甦る夾竹桃
- サブタイトル
- 必死に生きた尼崎市民の戦後10年 日本国憲法施行五〇周年記念
- 編著者名
- 尼崎市民の戦後体験編集委員会 発行者
- 出版者
- 尼崎市民の戦後体験編集委員会
- 出版年月
- 1997年(平成9年)12月
- 大きさ(縦×横)cm
- 21×
- ページ
- 264,8p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/A42
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
序にかえて(卜部建)
一 必死に生きぬいた日々
避妊知識の少なかった時代に生きて(延原ちづ)
終戦二日前に生まれて(和田守玖子)
たくましく生き延びた私の戦後(中矢輝雄)
栄養不良で夜盲症になった息子(溝口チク)
戦争未亡人として生きる(山内良子)
志願兵の戦後(辻本隆夫)
コラム ジェーン台風で床上浸水(伊藤時子)
ある養豚業者の戦中戦後(銘刈武雄/ソノ)
ひき臼と尺祭り(渡辺正之輔)
尼崎に住んで六〇余年―私の戦中戦後(李鎮奎)
泣いた、覚えた日本の暮らし(全南女)
占領下の沖縄から尼崎へ(松川寛吉)
コラム 沖縄伊良部島から台湾へ集団疎開(松川寛誠)
鹿児島、甑島から尼崎へ(中村早司)
海軍特別攻撃隊員の八月十五日(村松一)
二 運動場はイモ畑
卒業証書を忘れた学校(金谷満寿子)
小学校の仮校舎で―新制中学のスタート(伊藤良一)
灯下に親しむ生徒達―小田南中「夜間学級の記録」(田中文一)
戦後の暮らしと小学校の様子(杉山静子)
コラム 米持参で修学旅行(杉山静子)
終戦直後の子供と教師(山内一正)
戦中戦後の学校と教師(大久保盛男)
コラム 金襴緞子のおしめ(城楠江)
教師しながら百姓生活(丸尾重雄)
三 ヤミ市からよみがえる
終戦直後の出屋敷・新三和周辺(上村好雄/塩崎博)
新三和のことなど(山田恵美子)
終戦当時の思い出―新三和で鮮魚商(池田清一)
新三和で商人として生きる(兵頭義彦)
尼崎民商誕生の頃(前田英雄)
新三和商店街復元図(昭和二九年)(兵頭義彦)
四 働くもののまちで
五〇有余年、旋盤工として生きる(村井邦夫)
無人島で敗戦、家族や商人と結ぶ労働運動(北村英治)
全日自労の仲間に支えられて三八年間(福山ウメ)
日雇い労働者から「菜っ葉服議員」へ(加茂鶴一)
コラム 「地下足袋・菜っ葉服議員」の誕生(閑野美津江)
予科練から労働運動(河野秀雄)
東洋精機でレッドパージ(安田ただし)
コラム 梅田地下で赤旗販売(河野秀雄)
見習い士官から大谷争議へ(塚本一夫)
コラム 力道山と尼崎(谷正義)
二万人の会員と「週報」の発行(北村英治)
五 復興への歩み
市職員から見た「復興期の尼崎」(谷正義)
コラム 「特攻」で一人息子を失った阪本市長(北村英治)
初の尼崎市教育委員選挙と「違反事件」(山内一正)
戸の内の戦後の移り変わり(松本勝)
焼け野原だった杭瀬の復興(井関たね子)
道意町(大庄)の移り変わり(北村益造/しづ子)
漁業の町だった築地(西山明)
写真で見る尼崎の戦後一〇年
戦後最大の災害「ジェーン台風」
防潮堤の建設
尼崎競艇場(センタープール)の建設
地盤沈下―市域の三分の一が満潮面以下
煤煙とスモッグに覆われた尼崎
第二阪神国道(四三号線)の建設
資料と解説
『ほとんどが代用食だった「主食配給」』(村松一)
「安かった教師の賃金」(山内一正)
「終戦前後の尼崎の学校教育の様子」(榎本建三)
年表「尼崎の戦後一〇年」
編集を終えて(横山澄男)
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