図書目録レキシ ト センソウ資料番号:000063655

歴史と戦争

サブタイトル
幻冬舎新書 495, は-15-1
編著者名
半藤 一利 著
出版者
幻冬舎
出版年月
2018年(平成30年)3月
大きさ(縦×横)cm
18×
ページ
213p
ISBN
9784344984967
NDC(分類)
210.6
請求記号
210.6/H29
保管場所
開架半藤文庫
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

第一章 幕末・維新・明治をながめて
江戸時代まであった、島国に生きる知恵
幕末期日本人の天皇観
コチコチの愛国者というものは
もし勝海舟なかりせば
海舟のやった無血開城
海舟の胸に息づいていたもの
勝海舟の幕末
西郷隆盛をどう見るか
明治維新、あれはやっぱり
幕末の大動乱でひどい目にあったのは
祖母がくり返し語ったこと
明治は江戸の尻尾
海陸軍はかくて陸海軍になった
西郷隆盛の首
日本海軍はその名分を
日清戦争に異を唱えた勝海舟
日露戦争は、人心をまとめて鼓舞しつつ
日本海海戦を語る諸書にある言葉
日露戦争時の日本人捕虜
日比谷焼き打ち事件が起きたわけ
日露戦争終結後、スローガンが生まれた
世論とジャーナリズム
きれい事のみ戦史に残し
近代日本を創った男
 
第二章 大正・昭和前期を見つめて
石橋湛山、大正十年の社説
母と、大正十二年の関東大震災
「天災は忘れたころにやってくる」
おっかない時代は治安維持法改正からはじまった
「生命線」というスローガン
昭和三年、荷風さんはすでに乱世と観た
大量失業が招き寄せたもの
昭和五年の二大政党
「非常時」が叫ばれはじめて
ずっと非常時だった
戦争に突入する時
新聞は「沈黙を余儀なくされた」わけではなく
「攻撃は最大の防御なり」と信じて
昭和八年、国際連盟脱退直後の春に
国連脱退の国民気分
名投手沢村栄治の無念
昭和十一年の「国難」
昭和十一年、二・二六事件のあとで
二・二六事件後の出版弾圧
昭和十二年一月の野上弥生子
それは昭和十二年三月三十日に配布された
昭和十三年の反戦句
大本営発表に熱狂した頃
昭和十二年の東京下町風情
あのころ蚊帳が怖かった
下町の言葉の威勢のよさ
下町の夜を渡った音色
流行歌は反戦歌だった
鉛筆のなつかしい香り
昭和十年代、隅田川の向こうは
横須賀で見た駆逐艦
もしも中学の入学試験に落ちたなら
川向こうの小さな働き手
玉の井初見参の記
昭和十四年、国の〝節義〟によって戦ったノモンハン
ノモンハン停戦後の結論
ノモンハン敗戦のあとで参謀は
ノモンハンから今につづくもの
昭和十五年七月、首相近衛文麿の積極方針
近衛首相がつくった大政翼賛会を荷風がいわく
昭和十五年八月の、ぜいたくは敵だ!
日中戦争に倦んできて
昭和十五年の群集心理
日中戦争の四年半で
昭和十六年一月の示達、戦陣訓にこうあった
昭和十六年春、石原莞爾の予言
昭和十六年、開戦の二カ月前にこの国がやったこと
開戦一カ月前、大本営が考えた戦争の見通し
日本人は十二月八日のラジオ放送をどう聞いたか
真珠湾への奇襲作戦
山本五十六の無念
 
第三章 戦争の時代を生きて
真珠湾攻撃大成功の報せを受けて
私の親父は〝へん〟だった
昭和十七年春のレイテ島
昭和十七年六月、ミッドウェー海戦大敗後の銃後
昭和十七年八月のガダルカナル島、戦闘の翌日に記者は見た
ガ島で日本兵は何を見たか
ガ島戦敗退後の天皇のつぶやき
昭和十八年五月、山本五十六の死とアッツ島玉砕
次の世紀までも記憶しておくべき昭和十八年の夜郎自大
昭和十八年、私の夜行軍
二万五千人の出陣学徒に東条英機は
昭和十九年三月にはじまったインパール作戦とはつまり
神風特別攻撃隊について天皇は
特攻の指揮をとった人が昭和十九年に言ったこと
金輪際許せないこと
昭和十九年八月、学校ではなく軍需工場へ
灰色の軍需工場で
昭和十九年、悪い冗談もいつか真実のごとく
昭和十九年暮れの東京で
大日本帝国の断末魔
かりに反戦思想をもった人がいたとしても
東京大空襲の夜は北風が強かった
中川の河岸で見た修羅場
もう「絶対」という言葉は使わない
東京大空襲の翌朝、坂口安吾は
米艦隊が艦砲射撃を撃つ音を聞いた
戦中戦後に暮らしたところ
戦艦大和と戦艦武蔵
沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ
昭和二十年八月、長岡の在で
「最後の一兵まで」は本気だった
原子爆弾がつくられて
かくて原子爆弾は落とされた
石内都さんが撮った「ひろしま」
果て知らぬ死者の列
ソ連対日参戦の高潔な理由
「ソ連は出てこない」と、なぜあの時考えたのか
白旗を掲げられなかった理由
軍部首脳が考えていたこと
〝最後のひとりになるまで〟の決意
玉音放送のそのときまでも
大元帥と天皇陛下
徹底抗戦の夢を捨てた陸軍
私は玉音放送を工場で聞いた
玉音放送のあとで
戦後、日本四分割構想があった
シベリア抑留のはじまりは
亡国にさいして責めるべきは
みんなが燃やしちゃった
国家の大事な仕事とは
開拓団、集団自決の心理的背景
二度と「引き揚げ者」を生まないために
満洲国をもったがために
なぜ日本人は「終戦」と呼んだのか
戦後の虚脱とは、つまり
リンゴの唄を歌った女性歌手
昭和二十年八月二十八日の「一億総懺悔(ざんげ)」発言から
「一億総懺悔」が戦後日本に与えた影響
『戦争論』を誤読した
昭和二十年八月二十八日の石原莞爾
石原莞爾の人間味
元首相東条英機の自決未遂
東条英機の形式主義
マッカーサーの日本占領構想
昭和天皇とマッカーサー
マッカーサー会見の朝、香淳皇后は
私の昭和二十年九月二十七日
武装解除がされたとき
非人間的になること
餓死者七〇パーセント
 
第四章 戦後を歩んで
戦後がはじまったとき
遮蔽幕がとれて
昭和二十年秋の渋谷で
昭和二十年十一月二十八日の山田風太郎
男女共学制のスタート
「引き揚げ」の名のもとに
昭和二十一年一月のわが通学列車
東北巡行で昭和天皇は
終戦直後の鯉のぼり
消えた空襲犠牲者慰霊塔
戦後一年経っても向島では
銀座四丁目交差点の「生命売ります」
マッカーサーの功績
美空ひばりのデビュー
朝鮮戦争〝特需〟とは
戦災の焼けトタンは
防潮堤が消した隅田川の床几
ボートと歴史探偵の共通点
「サイパンから来た列車」について
朝鮮戦争と日本国
スエズ動乱も「神風」になった
戦後とは、いっぽうこんな時代でもあった
土を耕すことなければ
死の灰を浴びた第五福竜丸
ゴジラが日本に上陸した日
私が週刊文春創刊号に書いた記事
東京五輪音頭の歌詞を書いたひと
だれが東京大空襲を指揮した男に勲章を授けたか
昭和天皇と映画「日本のいちばん長い日」
A級戦犯合祀問題に関する私の考え
昭和天皇の涙
戦後、日本の国家機軸は平和憲法だった
若い皆さん方の大仕事
昭和史を語り終わって思ったことは
この国がまた滅びるとき
「あきらめ」が戦争を招く
 
第五章 じっさい見たこと、聞いたこと
東京裁判を見に行った
陸海軍省がなくなってもなお
高木惣吉元海軍少将が語った東条英機暗殺計画
元内大臣の木戸幸一が言ったこと、言わなかったこと
「黙れ!事件」の佐藤賢了は戦後になってもなお
二・二六事件の生き残り将校は言った
辻政信元参謀が語った日本防衛論
語らざる最後の連合艦隊司令長官・小沢治三郎
インパール作戦の猛将・宮崎繁三郎
「全軍突撃せよ」の田中頼三
海軍兵学校第七十三期の生き残った人々
幽霊になって出た兵士
 
あとがき
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