図書目録ハカタ ナカス モノガタリ資料番号:000063711

博多中洲ものがたり 後編

サブタイトル
大正改元より空襲・終戦までの変遷
編著者名
咲山 恭三 著者
出版者
文献出版
出版年月
1980年(昭和55年)11月
大きさ(縦×横)cm
26×
ページ
466,33p
ISBN
NDC(分類)
219.1
請求記号
219.1/Sa52/2
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

一、成熟前期―“大正”改元から~“雇女券”廃止まで―

“大正元年”の世相
“ジゴマ”の上映禁止
“川上音二郎”追善劇
最初の市場“中洲定市”
アブサント洋画展覧会
“飄々会”成る
“九州劇場”の誕生と変遷
“九州劇場”の再建成る
“光明座”開場
“大博劇場”も落成開場
最初の活動写真常設館“世界館”開館
“尾上松之助”も博多入り
“本興座”と改名、新装開館
再び“世界館”へ
二番目の活動常設館“電気館”も開館
“岩崎組”と“三代元次郎”
“友楽館”の誕生
“友楽”から“有楽”へ
相次ぐ“活動常設館”の開館
脱皮した新生“寿座”
“安部辰五郎”の登場
“活動写真興業”の取り締り強化
幻の“劇場”と“活動写真常設館”
“自動車”の登場
累災の“大正三年”
“飢人地蔵”の改築
“県庁”新築落成
“九州沖縄勧業共進会”開く
“御大典”と“奉祝どんたく”
“デパート(百貨店)”の幕開き
“松葉屋呉服店”開店
“松屋”も開店
“陸軍特別大演習”と“花柳界”
“中券”と“信濃梅吉”
“博多券番”の誕生
“博多券”から“東券”へ
“南券(雇女券番)”消える
大正五年頃の“旅館・料理屋・待合・食堂”など

二、成熟中期―“上水道問題”から~“中洲大火”前夜まで―

大波瀾の“上水道問題”
九州劇場で“市民大会”
“博多毎日新聞社”襲撃事件
傍杖喰った“市制刷新会”
東中洲に“簡易水道”
“上水道通水式”行う
市内一悪い“東中洲の井水”
“イルマ事件”と“三つの選挙”
“悪性感冒”の大流行
“那珂川川開き”初まる
那珂川花火大会
“九州沖縄物産共進会”の成功
“花柳界”の隆盛と“取り締り強化”
“弁天橋”の竣工
“工業博覧会”の失敗
“中洲券番温習会”初まる
“博多券番”も温習会開く
“市内道路”の改良問題
“掛筋”が木煉瓦舗装
“アスファルト”と“木煉瓦”の対抗
初の“国税調査”珍風景
“カフエー時代”の魁け
カフエー・パウリスタ
“中洲新道”開通
幻の“市内電車路線”
“水明館”と“南新橋”
“那珂川噴泉浴場”落成
“清流橋”と“噴泉橋”
“楽天閣”の開業
“清流荘”の開業
“福博座”から“南座”へ
“博多劇場”から“帝キネ”へ
“バッテン(抜天)館”誕生
“マキノ”と“四社連盟”
春秋二回の“どんたく”
“景気直し”聯合大売出し

三、成熟後期―“中洲大火”から~“大正末年”まで―

大正十二年・未曽有の“中洲大火”
大火中の“挿話”
判明した“出火元”と“原因”
惜しまれる“罹災家屋”と損害額
皇后宮“中洲大火”にお言葉
東中洲時代の“会議所正、副会頭”
東中洲に最初の高層“福岡ビル”
新しい活動常設館“喜楽館”開館
“地代値上り”と“道路計画”
“焼け跡”復興と再建の構想
復興成った“焼け跡”の変貌
“新富町”と“楽天地”の誕生
新名所“中洲京極”
“福助足袋大広告塔”出現
“福助しるこ”開店
“文化美粧展”と“那珂川水上遊園”
“水上公園”完成
“アサヒビール園”開店
激動の“大正十二年”逝く
“釜風呂”と私の思い出
“和楽路会”
“博多謎(なぞ)”の会
“撞球(玉突き)”の流行
デパート“玉屋呉服店”の開店と発展
“記念大売出し”と“大増築”
東中洲の“大菊花壇”
計画倒れの“博多川回収”
地価一等地の“東中洲”
東中洲の“医師”と“医院”
大正末期の“中洲の住人”たち
大正末期の“会社”“料理屋”など
“大正十五年”の展望

四、爛熟期―“昭和”開幕から~“市制五十周年”へ―

“昭和開幕”の世相
情緒の“かき船”
“御大典”と“どんたく”の賑わい
四階建て“九日商品館”開館
“不二家デパート”誕生
“不二家店員”の罷業騒動
“不二家デパート”の終末
悪臭の“博多川”改修の結末
幻の道路“市道博多線”
“ハゲの会”生まる
競った電車通りの“四喫茶店”
頻発した昭和の“中洲火災”
“ベビー・ゴルフ”の流行
“一回三銭”電話の度数制騒ぎ
“五十銭タクシー”出現
“木炭ガス自動車”登場
名橋に生まれ替った“西大橋”
“大博通り”と後の“国体道路”
“博多再興三百五十年祭”の賑わい
“映画・興業界”全盛時代に入る
怪支配人“前田幸作の登場”
幸作“民衆倶楽部”から“世界観”へと転身
“名物男”政界に乗り出す
名宣伝マン“松居冷忍”と“太宰行道”
「トーキー時代」の幕開き
消えてゆく“解説者(弁士)”たち
初のスーパー入り「モロッコ」公開
独自の経営で競う各映画館
映画館対抗の“軟式野球試合”
市内洋画配給会社と人事
“寿座”一流映画館へ大改築
“友楽館”も新機軸出す
“映画界”ピークを越える
黄金の“一九三〇年代”
“中洲券番”の発展と経緯
“中券”と“東券”の合併
“中洲演芸学校”の誕生
芸妓の“線香代”と“売上げ”
“あき書き”にみる花街の盛衰
“置屋”と“芸妓”
親分肌の侠妓“松勇”
売れつ妓抱えた“寒菊席”
立方の名妓“お染”“富貴子”“貞奴”ら
“モダン芸妓”いろいろ
“中券の幇間”たち
“博多券”の芸妓たち
縁起かつぐ花柳界
昭和の“中券温習会”
“中券”対“三券番”の反目
“芸妓心中”の流行と“宮原・梅勝事件”
“臨検”と“ダンス禁止”
“花街”の情緒
子供相手の“喰べ物商売” 子供の遊び
“カフエー隆盛時代”の幕開き
“西洋料理組合”を結成
“芸妓戦線”に食い込んだ“女給”
生活と闘う“女給たち”
苦肉の“五十銭チップ制”と“月収”
特色と情緒の“カフエー街”
“地下室市場”開設
“支那事変”前後の明暗
市制施行五十周年の“町総代”
“中洲二十五番町”昭和の変遷

五、衰退期―“大東亜戦争”前夜から~“空襲・終戦”まで―

世代を反映した“どんたく”
“皇軍慰問福日ドンタク隊”出発
“博多どんたく”期日の変遷
“国民学校”と“三つの郷土祭”
戦時体制に入った“映画興業界”
“戦時下の映画館”繁栄っぷり
興行場の“日常用語”を改正
目まぐるしい館の転身と改名
昭和十五年以後の“上映映画”
“舞台もの”の流行
“演芸館”に転向した“映画館”
“青黛座”と“独立劇場”
“ピエル・ボーイズ”の登場
“川丈劇団”(川丈ショー)を結成
“福岡花月劇場”の開場
“花柳界”などに大斧
電車道に“横断禁止柵”設く
“九・一八物価抑制令”の波紋
“九・二五ストップ令”その後
“防空訓練”と“町内会”の再建
“金属回収”と“物資の配給制”
消えた“料亭・待合・芸妓”ほか
名老妓“お秀さん”の感懐
徒労の“燃えない街つくり”
“強制疎開”と“家屋の間引き”
悪夢の大空襲“六月十九日”
一夜で消滅した故郷“東中洲”
終章
 戦火による博多の被災記録
「後編後記」

『郷土年表』(後編―大正改元より~昭和二十年末まで―)

附録
①“中洲の橋”の変遷
②“博多の興行処名”の変遷
③現在の“中洲”の実態
④写真に見る“西大橋”沿岸並に“電車通り”の変遷
⑤“戦前”と“現在”の「中洲道路地図」
⑥昭和十~十二年頃の「中洲全町詳細地図」

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