用宣傳の一大提灯行列
靑森市内小学校の欠食兒童
日本製靴下英下院を騒がす
鉄道も不景氣、減つた秋餅廻し
五大都市の人口、大阪は日本一
震災復興祭の帝都
金解禁省令公布
金貨…街へ出る
自明治十一年至昭和四年米値段
水稻增收競技会成績発表
『政府は米穀を國営せよ』
 
☆…昭和五年
國立園藝試驗場設置請願
女性は結婚すると筆績が変る
太平洋横断機三沢に飛來
横断機けさ一氣タコマへ
タコマ市号引返す
今夜愈よ燈火管制
ラグビー時代來るか
早大野球部監督八戶出身大下氏
我國労働組合現在の組織狀况
『煙突男』新手のデモ戰術
伊豆地方の大震災
スカート訴訟
〝白衣の天使〟の暴動
 
☆…昭和六年
世界の失業者数はこれだけ
暗い失業時代相
鉄道促進運動、西郡岩崎村で
國立公園に我が十和田湖も入選
靑森、大野合併許可
北片岡、北金沢は靑森市に
鯵ケ沢築港起工式
隱れ念佛檢挙を八警に抗議
津軽と切支丹宗徒
『南部銅に就て』(中市謙三)
津浪の襲來
詩集『まるめろ』(福士幸次郎)
斎藤吉彦氏死去
文筆家、美術家の魂まつり
木村弦三氏の作曲AKから放送
東京駅ホームに接吻の流行
婦人警官募集に殺到する自薦文
最初の女校長 木内キヤウさん
工藤日東氏の生立
津軽文治論 林柾次郎
選挙戰線の変り種山崎岩男氏
犬養総裁單独内閣へ
與党三〇三名選挙史上の新記錄
陸、海軍將校ら高官達を襲撃
陸、海軍將校ら犬養首相を射殺
斎藤内閣の親任式
弘前に木村產業研究所設立
スペイン共和政治を布く
大統領にルーズヴエルト氏当選
ヒツトラー國粹社会党内閣組織
独國会議事堂全燒
共產党彈圧に独逸政府戒厳令
ドイツに焚書刑
アインシユタイン博士狙はる
独逸國際聯盟脱退
高杉金作氏逝く
北里博士逝く
浜口前首相薨去
一戶兵衞大將薨去
神竹之助博士逝去
外崎覚翁逝去
森恪氏逝く
本山彦一翁逝く
堺枯川翁逝く
長谷川藤次郎翁逝去
小林多喜二氏死去
鳴海文四郎氏逝く
内山覚彌氏逝去
蔦谷竜岬画伯急逝す
新渡戶稻造博士逝く
新渡戶博士の訃に三本木町弔電
片山潜氏逝く
山本権兵衞伯薨去
日本共產党檢挙の顚末
戶頭田中清玄は弘高校出身
共產党公判德田球一氏咆哮す
赤產ギヤング事件
獄中から佐野、鍋山轉向声明
河上博士轉向獄中手記を発表
官吏百円以上取得者減俸断行
靑森の入浴場湯銭二銭に大騒ぎ
乘合自動車値下げ
寒い今夏の天候に農家苦慮
凶作、靑森縣を襲ふ
賣られ行く娘凶作の悲惨な影響
縣下の欠食兒童三千二百卅五名
世界の林檎、日本は十番目位か
曉の海で乱鬪、原因は『鯛』
岩木川の発動機船
岩木川工事犠牲者二百六名
八戶、大湯產業道開通
馬淵川大橋架橋竣工
八日一五時間五一分で世界一周
太平洋横断の両勇士淋代を離陸
弦月淡き淋代飛行場を離陸
ミス・ヴイ号太平洋無着陸横断
全國労農大衆党卽時合同へ邁進
社会大衆党結成す
本縣はじめてのメーデー
縣特高課設置以來思想犯の統計
万宝山事件
柳條溝爆破事件
対日態度强硬、戴天仇氏語る
上海を死守する
陸戰隊行動を起す
戰鬪停止命令
日華停戰協定調印終了
満洲國承認
碇ケ関溫泉の河鹿
岩木川の鮎を保護
西郡十三村の八ツ目うなぎ
本社主催相撲大会
本社主催東奥美術展
弘中校ストライキ團岩木山麓に
弘中校ストライキ解決
ストライキ今度は弘前工業校
不景氣の功?科料値下げ申候
特高網を充実
靑森水上警察署発足
縣債五百万円閣議で許可す
弘前第五十九銀行休業
金輸出再禁止犬養内閣の初閣議
アメリカの金融恐慌
國際経済会議開く
ゴールド・ラツシユ目屋
 
☆…昭和七年
團琢磨男爵暗殺
フアッショ潮流に旣成政党不安
產業と観光博覽会でヒバ材宣傳
ヒバ材の耐久力古建築物が立証
弘前観櫻会今年は十五回目
弘前市街の名物コミセ解消論
弘前駅前の学生群
本縣スポーツ王國建設
第十回オリムピック大会
惠まれなかつた大下君の三年間
無医村巡回診療
あなたのお腹にもムシが居る?
雪害調査会新設
雪害対策調査会
結婚費用はこの程度に
反駁意見書作成外務軍部委員会
聯盟脱退処置案閣議で正式決定
聯盟脱退通告文を発電
弘前無料宿泊所
千八百円也の金の牛鍋
 
☆…昭和八年
〝土に叫ぶ〟農村靑年
靑森浪打校の少年喇叭皷隊
鶴ケ坂駅開駅
鶴泊停車場の昇格
『大戶瀨駅』新設す
私生子の名称廃止
ナポレオンもヨーヨー愛好者?
海に消える命
『困つた人達』のモデル
吉井勇氏爵位拜辞
カフエー全盛時代
皮肉屋シヨウ翁訪日
反戰代表に上陸禁止
酒呑党喝采米國の禁酒遂に解禁
乾杯!この歓喜を大統領に捧ぐ
酒屋さんから縣知事へ抗議文
ソビエート承認
米政府正式ソ聯政府承認
天保飢饉の廃田九千四百余町歩
反当四石三斗四升北郡の多收穫
勅旨牧の制傳統茲に千二百余年
〝南部馬〟の変遷史
南部產馬略史
津軽產馬略史
津軽民謠今昔物語
皇太子殿下御誕生
皇太子殿下御名
 
☆…昭和九年
佐藤愛麿氏逝去
佐藤才八翁逝く
泉山吉兵衞氏逝く
武藤山治氏狙撃さる
東鄕元帥薨去
ヒンデンブルグ元帥逝去
阿部政太郎翁逝去
藤井達也氏逝去
雁治郎丈逝く
坪内逍遙翁逝く
森林助氏逝く
佐藤要一翁逝く
小泉辰之助氏逝く
柳宗悦氏の惡戶燒評
舘村根城記念祭
乳井貢全集発刊
異色ある津軽上代の文化
サンデー東奥休刊
全日本スキー選手権大会
文藝家慰靈祭
『新興舞台』第一回公演
米弗平價切下げ
独逸國立銀行モラトリアム施行
五・一五事件民間側判決
血盟團事件判決
永田軍務局長斬らる
二・二六事件勃発
弘前競技場公認
弘前八戶間一四時四二分で走破
風速六十米、颱風関西を襲ふ
函舘市大火
罹災者九万四千人
西郡鯵ケ沢で兒童二十七名負傷
台湾の强震
靜岡の激震
凶作の前兆本縣未曾有の豪雨
要救済人員、縣下で約十万名
尾去沢鉱山の死傷者は一千余名
靑森工藝学校昇格
靑森実高女改称
靑年学校創設
靑森市敎護聯盟発会
白樺材の古間木駅落成式
十和田バス開通
清水川、駅に昇格
堤橋渡初式
蟠竜橋竣工
靑岩橋落成
八戶港第二種港に
大畑漁港の竣工式
深浦港第二期工事完成
上北病院の開院式
常備藥製剤所開設
比島独立法案可決
スペインの内乱
清水川全勝
相撲の神樣大ノ里引退
鏡岩関大関に昇進
バード少將南極に孤独生活
五合の酒を呑んで幼兒死亡
七年間ビールばかりを飲んだ男
大畑町制実施
弘前、和德合併
尾上、金田合併
斎藤内閣総辞職
議会解散手続
廣田内閣成立
岡田啓介氏に大命降下
岡田内閣成立
縣下の田畑水害
凶作遂に來る
凶作対策を東北知事聨合協議
本縣收穫高は半作
冷害免租地決定
暴風で林檎の落果五十万箱
林檎直輸出す
蚕桑多收穫競技会
米穀事務所新設
各部落に鄕藏設置
靑森市長選挙取消し事件
再選挙の結果加賀氏当選
投票棒引事件判決
靑森市政の粛正
靑森市会解散
市政淨化講演会
新靑森市議新人圧倒的に当選
靑森市長に千葉氏
津軽海峽の潮の速さ
從業員一万参加東交労組総罷業
東交スト解決
ソ聯、國聯に加入
華府條約單独廃棄通告文手交す
日本は聯盟脱退
軍縮会議脱退
ザール人民投票
独逸再軍備
伊、エ國に戰鬪開始正式宣言
イタリー、エチオピア間に暗雲
対伊経済制裁
北鉄讓渡一億七千万円で妥協
靑森縣観光協会設立さる
猿賀神社のサギ天然記念物に
十和田湖國立公園に指定
鄕土の誇り靑森縣八景決定
弘前市で公娼廃止
女学生のボート禁止
縣民性を語る、在京縣人座談会
五億二千万円を東北振興費に
東北振興調査会
東北、振興両会社けふから開店
東北七百万の声中央を動かす
產みも產んだり日本新記錄の鶏
增加する農村哀話凶作と身賣娘
殖え行く欠食兒童
欠食兒童一万六百人
困窮農民の医療費割引
北郡三好村、敎員俸給支拂困難
增加する敎員俸給不拂
三原山へ、変つた自殺志願者
頻発する官公吏の不正事件
土地二重賣り事件
縣教育界の疑獄事件
靑森市で交換手さん不要の電話
ハロー・日、米無線電話開通す
待望の放送局、先つ弘前に設置
 
☆…昭和十年
地主の攻勢、小作條件は惡化
続発する小作爭議
地方財政調整交付金の必要
袴田里見檢挙さる
赤色レボ事件
火事が面白いと靑年放火
ダニ紳士狩り
大本敎本、支部を急襲
日大生殺し四十六日目に解決
『お定事件』東京の猟奇殺人
白鳥由栄脱獄
三ツ目内(南郡大鰐)私設学校
靑森港の外國貿易
本縣の鮭鱒罐詰製造力
木炭縣営檢査
天皇機関説問題
秩父宮殿下御着任
秩父宮両殿下御退縣
縣議選挙、政友会絶対多数
選挙違反検挙、候補者も十一名
縺れた縣議長選挙政友会分派す
人権蹂躪問題三警官起訴さる
福士議長ら政友会離党
浜中氏縣議繰上当選
衆議院議員選挙結果
三本木町議大半失格す
汗兆銘氏狙撃さる
張学良軍に兵変蔣介石監禁さる
國勢調査、本縣は九十六万人
百六歳は縣内の最年長者
同盟通信社誕生
 
☆…昭和十一年
学術上の恐山湖と勝景の赤沼
英皇帝崩御さる
藤坂試驗地落成式
全國優秀鶏の產卵くらべ
王冠を捨てた恋、英皇帝御退位
冬季オリムピツク
奈良岡良二選手オリムピツクへ
田島選手走巾跳で第三位
わが無敵水上軍再度優勝
『世界の前畑嬢』もさすが女性
本縣農村に於ける賴母子講調査
修養社から巣立つた若人一千名
 
☆…昭和十二年
廣田内閣崩壊す
宇垣大將大命拜辞
初めてのオラが國の大臣
組閣の大命近衞公に
西尾末廣氏の舌禍
近衞内閣総辞職
平沼内閣組閣成る
平沼内閣総辞職
阿部内閣けふ成立
帝國藝術院誕生
弘前城國宝に指定さる
誓願寺山門(弘前)國宝と決定
津島文治氏公職一切辞す
厚生政務次官に工藤鉄男氏
野溝勝代議士母校三農校訪問
鉄道政務次官に工藤十三雄氏
ヘレン・ケラー女史來朝
ケラー女史來縣
文化勳章第一回授與式
棟方志功氏第二回文展特選
英帝晴れの戴冠式
〝世紀の恋〟ウインザー公結婚
大関清水川引退す
大ノ里大連で客死
綾川関の断髪式
双葉山の百連勝遂に崩る
ダンス会は許可せず
縣廳でノーネクタイ
兼田秀雄氏逝去
ねり屋女將死去
関春茂翁逝く
故斎藤大使祖國日本へ
石鄕岡岩男氏逝く
菊池権左衞門翁死去
野沢如洋画伯逝く
一戶岳逸氏死去
市川字門氏急逝
吳佩孚氏逝去
盧溝橋の銃声、かくて事変勃発
近衞首相声明不拡大主義を一擲
國際聯盟協会中國側提訴を受諾
パネー号事件
一挙に残敵を殲滅
蔣介石の声明書
機船底曳網漁業整理
中國から原料杜絶津軽塗の危機
使命を果した東北振興会
罐詰ともお別れ
世界敎育会議東大で開催
男敎員の不足補充は女敎員で
上級学校進学を抑制
種痘術本縣人中川五郎治の功績
今裕博士北総長に当選
血液分布狀態の研究松木明博士
フランスと競爭し博士号を獲得
日、独、伊防共協定締結
イタリー國際聯盟脱退
独、墺合邦実現
英首相、ヒ総統と直接交渉
ズ地方の割譲案にチエツコ屈服
イタリー軍アルバニヤ全土制圧
独、ソ不可侵條約締結す
独、波両軍遂に開戰
英政府対独宣戰布告
フランス國民よ、起て
ワルシヤワ陷落
ソ、芬遂に國交断絶
左翼主義者を一齊檢挙
 
☆…昭和十三年
懐しい鈴の音、馬橇の季節
佐藤選手健鬪日洪交驩卓球
オリムピツク中止
全國学生スキー大会に弘高優勝
J・O・R・G弘前局の初放送
大権干犯なり櫻井議員法相追文
『金』使用戒嚴令
國民徴用令発動
物價賃金等引上禁止
『九・一八物價』実施
白米禁止令公布
暗くなる街ネオン使用禁止
西郡柏村出身霧立のぼるさん
靑函連絡船航路
八戶港愈々開港
若い人の作者石坂洋次郎氏語る
パール・バツク女史ノーベル賞
津軽を描いた小説
市制実施から五十年の弘前市
靑森縣町村名の由來を尋ねる
本縣の人口百万人を突破
靑森市に編入の油川町の今昔
國立寒川園藝試驗場設置
本縣馬鈴薯栽培歷史
三本木平國営開墾起工式
靑森測候所の略歷
燒失した靑森市正覚寺
ネブタの街弘前に異変
弘前銀行解散総会
金木銀行解散
高谷銀行事件解決近し
 
☆…昭和十四年
ソ聯第三次五ケ年計畫
リトヴイノフ辞職
ソ聯外交の轉換重視
宙に迷ふ弘中別科合格者
今日からは靑森市立中学生
晩生種農林一号貧乏を追拂ふ
お米は國家管理
米作予想收穫高百六十二万石
兜町の人氣俄然沸騰
縣政振興倶樂部成立
大畑鉄道開通
 
☆…昭和十五年
米内大將に大命降下
斎藤氏の不穏論陸軍側取消要求
斎藤隆天氏除名確定す
社会大衆党解党す
米内内閣総辞職
近衛公に大命降下
四十年の歷史を誇る政友会解党
大政翼賛会―命名なる
大政翼賛会発会
内閣情報局昇格
近衛内閣総辞職
閣僚の辞表を奉呈
東條内閣出現
本縣第二十一回総選挙結果
翼賛会候補者の贐料は金五千円
强風中靜岡市大火
三本木町大火
本因坊名人逝去
名優左團次逝去
宇野五十九銀行頭取急逝
西園寺公薨去
中村良之進氏へ記念品贈呈
益子惠之助氏逝く
長尾健字氏逝去
高山文堂翁逝く
德山璉氏急逝
中市謙三氏逝く
天内浪史氏逝く
開設十周年の八戶魚市場
供出米本縣は八十万石
上北郡藤坂村で刈文制度を廃止
米配給総本家中央食糧営團創立
北郡三好村で農会、產相と統合
独軍デンマークに侵入
独軍オランダ、ベルギーに進入
英後継首相チヤーチル
オランダ遂に屈服
ベルギー國王投降
イタリー遂に参戰
ドイツ軍パリに入城
佛國首相ペタン元帥
佛國対独降伏発表
圧倒的大多数でル大統領当選
精神錯乱?ヘス副総理行方不明
独対ソ宣戰布告す
独側で『二ケ月打倒』を强調
独軍の戰果
英、蘇軍事協定成立
ソ聯平原の距離的役割
キエフ遂に陷落
冬將軍來る、東部戰線凍結す
セバストポリ陷落
スターリングラード決戰態勢
ウイルキー特使ソ聯を訪問
独軍ス市に突入
米派遣軍進撃
『桃地藏』を建立北郡嘉瀨村へ
蛸部屋続出に就労時間を縣令で
労働組合は產報へ統合
無產陣無條件解消
浪岡の町制施行
中里村でも町制
鶴田の町制施行
蟹田も町制施行
大奥村、大間町として誕生
鯵ケ沢港工事竣工
珍しい三ケ村に跨がつた家
ノモンハン國境確定
松岡、スターリン会談
日、ソ中立條約調印
二千六百年の式典
全國の無格社整理
國民学校と改称
佛敎團体十三宗、二十七派
農村に地方主義文化聯盟結成
『文化協会』各地で誕生
 
☆…昭和十六年
独身者、子のない夫婦へ税金
官公吏敎職員へ『家族手当』
松野傳氏來縣
農林次官に三浦一雄氏
名裁判官、宇野要三郎氏退職
駐ソ大使に佐藤尚武氏
三市のお米配給制度に
四十年目でサツカリン公認
國鉄で二十四時間制実施
田名部中学校設立認可
一縣一紙実現につき謹告
師範学校本科三年、予科三年に
女学校で外國語は自由科目に
高校、大学予科、年限短縮
医專の誘致に挙縣一致
J・O・T・G靑森放送局開局
 
☆…昭和十七年
八戶で神宮冬季大会氷上競技
縣下小運送店合同
関門隧道貫通す
鉄道は今年で七十歳
電力、日発と九配電会社に統合
縣内の電氣事業東北配電に統合
地方の事務所新設
地方の事務所長発令
地方裁判所簡素化
津軽の農村と岩木川水利改善
津軽の母岩木川第一期工事終る
五百年以前の絵馬七戶で発見
 
☆…昭和十八年
弘前東門会の記念式
日本一の健民運動、狼の森部落
壯、老年の体力檢査
菊池権太郎氏の新生活実例入選
十和田発電完成
造船用材の海洋筏安着
產銅に新記錄
工藤達郎氏『たらちね海』入選
ドストエフスキー一家の末路
田名部高女で鄕土史発刊
本縣銀行合同、靑森銀行誕生す
弘前の観櫻会今年は中止
弘前鷹楊園を畑に
リンゴ園耕作轉換令
十万農家注目の縣農業会設立
小林剛氏逝く
中野正剛氏自殺
德差藤兵衞氏死去
汪精衞氏逝去
高杉眞竜師遷化
菊池良一氏逝去
中村良三大將逝く
佐々木五三郎氏逝く
杉山壽之進氏逝く
葛原運次郎氏逝く
法制局長官三浦一雄氏に決定
本縣新知事金井元彥氏
文歷五十年の故德田秋声氏
加藤東籬氏逝く
今純三画伯逝く
野口雨情氏逝く
三木清氏獄死
三宅雪嶺博士逝く
國際共產党解散問題
ソ聯邦十六共和國に新に外交権
地方行政協議会の運営方針
東京都新発足、府、市廃廳
軍需省新設、商工省企畫院廃止
運輸通信省及び農商省を設置
大日本敎育会発足
藏舘溫泉萩桂樹齢六百年で倒る
佛舍利無事日本に遷座
雷サマは樫の木がお好き
藩祖爲信公の出陣
尻屋海岸に供養所建立
八戶市の緬羊市場
田名部酪農地区竣工
商業学校は廃校
靑森医專新設確定
靑森医專校長内定
靑年師範学校愈々野辺地に独立
初等科以外全授業停止
視学官になつた池田草鞋校長
医專食糧難で七十日間の冬休み
熊沢天皇現る
 
☆…昭和十九年
男子禁制の十七職種
中、女学生、田植除草に協力
疎開地区を指定
東京都から疎開兒童來縣
弘前、八戶両市の建物疎開
三市二町の老幼病人等縁故疎開
野草を食べる運動
縣商報で山菜取りに二万人
労務者の國民酒場店開き
リンゴ酒も統制
お菓子は幼兒だけ
五所川原町大火
雪害防止の通牒
野辺地、有戶間で鉄橋から顚覆
 
☆…昭和二十年
本縣は東奥日報のみ頒布
東奥日報社の全燒と対策
ルーズベルト大統領急死
後任大統領にトルーマン氏昇任
阿南陸相自刃す
陸海軍人に勅諭を賜ふ
東久邇宮に大命降下
大日本政治会解消か
空襲の死傷六十八万人
マツカーサー元帥到着
赤軍、千島全島占領
降伏協定調印式
首相宮の幕僚に文化人を起用
東條大將自殺未遂
天皇陛下、マ元帥御訪問
米國の日本管理政策発表
社会党結成準備委員発表
幣原男に大命降下
女子にも選挙権案閣議で決定
外地部隊復員第一船入港
特高警察も廃止
内務大臣を罷免
東久邇宮内閣総辞職
三十六年來の凶作
日本自由党結党大会
日本進歩党結党式
第四回共產党大会
陸、海軍両省の解体
梨本宮殿下以下十名に逮捕命令
近衞公、木戶侯等に逮捕命令
山下大將に死刑判決
指令第一号、完全に武装解除
政治犯釈放指令思想取締法撤廃
日本人再敎育に関する指令
財閥解体方針決る
農地改革を指令
米第九艦隊大湊に到着
進駐軍上陸風景
明るくなつた夜の縣都
迫り來る冬、戰災地の学童
社会党縣支部聯合会結党式
自由党縣支部結党大会
進歩党縣支部結党式
中共軍全満を制圧、國府軍北上
 
☆…昭和二十一年
天皇、元旦に異例の詔書
日本政治界より軍國主義一掃
幣原内閣改造成る
進歩党役員総辞職
衆議院議員本縣総選挙結果
全國選挙結果判明
幣原内閣総辞職す
大命陛下吉田茂氏へ
吉田内閣閣僚決定
憲法草案を上程
自由党総裁に吉田茂氏を推戴
民主憲法玆に成立す
新憲法公布
明治憲法発布の思出
議会解散決議案上程
連立工作打切り自、進共同声明
國民協同党結党
衆議院解散す
民主党結成大会
初代公選知事に津島文治氏当選
初の参議院本縣代表決る
勤労政党の歷史的勝利
新しい『主権議会』へ送る
縣会議員選挙結果
きよう新憲法施行
初の地元人木村新民生部長
民主党総裁幣原氏
吉田内閣総辞職
参議院議長に松平恒雄氏
片山内閣形式的に成立
副知事に松野傳氏
新たに『企畫室』開設
檢察廳『世耕事件』へメス
陛下、歓呼の中に御入縣
炭管案漸く成立
平野力三氏ら社会党を脱党
平野氏追放と決定
片山内閣総辞職
衆院、芦田氏を指名
民主自由党発足す
西尾國務相喚問さる
荒畑勝三氏社会党脱党
社会党中執委員会で六名除名
社の十氏遂に脱党
西郡十三潟干拓事業決定
復興國士計畫の構成成る
八戶の沈下船防波堤築造
八戶港起工式
津軽海底トンネル調査に着手
日本農民組合聯合会結成
日農組合結成大会
縣労働委員会委員長秋田雨雀氏
靑森市のメーデー、民衆一万
二・一スト突入に決定
マ元帥、スト中止を命令
農業復興会議
國家公務員法改正案
財產税等三法案要綱発表
旧紙幣と新紙幣の交換
流行の『値下げ運動』打診
官公職員新給與実施
五億ドルの借欵
経済力集中排除法案成る
野坂参三氏帰京
九ケ國共產党会議
コミンフオルムよりユーゴ脱落
極東國際軍事裁判所設置
聯合國日本理事会第一回会議
バー・モウ博士自首
山下大將死刑執行
東條大將A級戰犯起訴
寺内壽一元帥逝去
松岡洋右氏逝去
ナチ戰犯に宣告
川島芳子に死刑判決
生体解剖事件判決
縣下の職業軍人五百七十八名
河上肇氏逝く
藤田謙一氏逝く
岩波茂雄氏逝く
三浦環女史逝く
長谷川進氏逝く
泉亘氏逝く
岸谷隆一郎氏自決
福士幸次郎氏逝去
石原純博士逝く
中條資俊氏逝く
上田進氏逝く
西谷壽朗縣議の訃
星埜守一氏逝く
フオード翁逝く
三浦種良氏逝く
野口米次郎氏逝く
幸田露伴翁逝去
横光利一氏死去
山鹿元次郎氏逝去
出口王仁三郎氏逝く
ガンジー翁暗殺さる
菊池寛氏逝去
鈴木貫太郎氏逝去
大山郁夫氏帰る
楢橋渡氏非該当
犬養氏ら五名追放解除さる
米内光政氏逝去
美濃部達吉博士訃
ジユダノフ氏死去
ベネシユ氏死去
馮玉祥將軍燒死
佐藤元駐ソ大使元氣で帰る
將棋新名人は塚田正夫八段
ベルナドツト伯射殺さる
戰災地靑森へ観世音建立の悲劇
大慈大悲の菩薩像開眼式
三本木に平和の鐘、敎会堂建立
佛舍利弘前へご入來
食糧遅配に百名の主婦達役場へ
東京で食糧メーデー
乏しきを頒てよ天皇陛下ご放送
縣下に食糧欠配続出す
朗報、主食二合五勺に增配
進駐軍、供米に重大関心
愈々强権を発動す
遅配の最高は二十九日
友愛溢れる『ララ物資』
『料飲店閉鎖』政令下る
供米割当方針を改訂
四十五ケ町村の空券発行事件
本縣供米完遂全國で六番目
思はずニツコリ甘いお砂糖配給
リンゴ直賣所再開
九年目でリンゴは統制撤廃
リンゴの裸輸送大成功
罐詰会社英國へリンゴ罐詰輸出
縣でリンゴ課新設
東京三越デパートでリンゴ祭
禅とは何ぞや太平中学スケツチ
本縣最初の女子專門学校
弘前女子厚生学院昇格
敎育優先を確立文敎再建の決議
縣敎育会解散に決す
新学制へ発足四月から六・三制
弘前医大昇格決定
五農校育ての親菊池氏胸像完成
敎育委員は住民の公選
医師の國家試驗令
当用漢字、新かなづかい決定
國民の國語能力調査
ピキニ環礁で原子爆彈の試驗
比島独立を宣言
欧洲二十一ケ國平和会議
朝鮮建國祭
共和党の制覇確定
バーンズ米國務長官辞職
ト大統領希、土両國へ借欵供與
ウオーレス氏大統領演説を攻撃
國府軍延安を占領
対米戰考へず、ス首相言明
英國エリザベス姫の結婚式終る
外相会議決裂
経済安定本部設置
町内会、隣組廃止
内務省を廃止
自治、國家の両警察新発足
労働省初代大臣は米窪満亮氏
司法省廃止に決定
縣廳内に新たに兒童課設置
第二次農地改革案提出
本縣の土地改革軌道へ
農地委員会小作調停の内容
浦野舘方面で植直し三百町歩
本縣藁工品供出日本一の好成績
五所川原町復興中に再び大火
関西大地震二十府縣に及ぶ
四千戶燒失長野縣飯田市の大火
降り続く豪雨に利根川決壊す
脱線貨車二十輌野内川に轉覆
夏泊半島の毛虫森林五千町荒す
强震北陸地方を襲ふ
本邦地震史稀に見る福井の强襲
アイオン台風一関市全滅に瀕す
 
☆…昭和二十二年
警官射殺さる、犯人迷走
璽光尊を精神鑑定双葉山も檢束
璽光サマ八戶に天降る
八戶市に女校長、秋元クリさん
二十世紀のイヴ裸で一日千円
怪物『空飛ぶ円盤』
弘前に『少年少女の町』
関根親分遂に自首
軍港『大湊』に手入れ
銀盤の祭典八戶市に開催
古橋選手八百米に大記錄
女学生の野球、靑女高勝つ
八戶市に女性の看守
女の郵便局長小比類卷チヨさん
ルーマニヤに女性の外務大臣
津軽塗の製造販賣禁止
葛西善藏二十回忌
幸福への招待弘前でロケ
昭電疑獄芦田内閣を崩壊に導く
本田実氏へ輝く彗星発見賞
ユネスコ運動講演会
藝術院会員に十六氏決定
七戶町砂子田の竪穴
七戶竪穴の異説
新劇祭自立六劇團の合同発表会
地下資源調査
五十九年目を迎へる靑森駅
列車開通の思ひ出
日、米國際電話六年目で再開
壽產院事件、大量の赤ん坊殺し
靑蘭航路再開
國勢調査による靑森縣下の人口
大三沢に町制施行
水稻新品種『奥羽百九十五号』
 
☆…昭和二十三年
市制五十年、靑森市躍進の跡
残虐、帝銀椎名町支店の毒殺魔
夏季時間を実施
神戶市の騒擾事件
帆立貝人口產卵に世界的な発見
日米観測陣が摑んだ〝金環食〟
本紙紙齢二万号迎ふ
東奥日報二万号に寄す
共產党要求にチエコ大統領屈服
チエコ外相自殺
イタリー総選挙、反共派大勝す
米大統領候補にデユーイ氏
伊國共產党書記長ト氏狙撃さる
韓國初代大統領に李承晩氏当選
西独逸政府樹立
中國で通貨改革
ベルリン通貨問題に四國協定
華北に人民政府
ソ連北鮮から年内撤兵を発表
米軍朝鮮に國連決定まで駐留
太宰治氏入水自殺
太宰治の氏(石坂洋次郎)
國鉄運賃値上
お米の增配、二合七勺となる
初の敎育委員決る
芦田内閣総辞職
後継首班に民自党総裁吉田茂氏
六十年史概観目次
六十年史以前
近代國家完成へ
國勢の進展
極東の変貌と日露戰役
國際的地位の変化
大正初期の政情
第一次世界大戰と其影響
戰後の靑森縣
極東における日米の轉位
大正末期の本縣
破局前夜
軍部の『指導』
太平洋戰爭